実感すること

 知の身体性をテーマにした文章に多く出会う。知識と言われるものが経験に基づく実感に裏打ちされていないことが増えているという指摘だ。

 インターネットで超高速で検索をし、近年は人工知能が付帯的な情報まで収集して、それらを分析し組み合わせて提示してくる。確かに非常に便利で効率的に感じられるが、その過程において自分の得られる経験は限定的である。わずかな指示を出して食事に行き、帰ったらレポートが出来上がっている、ということが当たり前になっている。

 経験を伴わない知識は危うい。その意味をよく理解しないまま摂取して、さらにそれを積み上げていく。かなり空虚な知の体系が形成されている。

 やはり、実感をすることが必要だろう。若い世代には一見無駄と思われることでも、屈辱的な失敗でもすべてが大切な経験であると訴えたいのである。

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