私は字が汚い方ではないと思っているが、それを他人にも読ませることを想定すると途端に自信がなくなる。何とか読める字なら問題ないが読みたくなる字が書けないと思う。効率化の時代に逆行し、読みたいと思う書体を追究してみたい。
いわゆる伝統的な草仮名はとても魅力を感じる。多彩にして流麗なのがよい。ただ、それ故に書くのも読むのも高度な技能が必要で日常的なものではない。行書になると難易度が下がる。自分用にノートを取るときは、行書体に近いものであるが、中には読みにくいものがある。もっとも人に読ませる場合は楷書に近い形で書くことが多い。
デジタル書体ではいわゆる教科書体というフォントが読みやすいらしい。特に最近の改良型は画の太さや、留めはねの方向などに工夫が見られ、識別しやすくするための配慮がなされている。最近は私もこれを知らないうちに手本のようにしていることが多い。
日本語のように字の種類が多く、画ごとの方向、太さ、変化にバリエーションが豊富な言語にとって書体は重要な表現要素である。手書きする機会は減りつつあるが、自分でもいろいろな書体でそれぞれのメッセージを記してみたい。

