カテゴリー: エッセイ

個性的な店舗の応援の仕方はないのか

 渋谷にあった郷土料理店が密かに閉店していることを知った。偶然、通りかかったときに閉店の告知が扉に貼ってあるのを見て知った。なかなか手にはいらない郷土料理を渋谷で食べられるのが魅力だった。少し価格が高いのが気になったが、故郷の味を楽しめるとなれば、それなりの価値はあったはずだ。もう少し貢献しておけばよかったと後悔している。

 外食企業は分かりやすいが、その他の業界でもチェーン店以外の業態を維持するのは難しい。独自路線を売り物にすることは消費者の選択の幅を確保してくれる大切な行動だ。ただ、大手資本の背景がなく、商品の質だけで勝負することはかなり難しい。消費者は質の良いものを求めたいという気持ちと、そこそこの品質だが安いものとがあるとき後者を選びがちだ。この消費行動が個性的な店舗を窮地に導いている。

 篤志家でもない一般市民の私ができることは限られる。月に一度は高くてもいいものを提供している店に入ってみるということだ。それが個性的だが、経営的に行き詰まっている業者を救うことになる。それが生活の多様性を維持し、経済の強靭さを育てる。経営努力は当然大切だが、消費者側の俯瞰的な視点に立った行動も今後は求められるはずだ。

 日々の生活を特定の企業グループなり、大型チェーン店の商品で賄っている私にとって、ある意味エコノミーのルーティンを破ることになるが、何が贅沢なのか、何が社会貢献になるかなど様々な要素を考えなくてはならないと思い至ったのである。

天才の絵画に感動できるということは

 細密画を見るときにいつも思うのは、その制作過程の膨大な時間である。今のように人工知能が過去の図案からそれらしいものを組み合わせて作り上げることは根本的に異なる。自分の感じた世界を少しずつ、かつ着実に形にしていく過程において、どのような呼吸がなされたのか。会話や心中思惟はいかなるものがあったのか。創作を妨げるものがあったとしたら、それをどう乗り越えたのかといったことを思い巡らす。

 細密画だけではない例えばゴッホでも、ピカソでも、山下清でも岡本太郎でもいい。独自な世界観をどのように維持できたのか。技巧ではなく、彼らの深層の表現だとしたなら、それを長年にわたって維持できたのはなぜかと考えてしまう。

 理解の妥協案として彼らは天才であり、常人ではないという考えがある。これは極めて納得しやすく、己の非才との比較をするときも自分を傷つけることがない方法だと思う。彼らは格別で自らの及ぶものではない。それ以上は考えるべきではないというものだ。

 でもよく考えてみると、幾分かの矛盾を見つけ出してしまう。別格の才人が創ったものの良さをどうして評価できているのだろうか、ということだ。ぐにゃぐにゃの糸杉や遠近法のおかしい風景画を見ても感動できてしまうのはなぜかと思うのだ。これはまるきり別次元の人物の作品ではないのではと再考するきっかけになる。

 自分とは交流しようもない別次元の存在だと考えるのは、ある意味芸術を放棄することなのかもしれない。いまはAIがいくらでもそれらしいものを作り上げる時代だ。その作品に始めは驚き感動するが、どうも違うという直感を持つ。作品を作り上げるまでの濃密な時間を想像できない人工知能の描く作品は、何かが異なると感じてしまうからなのかもしれない。

 作品の向こうにいる作者の生活とか人生とか哲学とか、そういう形にしにくいものたちを私は絵画や彫刻の裏に見てしまう。恐らく自分が想像するものとはかなりかけ離れたものなのだろうが、少なくとも時間や空間、人間関係などの厚みを持ったものとして芸術作品は存在しているのだろう。

体力は落ちても戦い方はあるはず

 おそらく昔できていまはできないと考えていることの大半は体力ではなく、気力の差であると思うことが多い。体力的な衰えは否み難い。体力の中には脳の活動力も含まれる。体力が落ちれば能の働きも鈍くなる。

 ただ、問題はフィジカルだけではないと考えている。集中力なり、レジリエンスなりが落ちるのは体力的な要因だけではないのではないか。できるのにできないと思い込んだり、他者と比較して遅いと考えていることが物事を諦めさせているのかもしれない。

 何らかの工夫、発想の転換が現状の打開に繋がる。

ナマズの味

 子どものころ、父によく釣りに連れられた。父にとっての憂さ晴らしだったのだろう。魚釣りには月に2回以上は行き、長男はその共をする必要があった。このことはこれまでにも書いたことがあったと思う。

 川の釣りは気楽で良かったが、なかなか釣れないのと釣れてもその魚があまりうまくないことは大問題だった。川魚独特のなんというか泥臭い味は海の魚より劣っていると思った。ヤマベとかハヤはよく釣れたがうまい魚ではなかった。ほとんどが南蛮漬けなる調理法で料理されたが、私の好みではなかった。

