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宇宙のことを考える必要性

 夜空を見上げると星が輝いている。東京の空に見えるのはせいぜい3等星くらいで、天の川は想像力の力なしでは見えない。それでもその少ない星々の光彩を見るだけでも日常のしがらみを越えた何かを感じることはできる。

無限に広がる大宇宙

 先日、天体写真の専門家のKAGAYA氏の写真展を見てきた。長時間露光の写真がもたらす肉眼を越えた光の姿は美しさを超えて神秘的でもある。光を集める技能がもしあったら、世界は全く違って見えるであろう。ただ、そこまでしっかりと見守ることが今の私にできるだろうか。心もとない。

 無限とも言える宇宙の中で己の矮小さを自覚できたなら、もっと謙虚な生き方ができるのではないか。その意味では時々夜空を見上げ、虚心の域に達するのは意味があるのではないかと考えるのである。

宇宙を考えることの意味

 先日、プラネタリウムに行ってきた。宇宙の始まりに関する話があり、少なからず感動した。何に感動したのかはなかなか言葉にはならないが、すべての原理を原初に戻すと世界は、というより宇宙は極めて数学のようなものになるということだ。

 でも、ちょっと待て。そう考えるのは現代の人間の能力の到達点に過ぎないのではないか。無からビッグバンの末に宇宙が発生する。理論的には正しいとしても、その理論が今生きている人間によって形成されている以上、その思考の枠組みの中で考えられたのだ。別のフレームができれば違う結論に達するのではないか。

 宇宙のことを考えるといつもこの疑問に駆られ、謎のループにはまり暫く抜け出せない。若い頃は深みにはまって動けなくなるほどだった。いまはほどよく醒めていて以前ほどではないにしろ、やはりなぜなぜの渦巻きに取り囲まれてしまう。私にとっては宇宙のことを考えるのはこうした妄想に入るスイッチのようなものだ。

木星

 夜空に一際輝いて見える星がある。それが木星であることを知ればもう迷うことなく探すことができる。

 11月3日に衝の位置になり、25日には月に極めて近づく。こどもの頃に望遠鏡で見たいわゆるガリレオの衛星の映像は今でも感動的に思い出される。

 星を存分に見られる人を羨ましく思う。心の余裕がほしい。

十三夜は今日

 10月も半分終わったことになる。日中はまだ夏日が続いているので、かなり違和感はあるものの今日は後の名月である。

 十三夜の由来には諸説あって定まらないようだが、豆や栗を供える習慣から一種の収穫感謝の儀礼であったとは考えられる。満月直前の月影を名月とするのは独特の感性だ。これは日本独自の風習らしい。

歳時記によれば空も澄み、中秋の名月よりも秋の深まりを感じさせるのでよいとか。どちらかだけ見るのは縁起が悪いとかいろいろ言われている。それも民間で長く伝承されてきたゆえだろう。