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四拍手

 ハーンの「日本の面影」を読んでいる。日本の前近代的な伝統に興味を持った彼は、西洋文化に営業される前の民俗に注目しており、この著書にも様々な当時の習慣が描かれている。その中で、神社に参拝する人たちが柏手を4つ打つということが書かれていた。

 聞き間違ったのではないかと考えた。神社参拝の作法は二礼二拍手一礼と多くの日本人は考えている。拍手のことを柏手というのだ。その常識とは異なっている。

 でも、ハーンが暮らしたのは現在の島根県松江であり、この地域の参拝方法では現在でも四拍手なのだそうだ。ハーンはそれを描写していたのである。出雲大社では大祭のときは八拍手をし、それ以外は四拍手とするという。出雲大社が独自の信仰形態を持っていたことは古事記の伝承にも、他との違いが感じられることと関連するかのようで興味深い。

 西洋文化とは異質で当時の日本の知識人たちからは旧弊のように考えられていた日本の民俗文化に、どうしてここまで深い関心をハーンが持ったのかは興味深い。

AIの作る実写化

 動画サイトを見るとアニメのキャラクターを人工知能で人間の姿に変換する企画をしばしば見る。それを見るとかなり納得がいくものとそうでもないものとがある。

 女性キャラクターはどういうわけか皆似たような姿になる。いわゆる平均顔が美人だが個性がないという、その状態である。男性キャラクターも同様で、誰かに似ていると思うが誰にも似ていないという姿だ。

 極めて典型的なキャラクターが並ぶと、一見理想的なものと見えても、どこか胡散臭い何かが漂う。漫画とかアニメとかの登場人物の設定は、それと分かりやすい極端な設定になるはずだ。でもそれを現実の姿に再現しようとすると違和感が立ち上がるのは、なんとも不思議だ。

 恐らく現実の持つ不規則性、非対称性のようなものが私たちにとっての自然なのだろう。どこか欠けていることがあることこそが本当は大切なのだ。

自分という存在

 自分を調整することは難しい。私という存在が自分の中心にいるとは思いながら、どこか思い通りにならない。そうすると実は自分は誰かに操られているのではないかという疑問すら浮かぶ。自分の存在が社会や共同体によって規定されているという考え方は哲学の世界では長らく議論されている。実際、私という存在は社会の中である程度決められており、それを逸脱することは様々な苦難を生じる。世間の常識という言葉で納得する様々な決まりごとは、よく考えれば自分の存在をガチガチに縛り付けている。

 ならば好き勝手に生きるのがよいかといえばそうでもない。好き勝手といっても何をしていいのか実はよく分からない。束縛されず自由に生きるというのは聞こえはよいが、この表現の前提には束縛されているという現実がある。そもそも束縛されていなければ自由を感じることもできないし、そもそも束縛とは何かも分からないかもしれない。

 人間が社会的な生き物であることは誰もが理解している。ある種の動物のように、ほとんど個体で一生暮らし、たまたま巡り合った異性と交尾して子孫を残すだけに生きるといった一生をほとんどの人間は受け入れられない。私たちは集団の中で生き、その中で自分の存在を認められ、あるいはほかのだれかを評価するという繰り返しの中に生きがいを感じるのだ。ただ生きていればいいとか、死ぬまで一人だけで好きなことをするというのは空しい妄想であり、実際にそんな機会を与えられたら大抵の人は耐えられなくなる。

だから、自分という存在をどのように扱うのかは実はとても大きな問題なのだ。社会的に生きる選択をするならば、自分の所属する社会の利益にかなった行動をとることが求められる。それが個人の欲望と齟齬があったとしても枉げられない。人間の長い歴史の中で自分という存在がどのように考えられてきたのかを知ることは、今を生きる私たちの息苦しさを解消するきっかけになるのだ。

戦争体験を語れない

 あすは終戦記念日である。戦後80年ということは、高齢者の中にも戦争を知らない世代がたくさんいらっしゃるということである。亡父は終戦時小学6年であったので、戦争の記憶は残っていたようだが、かろうじて記憶が残るのはやはり5~6歳になってからであろう。だから直接戦争の体験を語れる世代は90代に近いことになる。

 ニュースによると最新のVR技術を使って、戦争の一場面を疑似体験できる施設があるそうである。戦場の中や、爆弾の投下された町の悲惨な様子を映像や音声とともに体験できるそうだ。それを直接見たわけではないので評することはできないが、やはり生死の際に直面している場面と、仮想現実とでは全く異なるのだろう。それでも疑似的に戦闘するゲームよりははるかに有益であろう。

