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高温の5月下旬

 予報によると5月下旬はかなり高温になるという。17日以降の最高気温は28℃というからもう夏と言っていい。よく言われるように、最近は春と秋がやせ細り、冬と夏が幅をきかせるようになっている。四季から二季になるというかつては大げさな表現だったものが現実味を帯びている。

 人間の体調不良もさることながら、自然界のさまざまな現象への影響も心配だ。近年深刻化しているクマの被害も気候変動の影響もあると考えられている。これまで通りに生きていけない動物たちが起こす新しい行動が人間の社会に何らかの脅威をもたらすことになる。

 もしこれが地球規模で起きていることであるならば、どうして戦争などしているのだろうか。人類は仲間割れしているうちにもっと大きな力にねじ伏せられてしまうのだろうか。巨視的な判断ができる人材を俟たなくてはならないのか。あるいはそういう見方のできる若者を育成しなくてはならないのだろう。かなり苦い試みになるが、君らの先輩は失敗ばかりしてきた。だから批判的に考え、現状を打破してほしい。そう切望するしかない。

 とりあえず、今年も猛暑あるいは酷暑の日々を過ごさなくてはならないことはほぼ間違いない。それに耐え、正気を失わずヤケを起こさないことが大事だと考える。

八十八夜

 今日は立春から数えて88日目ということで雑節の八十八夜に当たるという。唱歌の八十八夜は茶摘みを歌うが、その実感がなくとも、手遊び歌として広く知られている。今の子どももするのであろうか。

摘まにゃ日本の茶にならぬ

 旧暦には太陰暦の印象が強いが節気などは太陽暦によっており、毎年ほぼ同じ日になる。八十八夜は「米」という漢字を分解するとその数字になることから、稲作とも関連付けられてきた。近年はあまりに気温が高くなる日が早くくるので、この農事暦も修正を余儀なくされている。

 今日も初夏を感じさせる陽気であり、そろそろ半袖でもよさそうと思わせる。事実、通勤電車には上着なしの人が増え、中には半袖姿もいる。季節の変わり目を意識させる一日だった。今日はほぼ満月であり、季節の変わり目を月光とともに感じたい。

気温上昇予報

 今日の東京は最高気温が28℃になるとの予報が出ている。暑熱順化ができていない身体にとっては辛い1日になるかもしれない。一部の地域では天候が荒れるとも報じられている。いまのところ、自分の住まいの近辺は穏やかな青空が広がっているのだが。

 ここ数日、気圧の変化が激しいようだ少しではあるがこの点に関しては気になることがあるので気をつけておきたい。体調不良のときはかなり気になるのだがいまのところは連休への期待感の方が勝っている。

 都会に住んでいても何気ない植物の新緑や、燕やその他の小鳥のさえずりに心が動くことがある。あまりに不自然な日々を送っているがゆえにたまには自然の中に身を置きたくなるのである。

燕来る

 1週間前に実家の最寄り駅に燕が戻っているのを見た。営巣のための場所を決めているかのようだった。例年この駅には複数の燕の巣が架けられる。駅員に理解があることを燕は知っているのだろうか。

 私の住む街でも燕の姿を見かけるようになったが、凝ったデザインの駅舎には鳥の巣はない。人が多ければいいという訳でもなく、何か別の基準があるらしい。

 早口言葉のような燕の鳴き声を聞くとまた一つ季節が進んだことを実感する。

日焼け

 日中外で仕事をしてすっかり日に焼けてしまった。対策をしなかったため、見事に赤ら顔である。湿度が低かったので日陰は肌寒く、2つの季節が同じ場所にあった感じだ。しばらく好天が続く予報だ。

雨が多い春

 雨がよく降るこの頃だ。菜種梅雨というには少し遅い気もする。天気の常識はこの頃通用しないことが多く、更新しなければならないのだろう。春に3日の晴れなしなどというが、最近はもっとサイクルが短く感じる。

 桜はほぼ散って、ツツジが咲きだした。鉢植えのチューリップの中には花をつけたものもある。ハナミズキは順次咲き始め、花の季節なのだが、この雨がなんとも気分を削いでいる。

