投稿者: Mitsuhiro

詩歌

 詩歌は昔から好きで今でも駄作を作り続けている。なぜかといえば、詩歌にしか表現できないものがあるからだ。

 論理で説明することは。大事だが、それだけではどうしても表現できないことがある。そんなときは俳句であったり、短歌であったり、自由詩が気持ちをすくい上げてくれることがあるのだ。

 だから、いくら下手くそでも作り続けている。その器にしかもれないものがあるのだ。

新機軸

 新しいことを始める際には、いままでの経験を敢えて変えてみることも求められる。改善が原則だが、敢えて逆を試してみることも必要だろう。

 効率性なり生産性を重視ししすぎると冒険ができなくなる。一時的に起きる損失が大きい場合は特に躊躇する。致命的な失敗にならないのかと心配してしまうのだ。この範囲に留まる限り、新しいことはできない。

 逆に言えば新機軸を見つけるためには損失を覚悟して、更にその先を考えることが必要ということだ。始めなければ何も起こらない。まずはやってみよう。

 できたことを記録していくのも励みになる。それもやってみる。

音声入力

 今回は音声入力を利用してブログを書いている。 音声入力の精度はかつてと比べるとかなり良くなっている。 ただ日本語には同音異義語が多いために、なかなかうまくいかないことも多い。

 音声入力をしている場面はかなりおかしい。スマホに向かって独り言を言っている。 かなりな変人だ。それでもこれからはそういう場面に多く出会うだろう。

 ここまでの入力で、同音異義語や句読点が出てくるたびに引っかかっている。でも、それ以外の入力は比較的うまくいっている。私のようなだみ声で滑舌が悪くても入力できている。結構これは使えるかもしれない。

 音声入力で必要とされる能力に文字が正しいかどうかを見定める漢字力、表記力がある。この意味において漢字のテストの役割はまだ終わっていない。音声入力は意味のつながりを考えておらず、単に可能性の高い変換をしているのに過ぎないのだ。

 もう文字を覚えなくてもいいとか文章は機械に任せるとかそういう考えは今のところ通用しない。今後、さらなる技術の飛躍があって、音声入力がほぼ完璧になされるようになったら、次は話したまま、文章として成り立つように文章が組み立てられる能力が必要になるのだろう。

 どこまで行っても国語能力が必要であり、そうである限り文字を書き文章の構成を考える学習は必要であり続けるはずだ。

新しい試み

 脳科学者が発言する言葉にはどこか超科学の香りがする。もちろん、実証に基づく理論であることは分かっている。ものを考える仕組み自体を考えるという段階において私には手に負えない。

 だから、言われたことをある程度は鵜呑みにするしかない。最近気にしているのは前頭葉の衰退をいかに避けるかである。これは何か新しいことを行うときに活躍する部位であるそうだ。経験に基づき習慣化した行動をしているときは不活発になるという。脳が老化すると前頭葉の働きが落ちるらしい。

 これを避けるために新しいことに臆せず挑戦することが必要ということだ。失敗を恐れてはならない。その失敗経験が前頭葉を活性化するのだとか。ブラックボックスの部分を検証できず言いなりなのだが、結果的にはいまの私には向いている助言のようだ。日々これ挑戦。

地方都市

 人口減少が進むと都市への人口集中が起きやすくなる。インフラの効率化などを考えると、コンパクトにまとめた方がいいというのは理に叶っている。ただ、そこで気をつけなくてはならないのは多様性の損失だ。

 極論をするなら札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡に人を集めて、さらにそれを東京に集約するような流れを考えている人もいるだろう。その時代はそれで乗り切れるとして、持続可能な未来があるのかと言われれば大いに疑問だ。

 産業的に考えれば、地方の都市が果たしてきた役割を今後いかに代替するのかが考慮されていない。林業や農業、水産業に関することを担当する人は誰なのだろう。

 コンパクトに住む効率性の中で失われる多様性は大きな損失だ。色々な考え方なり行動様があって多彩なアイデアが生まれる。それが文化の力だ。

 ならば地方都市をいかに存続させていくのかが当面の課題と言える。単に巨大都市を作ればいいという訳ではないのだ。

低温乾燥

 このところ気温が下がり乾燥した天気になっている。風邪をひく人が増えた。問題は乾燥の方で様々な健康障害をもたらすようだ。

 寒さにはある程度耐えられるが、乾いた空気がいかんともしがたい。雪国から来た人は多くがこう話す。体感に大きく作用するのは湿度の低さであるようだ。肌の表面から感じ取る冷たさの度合いが変わる。

 喉の乾燥はウイルスの感染にも関わるようで、コロナウイルスだけではなく、インフルエンザも同時流行の気配があるという。しばらくは辛い季節となる。

卯年にむけて

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 来年は卯年である。ウサギにかこつけて飛躍の年という人がいる。またボウの音が古代の「茂」の音に通うところから、植物が繁茂している状態になるということもあるようだ。そこから繫栄なり、発展なりを連想する向きもある。

