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薔薇園

 この季節はさまざまな花が咲く。園芸品種もいまが一盛りあり、梅雨明けを待つ私たちの心やりとなる。最近、隣接する都市の薔薇園に出かけた。まさに盛りの様相だった

薔薇は奥が深い

 薔薇はさまざまな品種改良がなされ、それぞれに魅力的な名前がつけられている。中にはなぜこの名前がと思うものもある。これはつけたもの勝ちなのだろう。

 薔薇のように管理された園芸品種でなくても、実はさまざまな見どころがある。数日前に書いたアザミなどは野趣に溢れるが見どころは多い。植物にはさまざまな生き残り戦略があるが人間に気に入られることで生き残る品種もあるのかもしれない。コバンソウなどは意図したのかは分からない。結果的に刈りにくい雑草の一つにはなっている。

 薔薇のように長い歴史の中で人間と関わってきた品種は限られている。あるときは薬用、あるときは美の象徴、それが権力の表現にもなり、その都度位置づけを変えてきた。現代においても庭園の主役であり、薔薇に形容されることには大きな称賛の意がある。

 だからこそ、終わることのない品種改良が続けられ、その美しさもはかなさも例えようのない魅力となっている。薔薇園はそういった人為の成果であり、ある意味芸術作品ともいえるものだ。その種が生まれるまでのストーリーを考えると公園めぐりも別の意味を帯びてくる。

紫陽花の剪定

 紫陽花を来年も楽しむためには、花期が過ぎれば思い切って剪定してしまうのがよいらしい。そのままにすると、養分が次の花にゆくのを阻害してしまうというのだ。色褪せてからの花にもそれなりの風情はあるので名残惜しいものである。

 野生のガクアジサイの類はそういう人為は受けていないから、それなりに咲くことはできるのだろう。あくまで園芸品種的な咲かせ方として、剪定が不可欠ということになる。

 紫陽花は品種改良が極めて進んだ植物であり、庭園に咲く花もその末のものが大半で野生の逞しさは失われているのかもしれない。にもかかわらず、毎年花をつけるのは、園芸師たちの地道な仕事の成果なのであろう。

アザミは野趣に富む花

 路傍のノアザミに感動することがある。アスファルトのわずかな隙間を割って生えているのに、その風貌は極めて特殊で、野趣に富むということばはこの花のためにある形容である気がしてならない。全身とげだらけようでありながら、どこか可憐な面もある。その棘は煮れば柔らかくなり、食用にもなるという。

 万葉集にはアザミを詠ったものはないが、在来種であることはほぼ間違いないらしい。今頃咲いているのはノアザミという種で、国立科学博物館のサイトでは日本固有種と認定している。万葉に詠まれなかったのは、むしろ日常的な植物であり歌語になり得なかったからかもしれない。

 他の植物とは異なる姿が印象的なので、いわゆる雑草のなかまとは思えず、特別扱いしてしまう。花が終われば特徴的な綿毛ができるのも興味深い。長い間、生存競争を生き抜いてきた植物のたくましさを感じる。もっともそれはアザミだけではなく、すべての動植物に共通するのであるが、この花にはどこか野生を感じさせる何かを感じるのである。

ヒルガオ

 駅の鉄柵に絡みついているヒルガオが花を咲かせているのに気づいた。花期の長い植物であるがその勢いを感じるのはこれからの季節だ。どうやらこの列島には古くから生息していたようで、雑草の分類にするのは忍びない。

 万葉集に見えるカホバナは、いまのユウガオであるという説が有力である。カホには美しいという意味があり、その花の評価は高かったのである。現在のヒルガオと同じだとすれば、その花様に当時の人々も酔っていたことが判明する。そう言われてみれば小花は魅力を増す。

 アサガオはこの植物の下位分類にあてはまる。弱いながらも強かに生き残るのは結実よりも地下茎で冬越しする戦略を選んだからだという。放っておくと一面に広がる強靱さはカホバナの印象とは異なる。厄介だが憎めない植物の一つだ。

 

紫陽花の季節

 6月に入る前から真夏のような暑さになったが、さすがに6月となると間もなく五月雨の予感がする。ただ今年の場合は台風の接近が先行しそうで、その後に雨の季節になるのだろう。この時期の花屋の店先は紫陽花の鉢植えが並ぶ。今年見るものは一層色鮮やかで、私の知っているものとは少しイメージが違う。

