気候変動対策で日本が低評価

 アラブ首長国連邦のドバイで開催中の国連世界気候変動枠組条約締約国会議で相変らず日本の評価が低い。この時期に合わせてNGOが発表する化石賞で2位に「表彰」されるなど、国際評価は厳しい。

 日本が低評価になる理由の一つとして化石燃料に水素やアンモニアを混焼する技術がごまかしと評価されていることがある。グリーンウォッシュというらしい。この技術を海外に輸出していることも評価を下げている。今のトレンドは化石燃料をいかに使わないようにするのかであり、使い方の工夫をするというのでは評価されないようだ。

 ただ、日本にとって再生可能エネルギーへの転換は容易ではない。原子力発電に関して慎重にならざるを得ない国土にあって、何ができるのかを考えなくてはならない。

陽光の恩恵

 太陽光発電の腕時計の充電の度数を表す表示が少しずつ減少している。日照時間が減っているのに加えて、コートの袖などで時計が隠れることが多いためだろう。

 師走も上旬が終わろうとしている。一年の中でも夜の長さが長い時期だ。出勤時には月と明けの明星が冴えていた。ソーラー発電にとっては不利な季節だが、せめて歩くときは時計の盤面を少しでも当てるようにしよう。

 陽光の恩恵を実感することは少くなっているが、私はこんな場面で太陽のありがたさを思うのである。

自分を売り込む

 どうしたら自分をよく見せられるかということを学校が教えると言ったら、どう思われるだろう。実力もないのに虚飾の術を教えるのはおかしいと非難されるかもしれない。ただ、思うにそうでもないのだ。

 自分を売り込むことは伝統的な日本の価値観ではあまり評価されなかった。むしろ、実力は隠し謙虚に振る舞うことが美徳と考えられてきた。私自身もそういう文化の中で生きていたので、人前で自分がいかに優れているのかを説く姿には感心しない。むしろ非常識とさえ考える。ところがどうもそうではないようだ。

 自分を積極的に評価することは現代社会においては不可欠なことだ。それには2つの意味がある。1つは他者の評価は当てにならないという事実に基づく。自分が周囲からどのように見られているのかは、実は人によりけりであり絶対的な基準がない。高評価も非難も実は偶然の産物だ。だから、他人の評価を気にしすぎてはならないのだ。

 もう一つは自己肯定感も関係する。自分を積極的に評価することで、それに見合う生活が展開されるようになる。言葉にし他者に伝えることによって自分のあり方は変わる。だからブラスに見積もればそれに合う己になるように思考や行動が修正されていくようなのだ。だから大風呂敷は広げるべきなのだ。

 学校で自己紹介する際に、ネガティブなことは言わないように、それがデメリットでも見方を変えてメリットとして表現するように指導している。中高生は素直に聞いてくれるが年齢が上がるとそうもいかないだろう。自己肯定感よりも謙虚さの方が優勢になる。

 でもこれは一種の自己暗示である。気持ちがのれば不可能が可能になることもあるかもしれない。実現はしなくても前向きな姿勢にはなれる。その意味で自己PRを教えることにはやはり意味がある。

手書き原稿

 とある文学館で脚本家の草稿を見ることがあった。また、箱書きと呼ばれるストーリーを作るための原稿を見た。手書きから感じ取れるものは数多くあった。

 ものを考えるとき、やはり思考の跡を具現化するのには、紙と筆記用具とが適している。コンピューターで書くのはいろいろ楽だが、創作的な作業においてはやはり手書きの段階があった方がよさそうだ。

 デジタルにもアイデアを系統化して表示できるアプリはいくつもあって、使いこなせれば便利だが、気軽さや曖昧さに対応できるのは手書きがよい。しかも紙面に記すことでいつでも取り出せるものとなる。整理できていればだが。

 原稿用紙に文字を書くことが少なくなった現代人は、そのためにクリエイティブでなくなっている、というのは極論だが、そういう面もあるかもしれない。

読解力向上の実感無し

 国際経済協力機構の実施する国際学習到達度調査で、日本の生徒の読解力が向上したとのニュースがあつた。これだけ読むと祝福すべきだろうが、現場の教員からすると大いなる疑問をもつ。ここでいう読解力とは何を意味するのだろう。

 短い時間の中で与えられた設問に解答する力を読解力というのなら、ある程度の教育の成果はあるのかもしれない。特にデジタルデバイスを活用して検索した内容を自分なりに纏める力は少し前の世代と比べて格段に向上している。

 でも、情報処理以上の読解となると覚束ない。検索可能なものを越え、思考と経験を積み合わせる行いは苦手のようだ。いまの世代には直接的な体験が欠けている。情報としては接していても実物を見たことがないのである。例えば昆虫なり、岩石なり手にしたことがあれば、そこから得られる刺激がある。それがないから、モンシロチョウの羽化も木星の衛星の運行も同じレベルで遠い存在なのだ。

 だから子どもの読解力が向上したと言われると疑問符しか思い浮かばない。むしろ、低下しているというのが私の実感である。

 小手先の読解力を上げるより、思考とは何かを考えたほうがいい。イノベーションはそういう体験の積み重ねなしには生まれない気がする。

失恋のクリスマスソング

 このごろ巷間で流れるクリスマスソングで印象的なのはワムのラスト・クリスマスと山下達郎のクリスマス・イブだ。この曲がかかるとなぜか心が惹かれる。

 2つの曲に共通するのは優しくも感情のこもったメロディーラインに、失恋の歌詞が乗っていることだ。クリスマスの告白が見事に失敗するのに、未練が残ってあれこれ考える。そんな内容だ。切なさの中に歌うことで何とかしたいという気持ちが込められているようにも感じる。

 長い年月歌い継がれ、流され続けているのは多くの人に共通する感情を表現しえているからだろう。華やかなクリスマスという行事との対比もいいのかもしれない。また、恋を知らずに憧憬が先行していた年齢のときに感じたものと人生の第4コーナに差し掛かっているいまとでは印象もかなり異なる。

 この曲を今後どのように聞くようになるのだろう。

冬の景

 何気なく街を歩いてみた。気がつけば多くの落葉樹はもう半分以上の葉を落とし、さらに少しずつ身軽になりつつある。今朝は雲が垂れ込めてかつての居住地のような薄暗い風景だ。なぜかこの方が落ち着くのは深層で思う冬の景がこうであるからかもしれない。

 今日はそれでも寒さが厳しくはなく、手袋やマフラーはなくても済む。それが欠かせなくなったらまた感覚が変わるのだろう。基本的に冬はきらいではない。乾燥した晴天が苦手なだけなのだ。

使わない技術と節約する技術

 電気自動車が環境問題を解決するという幻想に世界が気がつきつつある。排気ガスを出さないことは大切だが、電池を造ったり廃棄するためにかかるエネルギーを勘案するとマイナスになるとの予測もある。

 重要なのは例えば車で言うならば乗らないで済む社会を作ることにある。日常生活の中での移動に公共交通機関を活用する方策を発明するべきなのだ。また、それでも車に乗らなくてはならない場合は、なるべくエネルギーを使わない仕組みが必要だ。最低限のエネルギー消費にできるようにインフラを変えていく必要がある。

 これまでは個々人が移動手段を自己判断で獲得してきた。するとどうしても無駄が発生する。同じところに行くのに別の車に乗り、不慣れな運転のために道に迷ったり事故を起こしたりする。これが積み重なると大きな消失となるのだ。

 同じところに行くのなら公共機関に託してもいい。高度な行き先設定は人工知能に任せよう。最低のエネルギーで最高の経験ができるはずだ。もし、運転それ自体が好きならば、そういう楽しみのためのコースを別に作ればいい。

 電気自動車を乱造するよりも、車に乗らなくていい、乗ってもエネルギーをなるべく使わないシステムを考える方を優先すべきだと考える。

まるまり

 認知症という言葉はかなり強烈だが、人は多かれ少なかれ脳の衰退に向かっている。私は短期記憶の低下を自覚しているのでちょっとしたことでもメモするようになった。これでしばらくは凌げるが、そのうちメモしたのかどうかもわからなくなるだろう。

 脳の皺が知能に関係するというのは本当なのか私には分からない。もしそうならば比喩的な意味において、その皺がなくなっていくのが加齢ということなのかもしれない。皮膚とは反対である。

 四捨五入することを丸めるという人がいる。脳が退化すると無意識的のうちに世界を丸めだすのかも知れない。大雑把に捉えることは知的なレベルで行えば高次元の行為だが、この方面は寂しさ伴う。ただ、詳細にとらわれないことは大切なのかも知れない。世界のまるまりを楽しむような余裕が必要なのだろう。

早朝の清掃ボランティア

 早朝に出かけた日のことである。駅前にある地下通路を静かに清掃する人が二人いた。路面にこびりついたガムか何かを剥がし取って、手持ちのペットボトルに入れた水で流していた。根気のいる作業である。彼らは清掃をボランティアで行っている人たちらしい。

 こういう行為を見ると自分も何かできないかと思う。昔見た「ペイフォワード」(Pay It Forward)という映画を思い出す。子どもが考えた善意のリレーで世界を変えるという発想を体現化したものだった。もちろん映画としてのストーリー展開でできすぎた内容であるのは仕方がない。善意は無意識のうちにリレーするの可能性がある。ただ、それがすぐに起きるのか時間がたってからなのかは分からない。ボランティアの姿はそのきっかけになる可能性があることは確かだ。

 私自身は何かをしなければという思いはあってもそれがなかなか実行できないでいる。せめて、ごく小さな親切から始めてみたい。それを行う勇気として清掃ボランティアの姿を覚えておこうと思う。

ホームページを作るなら ロリポップレンタルサーバー

取り扱い400種類以上のドメイン取得サービス─ムームードメイン─

【GOM Mix】初心者でも簡単な動画編集ソフト

WiMAX +5GをはじめるならBIGLOBE