また台風が接近している。今回は2つの台風が連続して接近するという。8号の方は強い風を保ちつつ進んできており、9号は台風としてはレベルが低いものの、南海上から湿った空気を大量に運搬しているために今回は水害も懸念されている。
明日、明後日の計画が変わる可能性がある。締め切りのある仕事が並んでいるために、天候によって出勤不可能となった場合を想定すると、今日は一気に忙しくなる。優先順位を決めて、全力疾走ということになるだろう。
日々の思いを言葉にして
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6月に入る前から真夏のような暑さになったが、さすがに6月となると間もなく五月雨の予感がする。ただ今年の場合は台風の接近が先行しそうで、その後に雨の季節になるのだろう。この時期の花屋の店先は紫陽花の鉢植えが並ぶ。今年見るものは一層色鮮やかで、私の知っているものとは少しイメージが違う。
有名な話だが、紫陽花の原種は日本のガクアジサイであり、それが西洋に渡って品種改良が重ねられ、セイヨウアジサイといういまのいわゆる紫陽花になったのだという。土壌の質によって花の色が変わる性質も結果的に結果的には珍重されることになったという。
紫陽花にはいろいろな興味深い話が他にもある。実は花と思って見ていたのは萼であって、本当の花はかなり質素なものであることや、葉には昆虫類が嫌う微弱な毒素があり、虫蝕を逃れることができるそうである。花の色は地中のpHによるが、アルミニウムの量とも関係しているようだ。万葉集にはすでに現れているが2首にとどまり、それもあまりいい扱いではない。問題ある植物としての評価がこの花の不人気の理由であった。
いま見る紫陽花はどれも豪華で美しいが、そのようになるまでの長い下積みがあったということになる。
ドキュメンタリー番組である地方の漁師は風雨の到来を山にかかる雲の色や形で予見するのだというのを知った。それが気象学的に裏付けられたとしても、漁師の判断はそれとは別に行われる。
経験知という括りでは広すぎるが、理屈ではなく経験上の知恵として知っていることは実は多い。理論は後付けであり、幾度か修正されて現実に近づく。
私がかつて住んでいた所では山がいつもよりはっきりと見えるときは雪が降る前兆ということだ。かなりの確率で当たり、その明瞭度が高ければ高いほど積雪が多かった。
都会に住むようになってこうした体感的な知識の要素は著しく縮小してしまった。第一、空の様子とか、遠くの風景を眺めることが減ってしまった。人工物だけを見て毎日を過ごしている。天気はスマホの画面から確認する。現在の気温ですら肌で感じる前にスクリーンで確かめている。
体感的な要素を失うことに不安を感じる。昨日と今日はかなり気温が高い。この時期、こういう日の後は天候が荒れて極端に寒くなりやすいということは感じている。これももはや他からの知識なのか経験知なのか分からなくなっている。でも、自ら感じ取ることはやはり大切だ。
今日の午後は東京の各地で豪雨があり、一部障害が発生したところがあった。大気が不安定であり、一時竜巻注意情報も出されていた。大気が不安定になったのは異常な高温で加熱した地表と上空の温度差が広がったためと考えられる。東京のようにアスファルトで地表面が覆われた場所では特にその傾向が起きやすいのではないだろうか。
加えて北関東のように周囲を産地に囲まれた場所では、東京などの都市部で暖められた気温と、山越えのいわゆるフェーン現象による高温が複合して異常な猛暑になる可能性があり、そこで発生した雨雲が時に豪雨となって被害をもたらすのかもしれない。
様々な要因が複合して大気が不安定になっている。人間ができることは限られているが、せめてアスファルトやコンクリートなどの露出を少なくして、緑化したり熱量を吸収する何らかの仕組みを開発するべきだろう。今年のような夏が続けば必ず大きな被害が発生するはずだ。その前にできることは何があるのかを考えてほしい。
英語のことわざにIt never rains but it pours. というものがある。降れば土砂降りと訳されている。今年の梅雨はこれを地でいっている。入梅までが長く、梅雨入り宣言が出てもあまり降らなかった。ところが今日はかなりまとまって降っている
英語のことわざの意味はよくないことは突然たくさん起きるものだという意味らしい。経験上もそういうことはある。というより、そういう惨事が記憶に残るということなのだろう。
土砂降りは西日本ではもっと深刻らしく、家屋や道路への浸水、河川の氾濫、土砂災害などの危険性が増しているらしい。これはこのあと東日本でも起こる。最低限の被害で済むよう祈るしかない。
天気の方ではない土砂降りも覚悟しよう。だめな時はだめなのだ。そこで東洋の知恵、人間万事塞翁が馬を想起しよう。禍福は糾える縄の如し。