 いずれも後付けの説明のようで、本来は子から数えて4番目を意味するだけの記号であったというのが事実に近いらしい。ベトナムではウサギではなくネコの年らしい。何を当てるのかも民族によって違うのだ。

 でもそれが非科学的であろうと、歴史に基づかない民間語源説であろうと信じる者は救われるのかもしれない。ウサギのように飛躍し、植物が生い茂るように自分の夢を広げていく、そんな1年を期待する。

 年賀状に「卯」の字を書きながら、思うのは自分はもちろん社会の飛躍と安定である。

虚礼ではなく

 年賀状を書く季節になった。先輩の中にはこれで賀状交換は終わりにしたいとおっしゃる方もいる。寂しいが仕方がない。これはもともと義務でやるものでもないし、いわゆる義理でもない。いわゆる虚礼にならないように私も方針転換をする。つまり、来年からは出したい人だけに出すことにする。

 これまでは仕事上の関係とか、公平性(?)とかいろいろ忖度して賀状を書いていた。これからは年齢や経歴や過去の関係とかを考えずに出したい人にだけ出すことにする。それが虚礼ではなく本当の挨拶だといえると信じることにする。だから、一枚にかける時間は長くし、思いをしっかりと書く。それが書けない人には出さない。この方針で行くことにする。

 私から年賀状をもらったらきっと「読み応え」はあると思う。ただ、それも相手がどう思うかは様々だ。それは気にしない。挨拶したい人だけに丁寧にあいさつする。それが私の方法ということだ。このくらいのわがままは許される年齢にはなっていると思う。

アニメソングは永遠

 アニメの主題歌の世界では第一人者の水木一郎さんが亡くなった。肺がんだったという。その歌声は子供のころから聴いており、誰もが代表作と考えるであろうマジンガーZのほかにも宇宙海賊キャプテンハーロックなどの歌唱も印象的だった。仮面ライダーやウルトラマンシリーズなどいろいろな曲でその歌声を残されている。

 子どものころに繰り返し聞いた曲はなぜか忘れない。簡単でドラマティックなメロディーラインということもあるのだろうが、それ以上に感情をこめて歌っていたこと、つまり歌の世界にのめりこむことができたことが大きく関係しているようだ。

 アニメソングはその意味で私たちの世代の底層にある何かであり、それはこれからも変わることがない。若者の曲を聴いているときもこのメロディラインはどこかで聞いたことがあると思うとき、それがアニメソングであったりする。ならば、日本のポップ音楽の典型を示す何かが含まれているのかもしれない。

 水木さんのご冥福をお祈りいたします。夢と勇気をありがとうございました。

保育と介護

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 最近、保育と介護の現場でのトラブルが大きく報じられている。虐待と考えられる行動をして問題となり、立件された例がある。ここにはももちろん保育士や介護士の個人の資質の問題もあるが、それにとどまらない諸問題があると考えられる。

 圧倒的な人材不足はその第1要因だ。厚生労働省のサイトにリンクされている「保育人材確保のための『魅力ある職場づくり』に向けて」という平成26年(2014)8月付のデータによれば平成29年末に7.4万人の保育士が不足すると予測されていた。現状がどうなのかは分からないが、求人に見合う希望者がいないのが課題とされている。その原因は給与の安さ、休日のとりにくさ、人間関係の複雑さなど仕事に関する魅力の低さが原因している。

 介護士の方も同様である予測では2025年には32万人、2030年には69万人の介護士が不足するという。少子高齢化に加えて、介護職の持つイメージ、実際の労働環境の悪さ、待遇の悪さなどが挙げられている。もちろん施設による差が大きいので一概には言えないが、これらが人材確保に悪影響を及ぼしているのは確かだ。

 このような背景がある中で、いい人材が確保しにくいという現実がある。私自身が介護される側に回りつつある中で、例えば退職者が施設のお世話になる前に職員として働くことはできないのかというプランを考えてみなくてはならない。体が丈夫であれば介護士として貢献することができるのではないかということだ。

 私は父が特養でお世話になったとき、時々訪問しその厳しい現実を見てきた。思い通りにならないからだと心を持つ高齢者は想像以上に大変なお相手だ。暴言に見えるその言い方、人による障害の度合いの差、排泄物のにおいなど思い出すだけで困難が想像できる。しかし、それを支えてくださった介護士の方々には感謝している。もし可能であれば少しでも恩返しがしたいとは思うのだ。

 話がそれたが、保育にしても介護にしても人生においては重要な仕事にも関わらず、その評価が低く、それゆえに人材が確保できない。そういう状況ではさまざまな社会問題が発生しやすい。まずはこの現状を知り、こうした仕事の魅力を高め、多くの方が志してもらえる仕事にしていくことが急務ではないか。