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外国人労働者制限は妥当か

 外国人労働者の数を制限する政策が進行中だ。先の選挙では外国人労働者が日本の経済の停滞と衰退をもたらすと喧伝され、経済不振の原因を負わされた、それでは彼らが本当に日本人の職業機会を奪っていたのか。この点については個々の状況を勘案しなくてはならない。

 そもそも外国人労働者が必要とされているのは日本の産業の在り方の大きなひずみによる。安価な労働力によって商品の価格を下げることで、収益を確保するといった方法がなされる限り、自国の経済基準とは別のレベルにいる人物を求めざるを得ない。例えば外食産業は海外に比べて非常に安価に提供されているというが、その価格を維持するためにコストカットが行われているのである。これが常態化すると、報酬の少ない条件で自国民が就労する魅力が損なわれてしまう。いわゆる人手不足の原因となっている。

 ならば、価格を上げてでも労働者の報酬を確保すべきだということになる。しかし、外食は安いものがいいというこれまでに培われた考え方は容易には変わらない。結果として外国人に頼るしかなくなる。今回の外国人労働者の制限はそういった環境下にある資本の脆弱な業者にとっては致命的な痛手になるはずだ。

 このスパイラルを断ち切るためにはどうすればいいのか。まずは可処分所得を増やさなくては始まらない。日本の産業界が最も手を抜いてきたのがこれで、おそらく経済停滞の元凶の一つだ。まず金を回すことを経営陣が行わなくてはならない。資本主義においてはこれは個々の判断において行われるのだから、理想をいっても実際には行使されない。行政の指導、場合によっては規制が必要な場面もある。

 そして、消費する側の意識改革も必要だろう。安さが正義のような考え方をしている限り、この問題は止まらない。結果として質的低下を余儀なくされ、ますます産業の活力が失われる。良いものには対価を支払うという考えをしていくべきだろう。チップのようなものは不要だが、素晴らしい仕事には価格外の「礼金」のようなものを払うことが認められてもいい。その方面で収入を期待する企業は、サービスに磨きをかけることになるかもしれない。

 外国人労働者が日本の経済を破壊すると吹聴する人がいるが、現状では低賃金労働者の不足を下支えしている貴重な人材というのが事実だ。上記の条件が満たされていけば賃金が上がり、魅力的な職場に近づく。国籍による賃金格差をしなければ、従業員の国籍より、よりその企業にあった人材を選ぶ方が重視されるはずだ。

回転寿司店の名前

 不景気な外食産業業界にあって回転寿司店は熾烈な競争をしているようだ。親の家がある地方の小都市にもこの業界大手のチェーン店の支店がある。それもかなり近接している。そこそこの集客はできているようだが、地元の個人のすし屋にとってはいい迷惑だ。もっとも求める客層は違うはずだが。
 さて、売り上げ規模から考えると1位はスシロー、2位はくら寿司、3位ははま寿司である。ちなみにこの町には4位のかっぱ寿司、5位の元気寿司の支店まである。おそらく多くの地方都市が似たような状況であり、寿司はやはり国民食であるであることが分かる。
 さて、店の前に大きな電光看板があるのを見て気づいたことがある。くら寿司はKURA SUSHIであり、はま寿司はHAMA-SUSHIなのだ。ほかも寿司の部分がSUSHIになっている。スシロー以外は日本人なら「ずし」と読むにも関わらずである。ちなみにはま寿司はもともとHAMAZUSHiと表記していたが、今の表記に改めている。
 容易に想像がつくように英語表記を読む対象となるのは外国人であろう。彼らにとって日本料理はsushiであってzushiではない。だから、実際の表音をあきらめて外国人にとって分かりやすくしたのだろう。調べてみると上掲の5位までの全てにSUSHIが入っていることになる。スシロー以外は「sushi」とは発音しないのにも関わらず。
 外食産業は潜在的な人手不足になっており、従業員に外国人を雇用することも多い。寿司店に外国人を雇用するのは抵抗がかつてはあっただろうが、いまはそんなことを言っている余裕はない。そのうち外国人の板前の作った回転寿司を外国人がこれぞ日本の味と称賛するときが来るのだろう。いやもう来ているのかもしれないが。私は何人が作ってくれても技能さえ素晴らしければいいとは思う。

