泥臭いという言葉のイメージが変わりつつある。ネガティブなものから、評価されるものへの変化と言えばいいだろうか。非難の対象ではなくむしろ称賛の域へと変換されつつある。
なぜなのだろう。思うに泥、つまり実体験に裏打ちされた経験が貴重になっているからなのであろう。私たちの日常は有意な情報の蓄積に満たされているが、その大半が経験を伴わない知識である。行ったこともない場所の出来事であったり、一度もやったことがない出来事の成功例を踏まえていたりする。
泥臭いやり方とはそういう他人の知見に頼ることなく、自らの行動で獲得したいわゆる純粋経験に基づいているからこそ貴重なものなのだろう。だから、泥臭いことは決して貶し言葉にはならない。むしろ理想でもある。ただ、今となってはその泥のある場所にたどりつくのが一苦労であり、泥に飛び込む勇気がない。だから、既製品の知識で完結してしまうことが多いのだ。
泥臭い経験をどれだけ積んだのかが、これからの人生には貴重になるのかもしれない。エリート教育にもこの体験を意識して行わせるべきだと思う。