 川魚で美味いのは鮎や岩魚などの魚だったが、なかなか釣れない。釣れると父が大袈裟に喜んだのも、なぜか好ましく思わなかった。いまなら、同じ反応をするかも知れないが。

 唯一川魚で気に入ったのはナマズである。外道として釣れたのであるが、見た目は醜くいい気分はしない。ただ料理すると群を抜いて美味かった。釣れたときは化け物のように見えたが、父はその味を知っていて持ち帰った。確かに癖がない、しかもウナギなどに通じる味わいだった。

 古代の魚食の記録をみると川魚が中心だ。嗜好は時代によって変化していくものらしい。子どものころに川魚をよく食べさせられたおかげで、こういう視点を持てるのだと思ってみることにする。

疑問と反語

 反語という文法は疑問の中の一部であり、実際に使われる場面ではまったく同じ形を取ることも多い。何者かに答えを問うことを前提にしているのが疑問であり、それが自分自身の場合は反語であり、それ以外は疑問ということになる。

 反語は自問自答であり、あらかじめ否定的な回答を発問者が用意している。ならば、問う自分と答える自分が別々に存在しており、それらを使い分けていることになる。よく考えれば高度な思考形式だ。その不自然さ故か、反語には強調表現としての役割がある。

 現代語にもさまざまな反語表現があり、多くの人が使いこなしている。感情の深層を表現するときにもよく使われる。人に聞かせることを前提としていなかったのにも関わらず、実際には第三者に強い影響を与えるものになっている。

 自分に対する問いかけという行動を獲得できたのは人間の進化の大きな成果だ。しかるに、自分の考えを尊重せず他人のことばかりを気にし、常に多数派であろうとする現代人の傾向はやはり危険性をはらんでいる。反語表現どころか疑問も持たなくなったときに、人の運命は岐路を迎えるのだろう。

迷走する台風が次々と

 今年は台風の発生数が多く、しかも通常とは異なる進路をとるものが多い。その理由は地球温暖化による海水面温度の上昇や、偏西風の蛇行などの複数要因があるらしい。

 現在太平洋にある台風は一度北上した後に、円弧を描きながら再び南下するという予報が出ている。同じ海域に台風が居座るということであり、大変よろしくない。

 この台風の影響で中心から離れた地域で雨が降り続きやすい場所がある。最近も関東や北陸、また東北で豪雨が発生しているが、まさにそうした被害がいつもより長引く危険性があるということだ。これも今年の気象の特徴だろう。

 都市のアンダーパスで冠水の被害があったように、大雨に対応するインフラは必ずしも完全ではない。私の生活圏では、地下道があり、通勤に使っている。入り口に土嚢のようなものがいつでも置けるようにしてあるが、これも使用される場面があるのではと最近は考えるようになった。そして、そのバリアが機能しなかったときの悲惨な状況を推察している。

 天任せという言葉があるが、最近の天は予測不可能性が増している。いろいろなことを想定する必要がある。

 

氷河の崩落

 ネパールの大洪水と土砂崩れは氷河の崩落が引き起こしたものだと言われている。これが温暖化の影響である可能性も高いとされているが、もしそうであるのなら、今後もそういうことが起きることになる。

 地球温暖化が人為的要因によるものという一般的な考え方に従えば、この災害は人類すべてに責任がある。とりわけ大量のエネルギーを消費し続けているわが国を含めた国家は大きく関与していると言えるのだ。

 いま何ができるのかといえば選択肢は限られている。被災地の救援や復興支援は可能だろう。災害が多発する日本にはできることが多い。また、それを通して学べることもあるに違いない。

 肝心の氷河崩落への対策はといえば、温暖化の要因とされる二酸化炭素やメタンなどの放出を少なくする技術の発展に期待するしかないのだろうか。エネルギーの利用の工夫や、過剰な技術依存を再考せねばなるまい。人工知能を機能させるために莫大なエネルギーが費やされているらしい。これも考えものだ。世界中で起きている気候変動の諸現象は未来を考え直す最後の契機を与えてくれているのかも知れない。

始めること止めること

 このところ休みが取れて読書したり、いろいろ考える機会を得た。以前ほど集中力がないので、短期集中を心がけたが、やはりすぐに眠くなってしまうのは身体的問題であると割り切ることにした。気持ちはあるが身体ついていかないのだと。

 ところが、自分のやりたいことだけをやってみたところ、少しも眠くならない。むしろ時間が経つのを忘れてしまうほど熱中できたのだ。私の資質はここにあるらしい。出来高は無関係とするならば、関心を持ったことは懲りることなく続ける。そういう質なのだ。

 それなのに、いろいろな事情があってやりたくなかったことをやらされる。それが金になるから、ついやり続けてしまう。これまではそのことに気づくと思考停止をすることで深入りを避けてきた。日常を乗り切れたのはこの働きのおかげだ。