富山湾のイワシ

 富山湾で異常なほどマイワシが獲れているそうだ。漁船に積みきれないほどの大漁で網に掛かってもそのまま放流している現状だという。

 確か昨年も大漁のイワシが海岸に押し寄せたはずだ。気候変動と先日の能登半島地震の影響を考えたくなる。豊漁は価格の下落をもたらす。しかし、豊漁のあとは不漁となる可能性が高い。収穫量を調整するとともに保存方法や有効活用を考えたい。

 イワシはかつては下魚の扱いだったが、鮮度さえ保たれれば金の取れる魚種となった。加工の仕方次第では和食にも洋食にも合う。干物としても使える活用法の多い魚だ。

 日本近海で取れる魚は食料自給の鍵となる。大漁のイワシをいかに使うのかは今後の日本の食のあり方を考える試金石となるはずだ。

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半導体不足

 交通系ICカードのPASMOがカードの発行を抑制している。半導体不足が原因だという。

 半導体はかつて国産のシェアが高かったが、海外の安価な労働力による価格競争に敗れたため、多くの企業が撤退してしまった。その後の設備や研究開発の投資も遅れたため、技術的優位性も保証できなくなっている。

 こういうときに自給率という問題が出てくるように考えられる。その他の産業でもこの問題は考えた方がいい。自由競争に委ねるというのが日本の行政の立場だが、こういう横綱相撲を続けている限り負け続けるのは必定だ。国のレベルでのリーディングを期待したい。

 いざというときにどれだけ準備ができるのか。それが本当の国の力と言うものだろう。

副操縦士

 マイクロソフトは生成AIを組み合せてIT業界のゲームチェンジャーになろうとしている。WordやExcel、PowerPointなどのソフトウェアに生成AIを組み合わせることで画期的な事務系ソフトウェアを作ろうとしている。しかもその名はCopilotという。

運転手は君だ? 車掌は僕だ?

 副操縦士を意味する言葉を商品名に置いたのは、あくまでも主体は人間であり、AIはその補助役だと言いたいのだろう。ただし機長の座は安泰ではない。副操縦士が優秀すぎるのだ。

 Excelで自動作業をしようとすれば、これまではマクロとかコンピュータ言語の知識が不可欠だった。それが将来的には日本語で指示するだけでプログラミングしてくれることになりそうだ。もうこうなるとソフトウェア自体がブラックボックスだ。箱に入れるだけで見事に求めるものを出してくれる。ただ箱の中身で何が行われているのかは知らない。

 そういう時代がすでに始まっている。便利だが説明できないものに囲まれる環境に覆われつつある。シンギュラリティは近い。

 私たちは機長席を死守すべきなのだろうか。安全で無事故率が限りなく100に近いなら、副操縦士の昇進を祝うべきなのか。

 私としては少なくとも自家用セスナにおいては機長であり続けたいと考えている。その結果墜落死しても構わない。いつまでも飛び続けますがどこに行くのかは教えませんというよりましな気がする。おかしいだろうか。

日本製端末は

 富士通の携帯電話関連事業が事実上終焉したというニュースがあった。残念だが、日本企業の考え方と携帯端末との相性はよくない。それが具現化してしまった。

 携帯電話のような機械音痴を含めた誰でも使う機械は、それを踏まえたインターフェースを作らなくてはならない。日本企業にはその発想はできなかった。極めて高性能だが素人では使いこなせない。それが日本製の特徴だった。

