価値観の相対化

 小学生のとき父の転勤で一家は福岡市に引っ越した。両親にとっては何回目かの引っ越しですでに手慣れたものだったようだ。今になってみるとそう思う。ただ低学年の小学生だった私にとってはまるで外国に行ったかのような急激な環境の変化だった。

 まずは言葉が分からないことだ。そして普通に話す東京方言が「つやつけとう」とみなされ拒まれる。父親が何も考えずに買い与えた野球帽のHTの合字のロゴが(関西に無関係の家庭の息子になぜこの帽子を被せたのかは分からない)地元の小学生には気に食わないらしく、太平洋クラブライオンズの帽子を被るように注意された。

 私にとっては福岡での生活は夢のように過ぎ去った。地域のソフトボールチームに無理やり入れられて2軍ながら、そこそこ勝って地域のオヤジたちにほめられた。その地域のさまざまなな環境下の友人と付き合い、友情の素晴らしさと、子どもらしい残酷さとを味わった。浮浪者と呼ばれた被差別階級の生活を垣間見たのもこの時期だった。決して理想化できないが、世の中とはこういうものという原体験ができたのである。

 東京に転校して田舎者の逆差別を受けても、私は動じなかった。子どもとは違う価値観を何となく身につけていたのだ。担任からも変わり者だと評されたが、なぜか達観できた。母が先生は何も分かっていないといったことを言ってくれたのも助けになった。

 今の自分に繋がる精神的な財産があるとすればこの転校の繰り返しによる価値観の相対化が身についたことだと思う。自分の考える正義なり、よいことはもしかしたらほかの人にはそうでもないかもしれない。当たり前と思っていることは他の人には奇異なことである可能性がある。こういうことを理屈ではなく経験で知らしめたのが私の少年時代なのである。

 なかなか決断できない優柔不断さ。物事の判断を価値観の違いに帰してしまうずるさも、このときから生まれている。転校続きの子ども時代を恨んだこともあるが、今となってはそれも意味があったと考えることができるようになっている。

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