歳を重ねて身につけたことの一つは感情を抑制することだと思う。若い頃ならば許せなかったことを、なぜか今は受け流している。それは必ずしもよいことではないのだが、正気を保つためにはとりあえず役に立っている。
強い驚きとか深い悲しみとか、そういうものに取り囲まれることが時々ある。叫びたくなるような感情をなぜか今は抑えることができる。実際は抑えているわけではなく、結論を先送りしてごまかしているだけなのだ。このごまかしの技術が私をぎりぎりのところで守っている。
このスキルを身につけたことで失ったものは多い。純粋に感情を発露することへの抵抗感が生まれてしまったのは大きい。感動のセンサーが鈍化しかことで大切なことをいくつも見逃してきた。それを感受できなければ表現することもできない。得るべき重要事を見逃し、何かに残せなかったことは私の価値観からすれば、痛恨事である。
ただ、センサーをザルにしたことで深刻な悩みのもとを受け流してきたことはやはり大きなことであった。ある意味ずるい方法ではある。すべてに受けて立つことを放棄した戦略だ。若い頃はこれだけはやりたくなかったが、気づいてみればどっぷり浸かっている。
私の行っている調整は以下の点である。一つは芸術や他者の言動で感動することがあれば、言葉にすること。このブログもその手段の一つだ。負の感情が起きたときには、忘れること、無視することに全力を傾け、それができないときは非公開のノートに書き連ねてしまうことである。こうして不自然な精神状態を少しでも馴化しようとしている。私が毎日、何らかの文章なり、詩歌なりを書くのはまさにそのためということになる。
