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ヒルガオ

 駅の鉄柵に絡みついているヒルガオが花を咲かせているのに気づいた。花期の長い植物であるがその勢いを感じるのはこれからの季節だ。どうやらこの列島には古くから生息していたようで、雑草の分類にするのは忍びない。

 万葉集に見えるカホバナは、いまのユウガオであるという説が有力である。カホには美しいという意味があり、その花の評価は高かったのである。現在のヒルガオと同じだとすれば、その花様に当時の人々も酔っていたことが判明する。そう言われてみれば小花は魅力を増す。

 アサガオはこの植物の下位分類にあてはまる。弱いながらも強かに生き残るのは結実よりも地下茎で冬越しする戦略を選んだからだという。放っておくと一面に広がる強靱さはカホバナの印象とは異なる。厄介だが憎めない植物の一つだ。

 

紫陽花の季節

 6月に入る前から真夏のような暑さになったが、さすがに6月となると間もなく五月雨の予感がする。ただ今年の場合は台風の接近が先行しそうで、その後に雨の季節になるのだろう。この時期の花屋の店先は紫陽花の鉢植えが並ぶ。今年見るものは一層色鮮やかで、私の知っているものとは少しイメージが違う。

 有名な話だが、紫陽花の原種は日本のガクアジサイであり、それが西洋に渡って品種改良が重ねられ、セイヨウアジサイといういまのいわゆる紫陽花になったのだという。土壌の質によって花の色が変わる性質も結果的に結果的には珍重されることになったという。

 紫陽花にはいろいろな興味深い話が他にもある。実は花と思って見ていたのは萼であって、本当の花はかなり質素なものであることや、葉には昆虫類が嫌う微弱な毒素があり、虫蝕を逃れることができるそうである。花の色は地中のpHによるが、アルミニウムの量とも関係しているようだ。万葉集にはすでに現れているが2首にとどまり、それもあまりいい扱いではない。問題ある植物としての評価がこの花の不人気の理由であった。

 いま見る紫陽花はどれも豪華で美しいが、そのようになるまでの長い下積みがあったということになる。

雑草の風景

 今日は気温が下がり雨が間断的に降り続いたが、ここ数日の暑さは近くの風景をすっかり変えてしまったようだ。草むらの丈が一気に延びている。こんなに植物があったのだろうかと驚くのである。

 いわゆる雑草と呼ばれる植物は条件が揃えば一気に成長し、生息域を広げる。少ないチャンスを確実にものにしていく逞しさがある。この点を甘く見ていると、結果的に圧倒されることになるのである。

 少しだけ低温の日があり、今度は一気に暑い日が来ることはほぼ間違いない。少し喉に痛みを感じているのは体温調節がうまくできていないからだろう。雑草に見習いもっと強かに生きていかなくてはならないと思うのである。

こぼれ種

 通勤途中のアスファルトの隙間に、キンギョソウが咲いている。園芸店で売っているものよりは幾分小ぶりだが、同じ形で色も鮮やかだ。その隣にはマーガレットに似た花も咲いている。これらは植えられたものではなく、どこかの花壇から種が飛んで来たか、何者かに運ばれてこの地に芽生えたのであろう。園芸品種の中にもたくましいものは多い。

 同じ場所に昨年まではベニバナユウゲショウというツキミソウの仲間が生えていた。今年はそれに打ち勝ったということになる。植物の世界も厳しい生存競争がある。

 パンジーの仲間も過酷な環境に耐えられるようだ。耐寒性も、浅い土壌も厭わない。スミレの強さを受け継いでいることが分かる。

 近くの公園で幅をきかせていた野草が、草刈機や除草剤で消えてしまった。すると空いたスペースに植物のレースが再開するのだ。人間が手を入れるまでは進化で獲得してきた生存のスキルが陣取り合戦に活用される。そんなふうに思って散歩をするとかなりエキサイティングな風景にたどり着ける。

雨が多い春

 雨がよく降るこの頃だ。菜種梅雨というには少し遅い気もする。天気の常識はこの頃通用しないことが多く、更新しなければならないのだろう。春に3日の晴れなしなどというが、最近はもっとサイクルが短く感じる。

