分かりやすさは理想とすべき目標の一つだが、大切なのは高度に検証された内容を分かりやすく語ることである。単に安易でありその実がなかったり、間違っていたりするならば害にしかならない。最近はあまりにも分かりやすくしようとするために内実が貧困になっているものがある気がする。
高度に複雑であり、理解に専門性が求められるものやことに対しては、過程を飛ばして結果だけを得るということが多く行われている。よく分からないが使ってみれば便利だとか、どんな背景があるのか分からないが、言っていることはよさそうだといった感じで分かり易い言説は受け入れられている。ブラックボックスのことは考えずに、そこから出てきた魅力的な回答だけをいただく、そんなことはいくらでもある。
解答を短絡的に求める志向性は、残念ながら学校教育で形成されているのかもしれない。短時間で回答を求め、とりあえず想定された正解を答えることでよしとされる。それは現今の教育のあり方そのものだ。
だが、今は正解と考えられることも、時代とともにそうは考えられなくなることはいくらでも実例がある。価値観が変われば評価の軸は変わってしまうのである。
