ここ数日、非常に非効率な日々を送っている。疲労と病気で、行動の効率が落ち、必要以上に時間がかかっている。気がつけば時間を浪費していて現代の基準にはあっていない。それでも、何とか自分でできることはやるということだけは守ることにした。
そんなに能力がないのなら、人工知能に任せればいいのにと若い世代はいうだろう。確かにAIにプロンプトを書けば数十秒で回答がくる。そしてそれはほぼ間違っていない。自分の書こうとしていたことよりもいいときもある。でも、この段階だけは他者に任せたくない。私のこだわりといえば聞こえはよいが、要するに哲学のようなものなのだろう。
自分の本心に関わる内容の場合、やはり自分で考え、文字にしなくてはならない気がするのである。他人の言葉を使っても自分の思いは表現できないと考えてしまう。
もっとも言語自体が他人のものであり、それを使う以上は、自分の独自性を主張しても虚しく響く。それでも、私はほんの少しでも自分独自の何かを表現したいと考えてしまうのである。これは多分に感情的なもので自己満足なのかもしれない。その点は恐らく人工知能に点検させれば明白になるはずだ。
それでも私は文章は紙にメモを書き、キーボードで下書きを書き、それを幾度か遂行して投稿するという段階を繰り返している。恐らく指が動くまではこれを繰り返すはずだ。何というか、私にはそれ以外の表現方法がないということなのである。
週に一度くらいの割合でAIに書かせた記事を投稿している。これは手書きで書いた記事をもとにその評価をしてもらうための記事を自動作成しているのだ。よくできているが、本心とは異なるニュアンスもある。そういうズレを楽しむこともいまの私にとっては大切なのである。
