話し言葉と書き言葉は現時点でもかなり違う。話し言葉を忠実に文字化すると、かなり意味の取りにくいものになってしまうのは想像に難くない。
前近代においては平安時代の言葉が書き言葉の手本として考えられた。話し言葉は時代ごとに刻々と変化していったのに、それは意識されることもなく規範であり続けたのてある。は
話し言葉が状況に左右されるものであるために、いわば共通言語としての書き言葉が求められたのだとも言える。万人に同じ文法で語れるならばよほど便利であり、効率的なのだから。
話し言葉は変化しやすく、状況や会話の成員によっても劇的に変わる。同じ人物の話し言葉であっても、どこで誰と話しているかによって言葉遣いが変わってしまう。それぞれの文脈に沿って、ふさわしい話し方があるので、特定の個人にとってどれがその人の本当の話し方なのかを決めることはあまり意味がない。その時々において話し手がもっとも伝え易い言葉が選択されている訳である。
そのいわば共通語的な役割を果たしてきたのが書き言葉なのであろう。一定の文法と作法によって成り立っている書き言葉は表現の基準としてあり続けるのである。
話し言葉の自由さと、書き言葉の規範性を私たちはうまく使い分けているということになる。これは結構大事なことであり、その能力がさまざまな災厄を遠ざけている。