 私自身も戦争は資料の向こうの世界であり、本当のことは何も分かっていない。多くの戦争を扱った文学や映画などに接するとそのたびにその恐怖や、戦争を起こした者への憤りを感じるが、それも長続きしない。最近の政治家は私よりも若い世代も増えているが、彼らの中には兵器を自国の防衛のために増やすべきだとか、原爆を所有することが国防上は安上がりだなどといってその虚偽をまき散らかす者がある。本当に分かっていないのかもしれない。彼らは自分が戦場に行くことを全く想定していないのだから。

 戦争体験を語れないことは今後この国の行く末をかなり危ういものにするはずだ。この国を亡ぼすのは他国ではなく、自分たち自身なのかもしれないなどと考えてしまう。

Tokyoites

 英語で、地名とその地に住む人の語が別々にあると学ぶととにかくそういうものだと思って学ぶ。品詞的には名詞と形容詞の関係だ。Americaに住む人がAmericanであり、Canadaに住む人、Mexicoに住む人が、Canadian,Mexicanなのはなんとなく分かる。Japanに住む人はJapanese、Chinanに住む人はChineseで法則性がありそうだ。Franceに住む人はFrenchであり、Germanyに住むに人はGermanであり、語尾に何らかの法則性がありそうだ。

 ところが、Thailandに住む人はThaiであり、Neaderlandに住む人はなぜかDutchで法則性を見出しがたい。The people of~か Someone from ~といえば国名だけで表現できるというが、謎の形容詞形を使ってみたくなるのが人情というものである。

 ちなみに東京人はTokyoitesというらしく、何度か文献上で目にしたことがあるが、実際に使われている場面を知らない。それでは横浜人はなんというか、辞書にはないがYokohamanではないかと言われている。ならば、大阪人はOsakanだろう。名古屋はNagoyan、富山はToyamanなのだろうか。偶然だが方言に似ている。京都はKyotoitesの可能性が高いが、きっと地元の人からは「あきまへん。Miyakobitoどす」と言われるに違いない。

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強風

 今日は時折雨を伴う強風が吹き荒れた。駅の案内板が大きく揺れ、少々不安になるほどの不安定さがあった。電車は止まらなかったが、何かあれば大きな被害が出たかもしれない。






 九州南部は梅雨入りしたそうだ。最近は梅雨入りした後、長い晴れ間を挟んで集中豪雨があり、その繰り返しの後に猛暑がくるという展開が多い。梅雨という季節の概念が別のものになっていると言える。

 そんな季節の変わり目であるからなのか、かなり体調が悪く疲れやすい。毎年のことと自分に言い聞かせつつ、年々それに対する抵抗力が落ちていることには困っている。

ミスマッチ

 普段は組み合わすことがないものを、ふとしたきっかけで一緒にしてみると実にうまくいくという経験はあるだろう。ミスマッチという語の裏の意味はすでに市民権を得ている。

 そういう試みができるのには、余裕と思い切りのどちらか、または両方が必要だ。失敗を恐れず組み合わせてみるか、破れかぶれでやってみるか。成功する確率は低いが、挑戦を重ねた上で獲得したものは大きい。

 ミスマッチから生まれた新機軸もたくさんあったはずだ。民族学でいうブリコラージュのようなものも一種の新しい取り合わせを生む機会だ。失敗は成功の素であり、やってみたらすごかったはよくある話なのだろう。

 ならば、既存の考え方に囚われず、常に試してみるという精神は必要であり、そのように心掛ける必要がある。効率性しか口にしない昨今の状況ではこうしたことは無駄としか考えない。それでは新しい可能性は開花しないのだ。

子どもの頃には気づかなかったこと

 子どものころに見ていたドラマやアニメをふとしたきっかけで見直してみるといろいろな発見がある。いまに比べれば特殊効果などの技術が単純なため、ほほ笑ましく感じてしまうものすらある。

 ただ、設定やストーリー展開の中には子どもの頃には気づかなかったメッセージが感じ取れることもあり、興味深い。作っていたのが大人である以上、彼ら境遇やら世相などが自然に入り込んて居るのだ。

 文化史の資料として見てしまう自分がいる。

大伴家持が越中で得たもの

 万葉歌人大伴家持は越中国守時代に、収録歌の半数を作っている。わずか5年余りの期間に多くの作品を残したのかについては、さまざまな考えがある。越中の風土との出会いが新鮮であったこと、都の情勢から離れて自由に歌作ができたこと、個人的な人間関係が充実していた期間にあったことなどいろいろと挙げられている。おそらくどれか一つではなく、これらの事情が相乗していたと考えた方がいいだろう。

