ヒルガオ

 駅の鉄柵に絡みついているヒルガオが花を咲かせているのに気づいた。花期の長い植物であるがその勢いを感じるのはこれからの季節だ。どうやらこの列島には古くから生息していたようで、雑草の分類にするのは忍びない。

 万葉集に見えるカホバナは、いまのユウガオであるという説が有力である。カホには美しいという意味があり、その花の評価は高かったのである。現在のヒルガオと同じだとすれば、その花様に当時の人々も酔っていたことが判明する。そう言われてみれば小花は魅力を増す。

 アサガオはこの植物の下位分類にあてはまる。弱いながらも強かに生き残るのは結実よりも地下茎で冬越しする戦略を選んだからだという。放っておくと一面に広がる強靱さはカホバナの印象とは異なる。厄介だが憎めない植物の一つだ。

 

台風は去ったが

 関東地方に久しぶりに接近した台風は、風よりも雨の被害をもたらした。一時的には河川の氾濫に関する注意報が出るなど、緊迫した瞬間があった。

 台風が去ると晴天が続くという常識は、もう少し後のシーズンの話らしい。今回の台風は、梅雨の前に駆け抜けたので、この後の天候はやはり梅雨空である。台風の後は晴天続きというのはもう少し後の話だ。

 これから本格的な梅雨となる。雨量の増加は台風以上の脅威になることもある。台風は去ったがそれ以上の警戒をしなければならない季節である。

台風接近中

 今度は台風が近づいている。天災の多い国なので特に驚くべきものではないがやはり、緊張感は否めない。時折感じる軽い頭痛はこのためなのかなどと考えるがおそらくこれは思い込みだろう。

 ここ数年台風の直接的な被害を私の住む地域では受けていない。だからこそ油断が生まれているように感じてしまうのである。交通機関が止まったり、来るべき物資が滞ったりしたとき、私たちは危機感を覚える。そういう差し迫った脅威がなければ危機は見過ごされ等閑視される。交通機関の方がリスク回避を考えており、被害が出る前に運休を告知することがしばしば見られるのが昨今の状況である。

 いつ嵐が来るか分からない。どの程度どんなふうに私たちの日常を壊すのか全く予測がつかない。究極の危機、限界状況にならなければ、私たちの意識はなかなか変わらない。すでにいくつもの天災を経験してきたものにすら、油断は蔓延している。さらにこの傾向が続けば、世の中微細な変化は無化されることになる。

 次第に強くなってゆく雨足にいろいろな記憶が呼び覚まされる。どうか何事も起きませぬよう。

ヨナ抜き音階

 2019年のラグビーワールドカップは記憶に残る大会だった。参加各国の国歌やアンセムを日本人も覚えて大声で唱和するという前代未聞のことを行ったからだ。ラグビーワールドカップでは南半球の国々や、太平洋の島嶼国家、さらにはグレートブリテンを形成するスコットランドやウェールズなども常連国であり、他の競技では国歌が歌われる機会は少ない。

 そういった小国でも日本で引け目を感じることがないように、カタカナレベルではあつても、原語の発音に近づけてスタジアムで唱和したのだ。日本の応援文化を世界に知らしめることになった。

 その時、ウェールズをキャンプ地として迎えた北九州市のおもてなしは特に有名になった。ウェールズのアンセムを練習会場でも試合でも大声で歌つて選手を勇気づけたのである。いま記録の映像をみても感動的な風景だ。このアンセムの曲はとても美しく、かつ親しみやすく、懐かしさまで感じるものであった。ウェールズの曲はかなり親和性が高い。

 その理由は音階的に日本の伝統音楽に近いヨナ抜き音階であることや、明治以降の音楽教育がいわゆるケルト系音楽を中心として展開したことと関係があるという。親しみやすい西洋音楽を優先して教えたということである。ウェールズ語はまったく馴染みのないものだったが、そのメロディはどこかで以前聴いたことがあるような気がした。

 音楽の繋がりという一面を発見した案件であった。このような見えない繋がりはいくつでもあるのだろう。それを意識できれば平和に繋がるのかもしれない。

紫陽花の季節

 6月に入る前から真夏のような暑さになったが、さすがに6月となると間もなく五月雨の予感がする。ただ今年の場合は台風の接近が先行しそうで、その後に雨の季節になるのだろう。この時期の花屋の店先は紫陽花の鉢植えが並ぶ。今年見るものは一層色鮮やかで、私の知っているものとは少しイメージが違う。

 有名な話だが、紫陽花の原種は日本のガクアジサイであり、それが西洋に渡って品種改良が重ねられ、セイヨウアジサイといういまのいわゆる紫陽花になったのだという。土壌の質によって花の色が変わる性質も結果的に結果的には珍重されることになったという。

 紫陽花にはいろいろな興味深い話が他にもある。実は花と思って見ていたのは萼であって、本当の花はかなり質素なものであることや、葉には昆虫類が嫌う微弱な毒素があり、虫蝕を逃れることができるそうである。花の色は地中のpHによるが、アルミニウムの量とも関係しているようだ。万葉集にはすでに現れているが2首にとどまり、それもあまりいい扱いではない。問題ある植物としての評価がこの花の不人気の理由であった。

 いま見る紫陽花はどれも豪華で美しいが、そのようになるまでの長い下積みがあったということになる。

記憶の彼方から

 つまらないことなのにいつまでも忘れられないことがある。たとえば小学生のころ、こっそり隠していた宝物が秘密の隠し場所からなくなっていたことがある。絶対に誰にもわからないところのはずなのになぜかなくなっていた。誰にも教えていないのだから、なくなるはずはない。それなのにないのはきっと何者かが私のふるまいを観察していたのだろうなどと考えたものだった。

