ふんわりとした感覚をつかむ

 AIの書けない文章を書くことを目指している。私のブログをNotebookLMに読ませたところ、情緒的であると指摘された。婉曲的に論理性が足りないことを言いたいのだろう。それに反駁するつもりはない。むしろ今後さらに情緒的に書こうと考えている。

 最近、もっとも関心があるのが、あるきっかけで感情が動くという事実だ。それが何なのかはまだ言葉にはできない。ただ、構想はいくら机に向かっても生まれないのに、そぞろ歩きをしているときに突然思いつくことがある。私はそのときに備えて小さなメモ帳をいつもポケットに入れている。大抵はくだらないことなのだが、年に数回は自分にとっては画期的な思いつきが得られることもあるのである。

 その理由とか因果関係とかはよく分からない。恐らく冷静に分析すればトリガーが何なのかは突き止められるのかもしれない。でも大切なのは、発想の転機は必ずしも論理的展開からは生まれないということなのだろう。ふとした思いつき、他人の何気ない言葉から得られることがどれだけ多いことか。

 こうしたふんわりとした感覚をできるだけ言語化することがこのブログの目的ではないかと考えている。矛盾や飛躍があるのはむしろ誇らしいことだ。そう思うようにしている。

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