また台風が接近している。今回は2つの台風が連続して接近するという。8号の方は強い風を保ちつつ進んできており、9号は台風としてはレベルが低いものの、南海上から湿った空気を大量に運搬しているために今回は水害も懸念されている。
明日、明後日の計画が変わる可能性がある。締め切りのある仕事が並んでいるために、天候によって出勤不可能となった場合を想定すると、今日は一気に忙しくなる。優先順位を決めて、全力疾走ということになるだろう。
日々の思いを言葉にして
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台風が来るかもしれない。現在はフィリピンの東海上にある台風7号はすでに中心気圧が935hPaに達しており、瞬間最大風力が秒速70メートルに達しているという。予報によれば偏西風に乗って九州に上陸する可能性も出てきたらしい。この影響で梅雨前線が刺激され、九州は23日から25日にかかて大雨が降る可能性があり、その後は暴風雨となり、長い間雨量が増加する可能性があるという。
今のところ関東への影響については確定的な予報はできないようだが、最悪の進路の場合は被害が出る可能性もある。東京の予報では木曜から金曜にかけてはかなり降水確率が高くなる。さらに金曜以降は気温も上昇し蒸し暑くなる可能性がある。気が付けば6月もあと8日を残すのみ。梅雨は後半になるほど被害が出やすいようだから、一層の警戒が必要だ。
とりあえず、このところ自分にとっては難題が押し寄せている昨今の在り方を何とか乗り切らなくてはならない。天災に負けてはいられない。
地震を人工的に起こすことは現代の科学ではほぼ不可能だ。微弱な地震を核爆発などを使って発生できても、いわゆる震災を起こす地震を人為的に起こすことはできない。地震のエネルギーは桁違いに大きく、人類がこれまでに開発した最大の核爆弾を使用しても震災レベルの地震を起こすことはできないという。
それなのに地震陰謀説が出るのはなぜだろう。予測不可能な地震の発生を誰かのせいにしなければやりきれない切実な思いの為せるわざなのだろうか。その背景には不如意な日常に対する不安もしくは不満があるといえそうだ。自分を取り巻く好ましくない現実は、きっと何者かの陰謀で仕組まれたものであると言いたいのである。
科学的な言説はこの場面ではほぼ無視される。あるいは理解していても分からないものとして判断停止されてしまう。人工地震が人々を襲うという幻想がまことしやかに語られるのは、社会不安の変形と言うことなのであろう。
東北の地震が心配だが、今日は大きな余震はなかったようだ。天災と言えば黄砂が飛来しており、かなりもやか出でいるところもあるという。私は実感することはなかった。
日本に住む者にとって様々な天災は不可避であり、受け入れざるを得ない現実である。どんなに飾ってもこの事実を変えることはできない。日本人は天災とともに刻んできた歴史を忘れることはできない。その中で生きることに適応してしまっている。
地震などの不規則、予想不可能な災厄を示されたとき、私たちは無力感を覚えるとともに、その事実を受け入れる覚悟を習得する。習慣化するといった方がよさそうだ。恐れながらも諦めない。これがこの国に住む者の深層にある。
今回の地震に大きな余震がないことを祈る。それ以上何もできないが、遠隔地の出来事と考えずにいることが大事だ。
運転中にラジオから久しぶりに緊急地震速報を聴いた。ベルのような警報音はやはり何度聴いても緊張してしまう。結果的に私の住む地方はほぼ無感で、震源地近くでも震度4程度で津波もなかった。
このところ日本各地で強めの地震がたびたび発生している。青森や山陰は実質的被害が出ているらしい。地震の多い我が国にとってこれは宿命である。多くの国民は震度4までの地震では動揺しない。それは耐震構造の住居が普及していることもあるが、それよりも慣れによるものと言える。
パニックにならないのはよいことだが、あまりに無警戒になってしまうと、本当の大地震のときの備えが疎かになってしまう可能性がある。かくいう私も特段の備えはないし、避難経路や1次避難場所の確認もできていない。
おそらく私の生きている間に何らかの大災害の影響を受けることは高い確率である。その時にどう振る舞えばよいのか。何をすればよく、してはいけないのか。そういうことを確認しておかなくてはなるまい。地震速報を聴く度にそのようなことを思う。後は実行に移すだけなのだが。