 高性能を維持するためにはある程度の収益がいるが、グローバル化によって競争力が激化すると、性能は劣るがとりあえずよく使える外国製品が選ばれ、日本製は資金源を奪われていった。高機能だが使いにくい機器から、そこそこ高機能で他の国の機器に劣るところもあるが、使いにくく価格が高いという位置づけになってしまったのだ。

 携帯電話に限って言えば結局ソニーだけになってしまったと言える。シャープは台湾企業のバックアップを受けて延命しているが、最近の報道では旗色がよくない。この2社をあえて日本製スマートフォンメーカーと呼ぶならば、かなり寂しい。

 富士通や京セラにもう一度この業界に戻って欲しいというのが私の勝手な願望だが、道のりは厳しい。端末を作ることは今の日本の経済風土では魅力的ではないようだ。

 考えてほしいのは日本語環境に適したインターフェースの構築だ。今のスマートフォンはつまるところ英語ベースの仕組みでできており、使用者がそれを学んだ上で操作している。しかしこれは実は大きな損失なのだ。思ったことをすぐに形にできるシステムを作ることが日本語環境の急務である。

 日本語環境の市場は世界的にみれば大きなものであり、なおかつ他言語の技術者にとってみれば障壁が大きい。ならば日本企業の独壇場になることは必定と言える。また、特定の言語文化への対応のノウハウはきっと他国にも応用できるはずだ。人間が機械に合わせるのではなく、機械の方が文化的要素を盛り込んで動く時代は必ず来るはずだ。

 ハードの開発で遅れを取った分をソフトのイノベーションで取り戻そう。そのためにはエンジニアの皆さんには国語をもっと学んでほしい。あるいは日本語の様々な使い手と交流を持っていままでにはない使い勝手を創作していただきたい。

無人化

いらっしゃいませ

 外食産業で無人化が進んでいる。と言っても、内情は知らないのであくまで客の立場での無人体験をまとめてみた。

 某回転寿司店では入口でロボットが出迎える。彼は日本語がかなり流暢に話せるが、きまり文句以外はできないようだ。この点は最近の人間と変わりない。残念ながら人間の話を聞く度量はないらしくタッチパネルで希望する席種や人数を聞いてくる。作業が終わると丁重にお礼して席の位置を印刷した紙をくれる。

 あるファミリーレストランは席に座るとタブレットがおいてある。客はここでもスクリーンの沼に誘い込まれ、自分で注文をする。かわいいウエイトレスやかっこいいウエイターは来ないが、彼らに間違った注文をされる心配はないし、ご注文はこれで「よかったでしょうか」を聞かずに済む。

 別のファミレスは注文した料理を自走するロボットが持ってくる。残念ながら人型ではなく、自動ワゴンとでもいうべきものだ。なぜか陽気な音楽を鳴らしながら動くのは、そこどけとは言えないからだろう。彼、もしくは彼女には言語能力はない。

 先日入ったレストランは座席案内も注文も配膳も人の手で行っていた。これが一番落ち着く。多少の間違いはあってもいい。やはり人のぬくもりは大切だ。食事が終わってお会計は、というとこれがセルフだという。勘定書のバーコードをスキャンすると金額が表示される。現金を入れるか、スマホでバーコードのお返しをするかで会計を済ませる。ありがとうございますとも言わない。会計が済んだらただ消え去るのみだ。

 以上がすべて揃った店にはまだ入ったことはない。でもそのうち普通になるかもしれない。ロボットにいらっしゃいませと言われ、タッチパネルで注文した料理がロボットによって運ばれる。すでにネットで会計は済んでおり、あとは帰るだけだ。食べ散らかした食器や残版の類はロボットが音も立てずに見事に片付け、除菌までする。これは数年後に見られるかもしれないし、来年かもしれない。

 今日は少し塩辛いなと思ったら、後でお詫びのメールと謝罪用のポイントが届くかもしれない。先日調理ロボットがハッキングされ、塩分センサーに異常が発生していました。今後はセキュリティに注意していきますと。