 この後また暑い季節になるのだろうか。やせていく春の先にあるやけに暑い季節に備えなくてはならない。

新年度

 週単位の仕事をしている業者にとっては今日が新年度の始めということらしい。気温が高めで桜はほぼ満開、春というのにふさわしい日だった。

 中東の困った戦争のため、石油危機の予兆が日々色濃くなり、株式が混乱している。ただでさえ変化の激しいこの時期に要らぬ騒ぎは早く終えてほしい。

 NHKラジオが第2放送をやめてしまったのは残念だ。語学番組などはFMなどで引き継ぐようだが私のような世代にとってはかなり残念だ。インターネットでいつでも放送が再生できる時代にあっては存在意義が薄れたとも言える。AMが二波あったことによる非常時の安心感が少しなくなったのも問題だ。

 年度が変わることで何かを捨て新しいことを始めなくてはならない。社会もこの私も。

桜開花

 東京でもいわゆるソメイヨシノの開花宣言が出たという。東京の場合は靖国神社境内の標準木とされている桜が5、6輪咲くと開花したということにしているらしい。これよりも早く咲く木もあり、遅いものもある。ソメイヨシノがどのようなところにあるのかによっても、周囲の環境によっても開花時期は異なるはずであるから、開花宣言はあくまで目安に過ぎない。

 それでも定点観測的な考えに立てば、去年より5日早いという。満開になるのは25日くらいだという。子どものころ桜の満開といえば4月に入ってからだった記憶している。調べてみると例えば1980年(昭和55年)の満開日は4月6日であった。入学式のころに満開だったのだ。森山直太朗の「さくら」は2003年の発表だが、この年の東京の満開日は4月1日であったと記録されている。その歌詞が別れを歌うものであり、卒業ソングの部類にあたるものだ。この歌が流行ったころは桜が卒業と関連付けられることに少々違和感があった。しかし、今となっては学校によっては卒業式に間に合ってしまいそうだ。そして、入学式には満開を過ぎてかなり散り始めていることになる。

 桜が日本人に愛されるようになったのには様々な要因がある。時代とともにさまざまな意味付けがなされてきた。いまは平和の象徴として桜を見ることができたいいと思う。

線路際の土筆

 線路際の小さな空間にたくさんの土筆が芽を出しているのを見つけた。かつてなら当たり前の風景だったが、アスファルトに覆われた地域に暮らしていると特別な光景のように思える。

 土筆はそれを見たり摘んだりした様々な過去を思い出させるきっかけにもなる。子供のころの思い出、人生の節目の行事に向かう途中で見た風景、困難の最中に救われた風景の映像、それらが湧き上がるように思い出されるのである。その意味ではタイムマシーンのスイッチのような植物である。

 土筆は杉菜の雌花のようなものであり、雑草にあたるものだが、土筆の愛らしさがその価値を保証している。その理由を説明しようとすると結構難しい。

手前の地面に土筆があるのが分かりますか?

 様々な思い出とともに、これからの困難な時代を乗り切るためのエネルギーをこの雑草は与えてくれるのである。

マフラーをもう一度

 このところ寒さが戻り凍えていた。しばらく廃していたマフラーをつけ直してみると実に快適だ。こうして寒さをしのいでいたのだと思い出した。

 もうこれまで何度も書いてきたが、私たちの感性というものは決して絶対的なものではない。常に何らかとの比較をもとに形成され、何を比較の対象とするかで大きく印象が変わるのである。このところの冷え込みが厳しく感じるのは、途中にかなり暖かい日々を挟んだからだろう。もし厳冬の日々を重ねていたら、ここ数日の陽気に春の訪れを感じたかも知れない。現象と印象は別物なのである。

 感覚を相対的に感じることができるのは、人間のような知性を獲得した者の特権なのかもしれない。過去の記憶を基準に現在の感覚を調整するのは人間ならではの認知のあり方なのだろうと考えるのである。

 マフラーを巻くことは間もなく終わるであろう。でもその温もりを、快適さを覚えておかなくてはならない。