 ただ、子供のころの心配というものはあっけなく忘れてしまうものだ。私の場合もほかにもいろいろな非日常的行為はあったはずなのに、ほとんどが忘却の彼方である。先の忘れられない思い出は私にとってはよほどショッキングなことだったのだろう。そして、その無念がいつまでも保存されたことになる。さほど、深刻なことでもないことのエピソードがどうして保存されたのか、ほかのより深刻な出来事がなで記憶の範囲から消えたのか。それがよくわからない。

 私の記憶というものはずいぶん曖昧なものだということになる。でも、現在の私を支えているのは記憶の束である。思い出と称される過去の記憶が現在の生活、思考の原点になってしばしば支えになっている。だからこそ思う、どうしてその時の思い出は消えずに残っているのかと。

 記憶は基準はよく分からないが何らかの選択によって保存され、また忘却する速さにも何らかの違いがあるように感じる。そしてその調整の中で自分の意識が形成されていることになる。機械のようにいかないのはなぜなのか。それを考えることが人間とは何かを考えることになるのだろう。

カメラなら見えるもの

 少し前にカメラマンのKAGAYA氏の展覧会を観た。天体写真を長時間露光で撮影し、肉眼では見えない星空を映し出す。さらに別の時間に撮った映像を合成して幻想的な風景を創出していた。

 私の持っているスマホの夜景モードで夜空の写真を撮ると、小さな星の映像が映っていた。肉眼では(もっともいまの私の視力は人並み以下なのだが)見えないものが見えたのである。解像度の違いで見えるものと見えないものとが分かれるのはこんな身近な経験からも知られてしまう。

 いま見えているものがすべてだと思うのはどうも事実とは異なる。解像度の問題だけではない。対象に対するさまざまなバイアスが見えるものを見えなくし、見えていないものを見たかのように認識してしまう。

 ならば百聞は一見にしかずということわざも考え直さなくてはならない。一見したときに何を掴み、何を見逃したのか。それを問わなくてはなるまい。

悩む意味

 最近よく目にする論法に経験することはやはり重要だというものがある。何でもインターネットで検索し、人工知能が回答を生成する時代となって、ますますその重要性が増しているのだ。ネットで検索して得た知識は抜けるのも早いらしく、ネット健忘症なる言葉まであるらしい。

 これまでも何度も書いてきたが、私たちの記憶は複数の感覚の複合として保存されている。暑いというときには過去の夏の日の思い出が背景に想起される。痛みや苦しみになると具体的な状況まで浮かび上がることもある。知るとはかなり肉体的な行為なのだ。

 私も最近はAIに相談することが多い。本当に大事だと考えることは、いくつかの資料を比較するが、そうでない場合は、この便利なシステムの答えをそのまま受け取ってしまう。すると、その時は便利だが、自分が身体を使って獲得した知識ではないのですぐに忘れてしまうのである。この前も同じことを尋ねたと思うことが何度もある。

 自分の血肉となる知を獲得するにはやはり苦労をしなくてはならないのだろう。苦労と言っても文字通りの苦しみとは限らない。知を得る過程の方に楽しみの発見があることも予想されるからだ。悩み時間をかけることの意味を再考しなくてはならない。そう考える人が増えているのだろう。

漢文訓読体が日本語を変えた

 漢文の研究者が書いた新書を読んだ。何となくそうではないかと考えていたことが学問的に説明されており、大いに役に立った。

 日本語の書き言葉は平安時代の半ばに一度完成する。和文と呼ばれる文体は学校の古典の時間に教えられる古典文法のもとになるものである。しかし、時代とともに和文では書き表せないものが増え、そこに漢文訓読体が影響する。外国語を読むための人工的な文体が、書き言葉のパーツとして使われだすのである。

 先日、戦国時代や江戸時代の武士階級が残した書簡を展覧会で読む機会があった。いわゆる候文で書かれた文章は、漢文訓読そのもののような部分を多分に含み、実用的な文章においてはそれが標準であったことが分かる。

 外国語を読むための言葉が自分の意思を表記する手段となったのは、それほど書き言葉の壁は厚かったのだろう。話した通りに書けばいいと思うのは実は間違っている。現代語でもたとえば「じ」と「ぢ」は書き分けるが、発音の違いはないし、大阪は「おおさか」なのに王様は「おうさま」と書く。助詞の「を」などはよく考えてみれば不思議である。いまでも話し言葉と書き言葉には厳然とした差があり、混同すると学識を疑われる。

 いま書いているこの常体の文章も私が普段人に話すときの言葉とはかなり異なる。かといって、話している通りに書くことには抵抗がある。ブログの世界では少数派の文体で書き続けているのは、私にとってこうでないと正確に書けないからである。気取りとかいう次元のはるか前の問題として。

 だから、漢文訓読体を手本にしていまの日本語の書き言葉の基礎が固められ、それが明治の言文一致運動などを経ていまの日本語の書き言葉になっているというのが事実なのだ。漢文の学習は外国の古典を読むことにとどまらず、日本語がどのように形成されてきたのかを知り、その成果を通して表現力を高めることなのだろう。

夏へのギアチェンジ

 わずかな時間ではあるが体調不良で休まざるを得ない状況になった。気温上昇による疲労が少しずつ体力を奪っているようだ。気をつけなくてはならない。

 少しずつならまだ対応できるが、急激な変動や日較差の大きさがよくないらしい。もちろん基本的な体力が落ちていることも要因の一つだ。いまはバランスを考えてするべきことをしていくしかない。

 何となくではあるが乗り越えなくてはならない何かに今は直面している気がする。ギアチェンジして登りきらなくてはならない。