 私はもう一つの要因を付け加えたいと考えている。それは制度的な地方観と現実のあり方との齟齬に創作者としての刺激を得たからではないかというものである。家持は越中の風土をありのままにうたったのかといえば否というしかない。現代でもそうだが、見たままありのままを描写することは難しい。ことばを使って表現する以上、それまでの伝統やことばの決まりに沿って物事をとらえる。また社会制度や時々の常識にも影響を受けるはずだ。

 家持が例えば立山を歌うとき、その場所は新川郡だという意識が働く。新川郡の山だから、それに取り合わされるのは新川郡の川であるとして現在の魚津市を流れる片貝川が選ばれている。国府のあった現在の高岡市伏木あたりからも立山は見え、近くには射水川と呼ばれた庄川と小矢部川の合流域があった(現在は河口が分かれている)。今の庄川にあたる雄神川や、おそらく神通川であろう婦負川などもあるのに関わらず、家持がそれらの河川と比べると小さな片貝川を選んだのは、国司として地名を郡ごとに把握するという意識があったからではないかと若いころに考察したことがある。つまり、越中の風景をとらえる際にも官人としての知識の方が先行していたのであろう。

 そうした知識上の風景と実際にその地に赴いたときに得た感動との差が創作する力となったのではないかというのが私の付け加えたい考え方だ。制度としての知識ではとらえきれなかった生の感覚が創作意欲につながったのだろう。家持は国守巡行の際、富山県にあたる四郡に加え、当時越中国に含まれていた能登の四郡にも訪れ、すべての郡に関係する歌を残している。その地の風習に関心をもって詠んだ歌がある。砺波郡の雄神川流域ではおとめが川に入って葦附という水生植物を採る姿が詠まれている。また実態はわからないが鳳至郡饒石川での「水占(みなうら)」を歌っている。土地の風習のようなものも現地に赴いて知りえたもので、こうした刺激が鄙の地の歌を残すきっかけになっている。

 家持が帰京後に創作が少なくなるのは、不安定な社会情勢もあっただろうが、徐々に完成されつつあった和歌的世界の枠組みの中に浸りすぎて、そこから逸脱するのが難しくなってきたからではないかと考えることもできる。いわゆる絶唱三首と呼ばれる歌はそのような中では個を発揮できた作品かもしれないが、見方を変えれば中国文学的な当時の歌風に飲み込まれている段階ととらえることもできる。また万葉最後の因幡国庁の歌は朔旦立春という暦の知識と結びつき、古今和歌集の巻頭歌と同様に知識が先行している。因幡の地で詠まれたことでようやく新鮮味を保っているが、類型的な歌とも言える。創作にはある程度の齟齬のようなものが必要なのではないか。

 万葉集の一歌人の話をしているのだが、このことは普遍化できるかもしれない。私たちは何らかの枠組みがなければ対象をとらえることができないし、目にしても認知できない。でも、それが日常化してしまうとこれも埋没してしまう。枠組みをもちながら、しかもいつもと少し違うものを目にしたとき、感じたときに創作する気持ちが立ち上がるのではないか。そういう感動を得るために私たちは旅をしているのだろう。旅を楽しむためにはガイドブックは必要だが、最後は自分の実感を得る機会を設けることが大切だ。そこに新しい感動が生まれる。作品化できれば創作ができるということになる。

文学的視点の復権を

効率化が大切だという人の多くは、実は人間生活を答えのある法則性の中だけで捉えている。なんでも数値化でき、その中で演算をするから効率などという数字を持ち出す。そもそも世の中の多くは定量化できず、不規則で予測不可能だ。そのような方面を注意深く無視して、数えられる現象だけを取り上げて計算する。効率化の多くが自然から乖離しており、それゆえにその矛盾に人々は苦しむ。

こうしたことに気づくためには、やはり文学のような他者の心情や行動を考えるものの考え方が必要だ。実際の社会は決して法則的ではない。外れ値だらけの現実をそのまま受け入れる感性も必要なのだ。

 昨今の風潮はこの大切な流れを忘れているように思える。なんでも方程式に当てはめようとする態度は人生の機微を無視してしまう。こんなことをいうと感情論であり無意味だというが、はたしてそうなのだろうか。不規則な毎日に無理矢理物差しを設定し、測れないものはなかったことにするという考え方自体が無意味だと反論できる。

 学校教育における文学的文章の軽視は現代社会で誕生したエリートたちの犯した大きな間違いだろう。少し後の時代の人々が21世紀始めの社会を批判することになる。あの頃は科学だけで何とかなると信じていた時代だったと。文学的な視点が軽視された不幸な時代だったと。