お土産を買う文化は世界共通ではないようだ。友人や同僚、近所の人々に土産を買うことは日本人にとっては当たり前の行動であり、これが観光産業を支える要素の一つになっている。旅先だけではなく、コンサートグッズや美術館や博物館のショップも結構賑わっている。
私たちはその地に行ったこと、何かに参加したことを物に残そうとする思いがあるのかもしれない。経験は時間とともに消え去るがものにすれば少しその消滅を延長することができる。土産に多いキエモノは比較的すぐになくなるが、少なくともそれが消費されるときに経験が想起されることになる。他者に贈るモノは自分の管理から離れるが、少なくともそれを贈与する段階で、自分の経験は意味を持ち、うまくいけば人間関係の強化につなげることができる。真の目的は他人の好感を得ることでも見返りを期待することでもない。自分の経験を意味あるものにして、思い出すための手段なのであろう。
だから、他者から土産をもらったときはその品物に対する評価よりも、送り主がした経験の意味を高めることをした方がよさそうだ。どんな旅だったのか、どんな経験をしたのか。それは実に素晴らしく、羨ましいと一言言えば土産を送った人の満足度を高めることができるのである。送る方はそれを実は期待しているはずだ。贈るだけで自己満足は得られるものの、リアクションによってそれ以上の報酬を得ることになるのである。
贈答によって人間関係を堅固にしてゆく文化は世界各地にあるが、日本においてはそれが顕著に見られる。盆暮れの消費行動はその一つだ。特別な経験のあとにある土産物を贈る慣習もこれに含まれる。近年これを虚礼として廃する傾向にあるが、もしかしたらそれによって自分の経験の価値自体を貶める結果に至ってしまったのかもしれない。
