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レンタルでもいい

 レンタカーを利用する機会があった。今はとても安価に借りられるし、車も悪くない。手続きも簡単だ。毎日乗らないのならこれでもいいのではないかと考えてしまう。

 借りるといえば本にはあまり抵抗はない。図書館は子供の頃から利用していた。学校で積極的に借りなさいと教えられてきたこともある。抵抗がない。日本には江戸時代から貸し本屋が存在したようで、商売として成り立っていた。蕎麦の値段くらいで借りられたというから、本が貴重だった時代の読者数を増やす役割を果たしていたと言える。現代でも漫画のレンタルはある。どうしても蔵書したいものを除けば、借りるだけでいいのかもしれない。

 ひと頃はビデオやCD、DVDもレンタルが流行した。どれだけ利用したか分からないほどだ。その他、観光地でのいろいろなアイテムの貸し出しもよく使った。中には少し高いのではないかと思われるものもあったが、個人で購入しても次にいつ使うのか分からないものは借りてしまう方がいい。

 医療でも入院時のベッドは見方を変えればレンタル商品であり、松葉杖や車椅子も貸してもらえる。対価を支払えばいろいろなものが他者との共有ができるということになる。ならば借りられるものは借りた方がいいのではないか。

 個人所有を譲れないものもある。自分が愛着を持っているものはその中の代表だ。高価だとか貴重品だとかいう理由はその一部にすぎない。たとえ他の人には無価値なものであつても、他者とは共有したくないものもある。これはレンタルの対象にならない。

 それ以外のものはシェアするやり方をもっと進めてもいいのかもしれない。それには産業構造なり、経済活動のあり方を変えてゆかなくてはならないだろうが。大量生産大量消費がいまや地球規模の災害を引き起こしていると考えられている中で、発想の転換が必要なのは確かであろう。

 考えてみれば、自分という生命体はこの世界を他者とシェアしており、決して自己所有のものではない。自分のものと考えていることの多くはそう思いたいという願望なのだろう。

始めること止めること

 このところ休みが取れて読書したり、いろいろ考える機会を得た。以前ほど集中力がないので、短期集中を心がけたが、やはりすぐに眠くなってしまうのは身体的問題であると割り切ることにした。気持ちはあるが身体ついていかないのだと。

 ところが、自分のやりたいことだけをやってみたところ、少しも眠くならない。むしろ時間が経つのを忘れてしまうほど熱中できたのだ。私の資質はここにあるらしい。出来高は無関係とするならば、関心を持ったことは懲りることなく続ける。そういう質なのだ。

 それなのに、いろいろな事情があってやりたくなかったことをやらされる。それが金になるから、ついやり続けてしまう。これまではそのことに気づくと思考停止をすることで深入りを避けてきた。日常を乗り切れたのはこの働きのおかげだ。

 ただ、どうだろう。少し考え方を変えてもいいのかもしれない。日常のなかでも少しずつ自分のやりたいようにできる時間と余裕を作ろうと考え始めている。そのためには止めることもいる。何かを始めるためには何かを止めなくてはならない。それを始めるのが9月の目標である。

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自炊をしていた頃

 自炊を始めたのは単身赴任の父のもとに母が時々「救援」に行った期間のことであった。私は大学に入っていたが、弟は高校生だったと思う。自炊といっても、出来合いのものを温めるようなものであったが、弟などは魚屋でイワシを買ってきて刺身にしたりしていた。わが兄弟のサバイバル料理はこのころから始まったと言える。

 私にとって本格的な自炊の始まりはひょんなことでいきなり地方生活になった私の境遇による。富山県魚津市に勤めることとなり、住まいは隣市の黒部市になった。その頃は市内にコンビニエンスストアがなく、大抵の店舗が夜8時には閉店した。それに間に合わないと酒も買えない。アルコールの自販機はなかったからだ。

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 最初に覚えたのはなぜか親子丼だ。料理の教則本のようなものを見ながら、作ってみると意外にいけた。調味料の配合比をその都度計量スプーンで正確に測っていたからだろう。だんだんいい加減になり、日によって少しずつ違う味付けになるようになったが。酒のつまみにこんにゃくを炒めたものをよく作った。これもなぜか手に入れた独身男性向けの料理の作り方ビデオで学んだものである。その大半は酒の肴の類で結果的に家で飲む酒も増えることになった。

