漢文訓読体が日本語を変えた

 漢文の研究者が書いた新書を読んだ。何となくそうではないかと考えていたことが学問的に説明されており、大いに役に立った。

 日本語の書き言葉は平安時代の半ばに一度完成する。和文と呼ばれる文体は学校の古典の時間に教えられる古典文法のもとになるものである。しかし、時代とともに和文では書き表せないものが増え、そこに漢文訓読体が影響する。外国語を読むための人工的な文体が、書き言葉のパーツとして使われだすのである。

 先日、戦国時代や江戸時代の武士階級が残した書簡を展覧会で読む機会があった。いわゆる候文で書かれた文章は、漢文訓読そのもののような部分を多分に含み、実用的な文章においてはそれが標準であったことが分かる。

 外国語を読むための言葉が自分の意思を表記する手段となったのは、それほど書き言葉の壁は厚かったのだろう。話した通りに書けばいいと思うのは実は間違っている。現代語でもたとえば「じ」と「ぢ」は書き分けるが、発音の違いはないし、大阪は「おおさか」なのに王様は「おうさま」と書く。助詞の「を」などはよく考えてみれば不思議である。いまでも話し言葉と書き言葉には厳然とした差があり、混同すると学識を疑われる。

 いま書いているこの常体の文章も私が普段人に話すときの言葉とはかなり異なる。かといって、話している通りに書くことには抵抗がある。ブログの世界では少数派の文体で書き続けているのは、私にとってこうでないと正確に書けないからである。気取りとかいう次元のはるか前の問題として。

 だから、漢文訓読体を手本にしていまの日本語の書き言葉の基礎が固められ、それが明治の言文一致運動などを経ていまの日本語の書き言葉になっているというのが事実なのだ。漢文の学習は外国の古典を読むことにとどまらず、日本語がどのように形成されてきたのかを知り、その成果を通して表現力を高めることなのだろう。

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