 ただ、どうだろう。少し考え方を変えてもいいのかもしれない。日常のなかでも少しずつ自分のやりたいようにできる時間と余裕を作ろうと考え始めている。そのためには止めることもいる。何かを始めるためには何かを止めなくてはならない。それを始めるのが9月の目標である。

…

へそ出しおじさん、お姉さん

 中国では暑い時期にへそを出して歩くおじさんを揶揄する言葉があるそうだ。マナー違反という認識で語られるらしい。日本にはそういう人は少なくとも都会にはめったにいない。というよりも見たことがないが、女性の方はというとへそ出しはかなり増えてきた。おしゃれという位置づけだが、よく考えれば不思議だ。

 おじさんはだめで若い娘ならいいというのは、おそらく時代の偏見なのだろう。かつてはまったく異なる価値観があったはずだ。わが国もそうだが韓国の前近代の記録をみると、女性が乳房を露出するのは日常風景だった。それを猥雑だと考えるのは時代の価値観によるものだろう。

 ただ、私のような世代に言わせれば、若い女の子もおじさんもへそを出して歩くのはやめてもらいたいと思う。人前に出るときの格好にはそれなりの決まりがあってもいいと思う。似合うとかおしゃれだとか、逆にみっともないという問題ではない。近代社会が作り上げてきた習慣もしくは文化というものを尊重するべきだと思うのである。

 もっともこれはあくまで「個人の感想」である。これだけ猛暑が当たり前になった世界に服を着続けることが合理的とは言えない。へそくらい出して何であろう。いっそ夏は上半身は着用しなくてもよい、という考えも将来はあるのかもしれない。風紀が乱れるという考えも今を定点として考えているからかもしれない。私の知らない未来で、人々がどのような姿をしているのかなど、知りようもないのだから。

 最近は価値観の恒常性ということに強い疑問を持っている。宿世を退場する立場にとって多くを語るべきではないとは思うが、少なくとも今の価値観、人生観はやがて移ろいゆくものと予見しているのである。

自炊をしていた頃

 自炊を始めたのは単身赴任の父のもとに母が時々「救援」に行った期間のことであった。私は大学に入っていたが、弟は高校生だったと思う。自炊といっても、出来合いのものを温めるようなものであったが、弟などは魚屋でイワシを買ってきて刺身にしたりしていた。わが兄弟のサバイバル料理はこのころから始まったと言える。

 私にとって本格的な自炊の始まりはひょんなことでいきなり地方生活になった私の境遇による。富山県魚津市に勤めることとなり、住まいは隣市の黒部市になった。その頃は市内にコンビニエンスストアがなく、大抵の店舗が夜8時には閉店した。それに間に合わないと酒も買えない。アルコールの自販機はなかったからだ。

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 最初に覚えたのはなぜか親子丼だ。料理の教則本のようなものを見ながら、作ってみると意外にいけた。調味料の配合比をその都度計量スプーンで正確に測っていたからだろう。だんだんいい加減になり、日によって少しずつ違う味付けになるようになったが。酒のつまみにこんにゃくを炒めたものをよく作った。これもなぜか手に入れた独身男性向けの料理の作り方ビデオで学んだものである。その大半は酒の肴の類で結果的に家で飲む酒も増えることになった。

 富山は魚がうまい。いわゆる高級魚は都会の方がいいものが手に入るのかもしれない。いいのは下魚と呼ばれる魚だ。黒部市の生地の付近では「なんだ」という魚が切り身としてパックで売っていた。結構な量で100円足らずだ。いつも切り身で売っているので魚の正体は分からなかった。今調べてみるとタナカゲンゲというそうで、ナンダは黒部市付近での方言だという。深海魚らしくカニ漁での網にかかるのだそうだ。見た目はあまりよくないが鍋にするとかなりうまい。ひところはこればかり食べていたこともある。もっと有名なゲンゲも美味だったが、これらの魚は鮮度が落ちやすく県外には流通しない。地元でのみ食されたものであったようだ。いまはそのうまさが知られて、高級食材のように扱われているところもあると聞く。社会人になりたての私にとってはこうした格安の魚は実にありがたいものであった。

 ほかにも卵が1パックで1円(ただし、他の物を500円以上買った場合のみ)とか、富山県の伝統野菜ともいえる赤かぶやかもり(賀茂瓜)なども試してみた。赤かぶは簡易漬物器で塩漬けにしてよく食べた。そのころは何でも自分で作ろうとしていたし、作れないものは食べられなかった。いまは外食をよく利用するが、その頃は入りやすい店がなかったのに加えて、一人暮らしを始めたばかりの気負いもあって、職場の飲み会(これが多かったが)がない日はすべて自炊であり、インスタント麺を使うことも少なかった。

 外食産業が発達しておらず、閉店時間が早いというのは今では不便そのものとみなされるだろうが、いろいろな能力を育ててくれる大切な機会であったと思う。便利なことがいいわけではない。そんな当たり前の結論の話である。