 富山は魚がうまい。いわゆる高級魚は都会の方がいいものが手に入るのかもしれない。いいのは下魚と呼ばれる魚だ。黒部市の生地の付近では「なんだ」という魚が切り身としてパックで売っていた。結構な量で100円足らずだ。いつも切り身で売っているので魚の正体は分からなかった。今調べてみるとタナカゲンゲというそうで、ナンダは黒部市付近での方言だという。深海魚らしくカニ漁での網にかかるのだそうだ。見た目はあまりよくないが鍋にするとかなりうまい。ひところはこればかり食べていたこともある。もっと有名なゲンゲも美味だったが、これらの魚は鮮度が落ちやすく県外には流通しない。地元でのみ食されたものであったようだ。いまはそのうまさが知られて、高級食材のように扱われているところもあると聞く。社会人になりたての私にとってはこうした格安の魚は実にありがたいものであった。

 ほかにも卵が1パックで1円(ただし、他の物を500円以上買った場合のみ)とか、富山県の伝統野菜ともいえる赤かぶやかもり(賀茂瓜)なども試してみた。赤かぶは簡易漬物器で塩漬けにしてよく食べた。そのころは何でも自分で作ろうとしていたし、作れないものは食べられなかった。いまは外食をよく利用するが、その頃は入りやすい店がなかったのに加えて、一人暮らしを始めたばかりの気負いもあって、職場の飲み会(これが多かったが)がない日はすべて自炊であり、インスタント麺を使うことも少なかった。

 外食産業が発達しておらず、閉店時間が早いというのは今では不便そのものとみなされるだろうが、いろいろな能力を育ててくれる大切な機会であったと思う。便利なことがいいわけではない。そんな当たり前の結論の話である。

 

世が世なれば

 すでに引退した先輩が私を何かと褒めてくれたことばがある。君は世が世なれば大物になっていたはずだと。今風にいえば別の世界線に立てば君は成功者だとでも言うのだろうか。読者の皆さんもすでにお気づきだろうが、ありもしない「世」をどれだけ想定しても、現実世界では虚しいばかりだ。それをたびたび私に話してくれた先輩は、それが思いやりだとお考えだったのだろうか。

 私のこれまでの人生は多くの人に比べてもさほど起伏に富んだものとは言えない。子どものころに転校が多かったこと、最初の定職が地方都市であったこと、さまざまな失敗を積み重ねてきたこと。それらも多くの人に共通することであろう。いろいろな人生の節目で、人生の変節点を感じたこともある。そして別の岐路に行けば違う人生が待っていたはずと思うこともある。

 これも自分だけではなく、どんな人にもあることだ。それなのに、時々別の生き方をしていたらと考えてしまうことがある。今よりもっとましな人生があったのではないかと。先輩の「世が世なれば」という言い方はこうした妄想にやさしくカバーを付けてくれていたのかもしれない。別の世はない、いまの生き方を行くしかない。とにかく今を生きましょうと。私自身がその先輩と同年齢に近くなり、その思いやりに気づけるようになったのかもしれない。

できることできないこと

 自分ができることができない人に出会うと哀れだと考えてしまうことがある。こんなこともできないのだ。きっとなにか訳があるのだろうなどと。

 しかしこれは他人事ではなく、自分もまたできないことが他人に露見したときに同じことを思われている可能性がある。このくらいのことができないのかと蔑まされるか、哀れみの対象になるかは実に相対的なものだ。

 優位の基準も時代により地域により立場により異なる。方程式が解けないことや、読解力がないことは現今の価値観からすれば劣位に置かれて然るべきだろう。ただ、どうしたら植物を安定して育てられるか。効果的な魚釣りの方法を理解しているのかという別の基準を持ち出されたら、まったく違う結果になる。

 人にはできることとできないことがあり、それらを補いあってこそ集団の力が発生する。なのに、ある一つの物差しを絶対化して、それ以外を無意味化するのは実生活と乖離しているというしかない。私たちは一人では生きられない生物であることを思い出すべきなのだろう。

思い出は

 思い出は積み上げていくものだと思っていたが、実はそうでもない。零れ落ちていくものが多くて、過去を保つことはできないからだ。いつの間にか自分の記憶の世界が痩せていく。でも、それは仕方がないことなのだ。

 細胞単位では私たちは常に新陳代謝を繰り返し、いくつもの過去を捨て去り、新しい何かを生み出している。その収支のバランスがうまくいかなくなるとその先にこの世の終わりがあることになる。だから思い出も日々更新してくものだと考えなくてはならない。