電気自動車

 少しずつ電気自動車が増えてきている。日本ではハイブリッド車がまず普及してきており、低速では音もなく近づいてくる自動車に出会うことは珍しくない。環境保護という訴求要素がある電動車は、価格の割には売れている。

 海外では国や地域ごとの規制により、化石燃料の使用ができなくなりつつある。発電にかかる環境負荷の実態はよく分からないが、少なくとも各車から出る排ガスはなくなりつつある。

 日本は自動車産業で立国してきたという一面がある。エンジンを生産してきた技術が今後は過去のものとなるのかもしれない。ただ電動車になってもガソリン車のメカニズムはきっと役立つはずだ。それを活用すべく、国家的な支援策をとるべきだろう。

 自動運転車の実用化も近い。チャレンジが可能な環境を構築してほしい。

テレワーク

 コロナウィルス感染予防のために普及したテレワークを、恒常的に実施することを決定した企業が出てきた。営業部門のみならず、生産管理部門にも導入するのだという。

 これによって感染による営業停止のリスクは低減される。交通費、光熱費などのコスト削減も期待できるのかもしれない。運用の仕方次第だが、営業時間の拘束も緩和される。

 一方で非常時への対応や、通信障害などのリスクもある。回線が止まればすべて終わりとなってはもともこもない。さらに社員の連帯感の確保は大きな課題だ。かつてはこれが原動力で難局を乗り切ってきた。その奥の手が封じられることにもなりかねない。

 リモートワークは今の騒動が発声する以前からいずれは実施されると考えられていたことだ。結果的に見切り発車をさせられている状況にあるといえる。走りながら考えるしかない。果たして距離をおいたチームワークは成り立つのかと。

東京はどこまで

 コロナウイルスの蔓延で産業社会が衰退する中で、政府は観光支援策を打ち出し今日から実効されている。ただし感染者数が高止まりしている東京都は除外するという。これは理想的には東京から出ることも入ることも自粛すべきだがそんなことができると考えている日本人はほとんどいない。実におかしな政策である。

 日本人でなくてもグーグルマップか何かで東京を検索してみれば一瞬で分かることだが、東京は関東地方の一部分であり、その境目にはほとんど自然の障壁はない。多摩川や江戸川を境界とする地域もあるが、日本の河川はどれも小さく多くの橋が架かり、鉄道や車両が常に行きかっている。私の住んでいる地域は川さえない。道路歩いているといつのまにか他県に入っている。

 私は都民であるが職場は他県にある。職場に行くまでには都と県を複数回またぐ、そんなことも意識していないのが都民の実情なのだ。都県をまたぐ移動をしてはならないという自治体からの要請もあったが、実際は不可能だ。努力目標としてもあまりにも非現実的すぎる。

 今回の観光業支援策にはそれなりの理由は察せられる。地方経済はコロナ騒ぎ以前に深刻な状況にあった。自粛要請はそれに追い打ちをかけ、すでにとどめを刺された企業もある。それを救済するという試み自体は間違っていない。ただし、一方では感染予防を訴えながら、他方では感染の要因となる移動を推奨することは明らかに矛盾している。もっとほかの方法はなかったのだろうか。

 県内観光もしくは圏内観光の推奨の方がまだましであったかもしれない。自県の観光資源を見直す運動を打ち立て、格安の価格で観光資源を提供すれば地域でお金を回すことになり経済学的の理にかなう。日本はどの県も観光資源を有している。ただ意外と自分の家の近くの観光地には行ったことがないという人は多い。この体験をする機会になればいい。場合によってはリピーターとなるし、そうでなくても観光宣伝の口コミをしてもらうきっかけになる。

 政府の観光支援策がウイルスの拡散につながったという結末にならないことを祈る。そうなれば狙いは全く逆効果になり、地域産業に本当にとどめを刺してしまうのだから。

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