人文知の必要な時代に

 人工知能の発展は高速である。私のような世代でも気が付けばかなりお世話になっている。私のスマホの最初の画面にはジェミニのウィジェットがあり、個別アプリをたちあげるより、それを使うことの方がはるかに多くなっている。もちろん返ってきた回答を全面的に信じてはいない。どんなに完璧な回答でも、いやそうであればあるほど疑わしく思ってしまうのはやはり、まだ私自身が時代の進化についていけていないからでもあろう。

 プログラム言語ではなく、自然な日本語である程度のプログラミングまでできてしまうのが現在の人工知能だが、専門家によるとこの先はもう人間が余計な口出しをしなくてもAIが自己修正をしながらバージョンアップしていくようになる(なっている)らしい。すると、もう人間の出番はない。AIに適切な指示を与える創造的な能力を持っている人物ならばよいが、ほとんどの人間は作られたプログラムをブラックボックスから出てきたものとして使うことになるようだ。

Photo by Magda Ehlers on Pexels.com

 私の従事している教職もかつてはAIに侵害されない職とされていた。しかし、今そう考える人はほとんどいない。教えるということに関しては個々の習熟度に合わせて限りなくカスタマイズする人工知能のやり方に勝てそうもない。今は一斉教育によって、できる生徒とできない生徒が発生している。これは事実だ。ただ人工知能が達成できるのは、教材の提供法や評価の方法においてのことであり、生徒にやる気を起こさせたり、叱咤激励する方面においてはまだ機械にはできないところがあると考えられる。

 今は世間的に存在感を持っているデスクワークを中心とする人々の仕事は次第にAIに代替されていくとして、その先に残るのは機械ではできない人間臭いことを行うものになる。感覚にかかわる繊細な作業や、数値化しにくいサービス関係の仕事などは当面生き残るのだろう。教職でいえば、教えることそのものよりも学びに向かう雰囲気を創生し、維持管理できる人材が必要になっていくのだ。そのために何が必要だろうか。それは人の考え方や行動傾向、心情の理解、他者の価値観の推測などが欠かせない。これらは人文学的な課題ではなかったか。いま、低位にみられているこうした分野の研究がやはり必要になっていくといえる。

 AIを作り出した人は当面AIにその場を奪われていく、そしてこの状況を俯瞰できる人が次の段階に進めるのではないか。手前味噌だが、芸術や文学を学ぶ時代に移行しつつあると考えている。

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