悩む意味

 最近よく目にする論法に経験することはやはり重要だというものがある。何でもインターネットで検索し、人工知能が回答を生成する時代となって、ますますその重要性が増しているのだ。ネットで検索して得た知識は抜けるのも早いらしく、ネット健忘症なる言葉まであるらしい。

 これまでも何度も書いてきたが、私たちの記憶は複数の感覚の複合として保存されている。暑いというときには過去の夏の日の思い出が背景に想起される。痛みや苦しみになると具体的な状況まで浮かび上がることもある。知るとはかなり肉体的な行為なのだ。

 私も最近はAIに相談することが多い。本当に大事だと考えることは、いくつかの資料を比較するが、そうでない場合は、この便利なシステムの答えをそのまま受け取ってしまう。すると、その時は便利だが、自分が身体を使って獲得した知識ではないのですぐに忘れてしまうのである。この前も同じことを尋ねたと思うことが何度もある。

 自分の血肉となる知を獲得するにはやはり苦労をしなくてはならないのだろう。苦労と言っても文字通りの苦しみとは限らない。知を得る過程の方に楽しみの発見があることも予想されるからだ。悩み時間をかけることの意味を再考しなくてはならない。そう考える人が増えているのだろう。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください