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非効率でも自力で

 ここ数日、非常に非効率な日々を送っている。疲労と病気で、行動の効率が落ち、必要以上に時間がかかっている。気がつけば時間を浪費していて現代の基準にはあっていない。それでも、何とか自分でできることはやるということだけは守ることにした。

 そんなに能力がないのなら、人工知能に任せればいいのにと若い世代はいうだろう。確かにAIにプロンプトを書けば数十秒で回答がくる。そしてそれはほぼ間違っていない。自分の書こうとしていたことよりもいいときもある。でも、この段階だけは他者に任せたくない。私のこだわりといえば聞こえはよいが、要するに哲学のようなものなのだろう。

 自分の本心に関わる内容の場合、やはり自分で考え、文字にしなくてはならない気がするのである。他人の言葉を使っても自分の思いは表現できないと考えてしまう。

 もっとも言語自体が他人のものであり、それを使う以上は、自分の独自性を主張しても虚しく響く。それでも、私はほんの少しでも自分独自の何かを表現したいと考えてしまうのである。これは多分に感情的なもので自己満足なのかもしれない。その点は恐らく人工知能に点検させれば明白になるはずだ。

 それでも私は文章は紙にメモを書き、キーボードで下書きを書き、それを幾度か遂行して投稿するという段階を繰り返している。恐らく指が動くまではこれを繰り返すはずだ。何というか、私にはそれ以外の表現方法がないということなのである。

 週に一度くらいの割合でAIに書かせた記事を投稿している。これは手書きで書いた記事をもとにその評価をしてもらうための記事を自動作成しているのだ。よくできているが、本心とは異なるニュアンスもある。そういうズレを楽しむこともいまの私にとっては大切なのである。

クリスマスの音楽

 クリスマスにちなむ音楽は実に多い。賛美歌から始まり、毎年新たにクリスマスソングが作られ続けている。日本のようにクリスチャンは少ないのに文化的享受をしている地域も多いと思う。そもそもクリスマス自体が本来のキリスト教の行事ではなく、包摂されたものだという。

 クリスマスにちなむ音楽の多様性は、それだけを一年中流し続けるラジオ局があることからも明らかだ。クラシックからポップスまでネタが尽きることはない。そして一度ヒットすると長年にわたって再生されるという旨みもある。私にとってはホワイトクリスマスやハッピークリスマス、ラストクリスマスと言った曲は英語でも歌える。忘れかけた頃にクリスマスが来て、繰り返し再生されるからだ。

 クリスマスソングに比べると正月を題材にした歌は少ない。民俗的にはクリスマス以上に意味のある一日のはずなのにである。どうも日本人にとって正月は歌唱の題材にはならないらしい。恐らくそこには言語化できていない心性が潜んでいるはずだ。

 逆に言えば、正月を題材とした芸能、芸術は開発の余地があるということになる。クリスマスソングのように正月の歌といえばこの歌だという曲が年々蓄積されていくことがこの先起こるのかもしれない。

失恋のクリスマスソング

 このごろ巷間で流れるクリスマスソングで印象的なのはワムのラスト・クリスマスと山下達郎のクリスマス・イブだ。この曲がかかるとなぜか心が惹かれる。

 2つの曲に共通するのは優しくも感情のこもったメロディーラインに、失恋の歌詞が乗っていることだ。クリスマスの告白が見事に失敗するのに、未練が残ってあれこれ考える。そんな内容だ。切なさの中に歌うことで何とかしたいという気持ちが込められているようにも感じる。

 長い年月歌い継がれ、流され続けているのは多くの人に共通する感情を表現しえているからだろう。華やかなクリスマスという行事との対比もいいのかもしれない。また、恋を知らずに憧憬が先行していた年齢のときに感じたものと人生の第4コーナに差し掛かっているいまとでは印象もかなり異なる。

 この曲を今後どのように聞くようになるのだろう。

クリスマスチャンネル

 海外のラジオ局にいわゆるクリスマスチャンネルというのがある。一年中クリスマス関連の曲をひたすら流し続けるのである。実は私は個人的に嫌いではなく、時々インターネットを通して聴いている。

 クリスマスソングは実に多様であり、讃美歌からポップスまで幅広く年中流していても尽きることがない。有名なメロディは当然何度も出てくるが世界中のミュージシャンが様々なアレンジで歌うからレパートリーは無尽蔵なのだ。

 日本で同じようなことはできるだろうか。お正月の歌は意外にも多くはない。ポップスでも正月をテーマにした曲は少ない。できそうなのは桜関連の曲だ。サクラを歌った曲は結構ある。ただ年間を通して放送するだけの数はあるだろうか。

 盆などもそれを題材にした楽曲は少ない。行事と音楽の結びつきは日本では顕著ではないのだ。逆にいえば、例えば正月は楽曲の題材として発展しうる余地を残しているということになる。

 クリスマスの伝統の深さを知るとともに文化とは何かを考えるのである。