 有名な話だが、紫陽花の原種は日本のガクアジサイであり、それが西洋に渡って品種改良が重ねられ、セイヨウアジサイといういまのいわゆる紫陽花になったのだという。土壌の質によって花の色が変わる性質も結果的に結果的には珍重されることになったという。

 紫陽花にはいろいろな興味深い話が他にもある。実は花と思って見ていたのは萼であって、本当の花はかなり質素なものであることや、葉には昆虫類が嫌う微弱な毒素があり、虫蝕を逃れることができるそうである。花の色は地中のpHによるが、アルミニウムの量とも関係しているようだ。万葉集にはすでに現れているが2首にとどまり、それもあまりいい扱いではない。問題ある植物としての評価がこの花の不人気の理由であった。

 いま見る紫陽花はどれも豪華で美しいが、そのようになるまでの長い下積みがあったということになる。

雑草の風景

 今日は気温が下がり雨が間断的に降り続いたが、ここ数日の暑さは近くの風景をすっかり変えてしまったようだ。草むらの丈が一気に延びている。こんなに植物があったのだろうかと驚くのである。

 いわゆる雑草と呼ばれる植物は条件が揃えば一気に成長し、生息域を広げる。少ないチャンスを確実にものにしていく逞しさがある。この点を甘く見ていると、結果的に圧倒されることになるのである。

 少しだけ低温の日があり、今度は一気に暑い日が来ることはほぼ間違いない。少し喉に痛みを感じているのは体温調節がうまくできていないからだろう。雑草に見習いもっと強かに生きていかなくてはならないと思うのである。

こぼれ種

 通勤途中のアスファルトの隙間に、キンギョソウが咲いている。園芸店で売っているものよりは幾分小ぶりだが、同じ形で色も鮮やかだ。その隣にはマーガレットに似た花も咲いている。これらは植えられたものではなく、どこかの花壇から種が飛んで来たか、何者かに運ばれてこの地に芽生えたのであろう。園芸品種の中にもたくましいものは多い。

 同じ場所に昨年まではベニバナユウゲショウというツキミソウの仲間が生えていた。今年はそれに打ち勝ったということになる。植物の世界も厳しい生存競争がある。

 パンジーの仲間も過酷な環境に耐えられるようだ。耐寒性も、浅い土壌も厭わない。スミレの強さを受け継いでいることが分かる。

 近くの公園で幅をきかせていた野草が、草刈機や除草剤で消えてしまった。すると空いたスペースに植物のレースが再開するのだ。人間が手を入れるまでは進化で獲得してきた生存のスキルが陣取り合戦に活用される。そんなふうに思って散歩をするとかなりエキサイティングな風景にたどり着ける。

雨が多い春

 雨がよく降るこの頃だ。菜種梅雨というには少し遅い気もする。天気の常識はこの頃通用しないことが多く、更新しなければならないのだろう。春に3日の晴れなしなどというが、最近はもっとサイクルが短く感じる。

 桜はほぼ散って、ツツジが咲きだした。鉢植えのチューリップの中には花をつけたものもある。ハナミズキは順次咲き始め、花の季節なのだが、この雨がなんとも気分を削いでいる。

 この後また暑い季節になるのだろうか。やせていく春の先にあるやけに暑い季節に備えなくてはならない。

ハナミズキが咲きだした

 桜も散り急ぐ時期になりつつある。早くもツツジの早咲きの花が咲き始め、通勤途中の街路樹のハナミズキも開花し始めている。アメリカヤマボウシはソメイヨシノと交換された日米友好関係の印である。

 ハナミズキを見るとどうしても今のアメリカ合衆国の迷走が気になって仕方ない。超大国の誇りはどうなったのだろう。再び偉大なアメリカにするという大統領のスローガン自体がすでに凋落していることを自認している。せめて、品格を保ちリードしていけばいいのだが、どうも小狡いディールで世界を振り回す国になってしまった。

 ハナミズキが初夏を彩る花であるように、アメリカにも世界平和と秩序の中心になっていてほしかった。どうも覇権は移ろいつつある。混乱の時代にならないように、国際社会ほ叡智を絞らなくてはならない。

桜満開

 旅先の神社の境内の桜がほぼ満開だった。気温が上がり、一気に花開いた。このあとは落花を惜しむことになる。この境内では楠の落葉が花びらに交じり、不思議な光景であった。