 桜はほぼ散って、ツツジが咲きだした。鉢植えのチューリップの中には花をつけたものもある。ハナミズキは順次咲き始め、花の季節なのだが、この雨がなんとも気分を削いでいる。

 この後また暑い季節になるのだろうか。やせていく春の先にあるやけに暑い季節に備えなくてはならない。

ハナミズキが咲きだした

 桜も散り急ぐ時期になりつつある。早くもツツジの早咲きの花が咲き始め、通勤途中の街路樹のハナミズキも開花し始めている。アメリカヤマボウシはソメイヨシノと交換された日米友好関係の印である。

 ハナミズキを見るとどうしても今のアメリカ合衆国の迷走が気になって仕方ない。超大国の誇りはどうなったのだろう。再び偉大なアメリカにするという大統領のスローガン自体がすでに凋落していることを自認している。せめて、品格を保ちリードしていけばいいのだが、どうも小狡いディールで世界を振り回す国になってしまった。

 ハナミズキが初夏を彩る花であるように、アメリカにも世界平和と秩序の中心になっていてほしかった。どうも覇権は移ろいつつある。混乱の時代にならないように、国際社会ほ叡智を絞らなくてはならない。

桜満開

 旅先の神社の境内の桜がほぼ満開だった。気温が上がり、一気に花開いた。このあとは落花を惜しむことになる。この境内では楠の落葉が花びらに交じり、不思議な光景であった。

桜開花

 東京でもいわゆるソメイヨシノの開花宣言が出たという。東京の場合は靖国神社境内の標準木とされている桜が5、6輪咲くと開花したということにしているらしい。これよりも早く咲く木もあり、遅いものもある。ソメイヨシノがどのようなところにあるのかによっても、周囲の環境によっても開花時期は異なるはずであるから、開花宣言はあくまで目安に過ぎない。

 それでも定点観測的な考えに立てば、去年より5日早いという。満開になるのは25日くらいだという。子どものころ桜の満開といえば4月に入ってからだった記憶している。調べてみると例えば1980年(昭和55年)の満開日は4月6日であった。入学式のころに満開だったのだ。森山直太朗の「さくら」は2003年の発表だが、この年の東京の満開日は4月1日であったと記録されている。その歌詞が別れを歌うものであり、卒業ソングの部類にあたるものだ。この歌が流行ったころは桜が卒業と関連付けられることに少々違和感があった。しかし、今となっては学校によっては卒業式に間に合ってしまいそうだ。そして、入学式には満開を過ぎてかなり散り始めていることになる。

 桜が日本人に愛されるようになったのには様々な要因がある。時代とともにさまざまな意味付けがなされてきた。いまは平和の象徴として桜を見ることができたいいと思う。

線路際の土筆

 線路際の小さな空間にたくさんの土筆が芽を出しているのを見つけた。かつてなら当たり前の風景だったが、アスファルトに覆われた地域に暮らしていると特別な光景のように思える。

 土筆はそれを見たり摘んだりした様々な過去を思い出させるきっかけにもなる。子供のころの思い出、人生の節目の行事に向かう途中で見た風景、困難の最中に救われた風景の映像、それらが湧き上がるように思い出されるのである。その意味ではタイムマシーンのスイッチのような植物である。

 土筆は杉菜の雌花のようなものであり、雑草にあたるものだが、土筆の愛らしさがその価値を保証している。その理由を説明しようとすると結構難しい。

手前の地面に土筆があるのが分かりますか?

 様々な思い出とともに、これからの困難な時代を乗り切るためのエネルギーをこの雑草は与えてくれるのである。

花咲く春

 昨年の晩秋に植えていた球根がこのところ急に芽を出している。しかも毎日成長しているのが分かる。気温が上がり、雨も降ったので植物にとっては次段階へのキューが出たのだろう。花が咲くまでは楽しみな日々が続く。

 植物だけではなく、いろいろと仕込んできたことが形になるのがこれからの季節だろう。私にとっては日々の生活の中で少しずつ続けてきたことが評価されるのを待つ日々だ。このブログも随分続けている。そろそろ次の段階のための仕組みを始めよう。もっともきれいな花は咲かないが、私にとって少しだけ気が晴れる一瞬をもたらしてくれるはずだ。

 本当はただ連続しているだけの時間なのかもしれない。そこに春を設定することで私たちは随分救われるということは間違いない。