関東南部は激しい雨と雷のために交通機関に大きな影響が出た。幸い私の使う路線は遅延のみであったが、かなり長い時間運行停止の路線もある。局地的な雨であったため、路線ごとの違いが際立ってしまった。
ここまでの猛暑の影響なのか。およそ東京とは思えないほどの大雨である。排水が間に合わなくなった地域は冠水した。短期的な集中豪雨のための対策は課題である。地下道への雨水流入を防ぐために何をすればよいかも考えておかなくてはならない。
私の使う駅にはごく小さな土嚢のようなものが置いてある。それをどのように使うのかについて、告知することも必要かもしれない。係員がその場に駆けつけられる保証はないのだから。
災害はいつも不意打ちだ。予告がなくても何ができるかを考えることは、災害大国で暮らす私たちにとっては不可欠の知恵である。
カムチャッカ半島を震源とする地震で津波が発生し、日本の各地でも津波が到達している。津波は時間をおいて何度も押し寄せ、場合によっては第二波以降の方が高くなるという。今のところ40㎝が最高位であるが、この後も油断できない。なお30㎝の津波でも人命を奪う威力があり、全く油断ができない。津波は線ではなく、面として海面が上昇することで、人間の力では耐えることができない。なるべく早く避難するしかない。被害者が出ないことを祈る。
トカラ沖で地震が群発している。例の漫画家の震災予告と偶然近場で起きているので、気味悪がっている人もいるのだろう。
東日本大震災の後、日本各地で起きた地震の記録を見ることが暫く続いた。三陸沖の余震は数多く、中には緊急速報レベルのものもあった。その他で多かったのが熊本付近と能登付近、そしてトカラ沖だった。熊本や能登では大地震が発生したが、後付けであれが前兆だったとは言えるが、リアルタイムでは分からない、それほど日本では小さな地震が毎日あちこちで起きている。
トカラ沖の地震は小規模なものが長く続くのが特徴だ。今回、大きな地震になっているのは珍しい。ユーラシアプレートの下にフィリピンプレートが沈み込む位置にあるのが地震多発の原因らしい。
なのでこれが予言の結果というわけではない。もともとここは多発地域なのだ。日本で大災害が起きるからといって航空便がキャンセルされる事態になっているようだが、デマに過ぎない。
ただ、日本はもともといつ大きな地震が起きてもおかしくない地理的条件にある。大震災は明日かもしれないし、数十年後かもしれない。日本に来る人はその点は覚悟してほしい。言えることは、地震があるのが当たり前の国では、他国より地震の被害は食い止められるということだ。
震災デマを信じて日本に来ないのも一策だ。ただ、「その日」を過ぎても日本はいつでも地震や台風などの天災に襲われうる。にも関わらず、ここまで発展できた訳をお知りになりたいのなら、ぜひお越しいただきたい。きっとお分かりになるはずだから。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって生じた変化にどのように適応しましたか ?
私はコロナウイルス対策に恐らく2回蝕まれた。1度目は病院でコロナウイルスは陰性と診断されたがそのときのほうが症状は重かった。2度目は明らかに感染したと思われるものだ。当時流行語になっていたエッセンシャルワーカーの一員である私は、自宅勤務などの選択はできず、ソーシャルディスタンシングも実現不可能だったから、当然の結果だった。
病状としてはかなり厳しい数日間と隔離処置対象となった数日間で、体力よりも精神の方が侵食された気がする。コロナウイルスの真の破壊力は社会との隔絶の理由を無批判で実効化してしまうことだった。
周囲の仲間たちが交代で病魔に犯される状況で、私が得たのは現状を深く考えず、最終的な利益を考えることだったのかも知れない。何歩か後退することは仕方がない。最終的に少しでも前進できたならそれでよいのだという割り切りだ。パンデミックには抗いがたいが、波を乗り越えた後に生存できていればそれでよく、できれば数ミリでも前進していれば成功だと割り切ることができたことかもしれない。
完璧主義な人には理解し難いであろうが、緊急時に現状維持はすでに勝利である。場合によっては少々の後退でも勝利の範疇に入る。そういう考えを持てたのがコロナ禍で得た教訓なのかもしれない。