 過去の成功にこだわらず、まして失敗にも左右されず、これからのことを考えなくてはならないのだ。私はこの歳になってさまざまな覚悟ができない自分に焦りを感じている。

求人広告

 近年、この場所でと思う求人広告がある。例えば実家のある町でバスの行先を示す先頭の電光掲示板にバス運転手募集と書いてある。駅前の発車時刻前の待機時間にこのサインが光り続ける。おそらく運転手のなりてが少ないからこその訴えなのだろう。

 ファストフードの店にもアルバイト募集の告知をよく目にする。時にはかなり大きく、商品の宣伝以上のスペースで募集している。これもおそらく人手不足を訴えているのだろう。我が国の労働市場は安価な非正規雇用に頼りすぎている。安い労働力を求めて従業員を使い捨てにする現状から、アルバイトで働くことを求めているが、本来は正規社員待遇で企業の型を作っていくべきなのだろう。私たちは人間も大量消費の対象にしてしまったのである。

 おそらく、縮小していく日本経済においては人材確保は焦眉の急の課題だ。外国人労働者を充てる手法で今は切り抜けているが、彼らを使い捨てしていることが恒常化すれば、やがて日本は選ばれなくなる。それより自分の組織に適合した人材をしっかりと雇用し、その精度を上げていくことこそが大切なのだと思う。日本はこれまでのように大量生産の国ではなくなる。価格は必ずしも安くはないが、質が高く安心できる商品なりサービスを提供できるものとして世界に認知されるべきなのだ。それにはその組織の成員はプロフェッショナルでなくてはならない。労働者を使い捨てするやり方ではこの国の未来はないのだ。

 求人広告が商品広告よりも大きくなってしまった事態を私は大いに憂うのだ。魅力的な企業であり、待遇もよければ広告などいらないのではないか。


















避暑空間

 酷暑日という言い方は以前からあり、私もブログで使ったことがある。一種のブラックジョークのようなものと思っていたが今年から正式名称昇格してしまった。すでに観測点がいくつも出ている。もはやSFの世界ではなく、今ここにある危機である。

 こうなると冷房というシェルターがなければ生存すら脅かされる。公的機関は避難所扱いで空調の効いた空間を提供すべきだ。民間施設も有料でもよいので酷暑避難所を開設してほしい。これももはや架空の話ではない。

 喫茶店や図書館など気軽に使える避暑空間をどれだけ知っているのかも重要だ。自宅のエアコンが万一故障しても逃げ場があることがこれからは死活問題となる。

文章を書くという癖

 文章を書くのが好きになったのはいつからだったろう。夏休みの絵日記の類は葉月晦の作になっていた。おそらく日記というものは苦行以外の何物でもなかった。それがブログ書きになっているのはものすごい皮肉な笑い話だ。

 長い文章を書いたのは旅行したときの印象を書き出したことだと思う。図らずも私の日記は紀行文から始まっている。特別な体験は文章に残したくなるというのが自然の成り行きなのだろう。どこそこに着いたとか、何を見たとか、そういう他愛もないことを書いていた。

 ネット時代になってブログという存在に気づいてからは日記というよりは随想を書くようになった。それもこの二十数年の間で少しずつ変化して今の形になった。いまや生活の一部であり、特別な経験がなくてもよくなっている。

 私の場合はこれが存在の自己確認手段の一つであり、明日もまた同じ行為をすることを何となく目標として考えている。すでに癖であるともいえそうだ。

スニーカー通勤

 最近、スニーカーを履いている女性が増えている。それも通勤時にスーツと積み合わせている人も多い。私は個人的にはいいことだと考えている。

 働く女性の靴といえばヒールの高いものとかつては決まっていた。おしゃれというより一種のルールとしてヒールのある靴は当たり前とされていたのだろう。身体によくないことは明らかだし、運動能力も低下してしまう。スニーカーはそうした弊害を除くには当然の履物だ。

 ただ、いまだスニーカーの選択には考慮すべき点があるように感じる。着ている服とのコーディネートを考え色や形を選ぶべきだと思う。スーツに合う履物をデザインすることも必要であろう。

 少し心配なのは、ハイヒールに代わるものとして超厚底の靴を履く人がいることだ。身長を高くし、足を長く見せる効果はある。ただ、重心が上に行くことによる危険性の方がはるかにまさるのではないか。

 履物とは何なのか再考しなくてはならない。日ごろからいろいろな履き替えを要求されているからであろうか。大変気になる問題なのだ。