投稿者: Mitsuhiro

カップそば

 寒くなって温かいものが食べたくなることがある。コンビニで買えるものといえば、揚げ物や肉まんの類があるが、かつてほどほしいと思わない。自分の中で繰り返しているのはカップ麺である。一番小さなサイズは小腹を満たすのによい。

 いろいろな種類があり、そばやうどん、ラーメン、ワンタン、様々なスープ類などいろいろ選べる。私としてはやはりそばを推したい。本物との距離が近く、後味もよい。

 多くのコンビニでは湯沸かしポットが利用できる。これに湯を満たせばあとは数分待つだけだ。ベンチに座れたなら立派なファストフードになる。しばらく続けることになるだろう。

選挙に行きますか

 駅前でとある政党が演説を行なっていた。曰く、選挙にいかなければ政治は変わらない。有権者の半数に満たない投票で政治が行われているのはおかしいと。至極正論である。

 右翼政党として知られているその政策は支持できないがここまでは賛成である。この演説を聞きながら、動画サイトで展開するユニークな政治に関する番組を思いだした。数名の高齢者が登場し、若者は選挙にいかなくていい。政治は年寄りに任せろ。好きなようにしておくから。あなた達はSNSで政治の愚痴を書き込んでおけというものだった。皮肉が効いたもので印象に残った。

 この動画の方は世代の分断を促すものとして批判されているようだが、若年層の投票行動を促すものとしてはなかなか効果的だ。実は世代差だけではない。投票しない多くのサイレントマジョリティーが割を食っていることは明らかだ。

 民主主義の陥穽にはまらぬように、何をすべきなのかを考え続けなくてはならない。

間を置くこと

 演劇の世界では台詞をいかに観客に届けるのかということに拘る。一つには声量を大きくして、滑舌よく話すこと。これが最低条件だ。ただそれだけではない。あえて何も発しないことも大切な表現手段とされている。

 何かを伝えるときに一本調子だと聞き手は次第に刺激を失う。熱心な聞き手ならそれで構わないが、多くの場合、聞き手は気まぐれでわがままだ。彼らの耳目を集めるには工夫がいる。その方法としてマイナスのメッセージがある。つまり何も発しないことによって注目させるという手法だ。

 これはうまくやらないと失敗する。情報を発しないのは空白を作ることだ。それに耐えるのは発信者にとっては忍耐がいる。間を置くと一言ではいうがさほど簡単ではない。一度コツを覚えるとこれが効果的な情報伝達法であることを知る。若者にはこの経験を持たせたい。

 そのためには演劇を体験させることが必要なのかもしれない。学校で演劇をさせることは以前からその意義が語られている。それなりの指導ができる教育者もいる。

七五三

 子どもが着物を来て寺社参りをする七五三の行事は、江戸時代の武家の行事が広まったものという。11月15日をその日とするのも、由来があるとする説が普及している。恐らくこれは後づけであり、旧来の行事を分かりやすく整理し、呉服販売の促進のために関係業者が宣伝のために広めたというのが事実なのではないか。

 髪置き、袴着、紐解きといった子どもの成長過程に応じた年齢通過儀礼は、今より子どもの死亡例が高かった時代においては、祝福というより祈願の方が上位にあったはずだ。その意味が忘れられても、子どもの成長を祝うことは、本人よりも保護者たちの覚悟を確認するための機能を果たしている。

 先週末、神社に男の子を連れて行く家族に出会った。両親に祖父母が着物を着た男の子を囲んでいる。早速、どこかを汚したことを怒られていた。彼はこの先多くの保護者たち、さらには別の先輩たちの世話をすることになる。頑張ってほしい。

難読漢字

 ネットのニュースサイトの読み物記事に難読漢字の読み方というのがある。外来語や外国の地名に対するあて漢字はそれとして、「質す」「亘る」「覆う」「躓く」「跪く」などの訓読みはクイズとしては難問に入るようだ。

 中にはほとんど使わない当て字の問題もあるが、かつての日本人であればほとんどが読めたはずの文字が現代では難読になっている。それにはかつての活字文化ではルビ(読み仮名)つきでこれらの語が印刷されていたため、知らないうちに読みを覚えてしまうということがあったのだ。デジタル表記でもルビを打つことはできるが、それほど一般的ではない。

 もう一つの理由が漢文の素養の低下なのだろう。漢文は高校時代に学習し、大学入試で読む以外には接することがなくなりつつある。中国の古典に対する知識も庶民レベルで低下している。「三国志」や「水滸伝」などに接していれば、漢字文化への親和性は保たれていた。

 漢字は同音異義語が多い日本語にとって、意味のニュアンスをかき分けるツールになる。知っておいて損はない。ただ、スクリーンに文字を読み書きする毎日のなかでは習得できる機会は減っている。

木枯らし

 今日、東京で今季初めて木枯らしが観測されたという。また、木枯らしの発表は3年ぶりという。

落葉の季節

 朝、コートについて書いたが私としてはさほど寒さがこたえるといった程度ではなかった。むしろ乾燥が際立ったことが問題でこれからは風邪をいかに避けるかが問題になる。

 木枯らしの名の通り、いま急速に落葉が続いている。けやきは風に舞いやすいのか、旋回しながら舗道に落ちてくる。そしてアスファルトに積もった落ち葉は自動車が通過するたびに、再び空中に舞い、また旋回しながら落ちてくる。恐らくこれを何度も繰り返す葉もあるのだろう。

 あの落ち葉をかき集めている方の苦労を考えている。しかし、それもすぐに忘れてしまい自分の今日の目的地に急ぐ。冬は直ぐ側にある。少し慌てている。

冬の更衣

 樟脳といまでも言うのか分からないが、衣服の虫害を防ぐための薬剤には独特の臭いがある。今日はかすかにそれが感じられるのは、外套を久しぶりに出した人がいるからだろう。

 今朝は冷え込んでおり、10℃に達していない。私もかなり悩んだが今日は止めることにした。この寒さは明日で一区切りあるようだ。そろそろ用意しなくてはなるまい。

師走並みの寒気

 昨日あたりから寒気が南下しているようで急速に寒くなっている。寒さというのはちょっとした不安を掻き立てるようにできているらしく、言葉にならない感覚が覆いかぶさっている。

 平年以下の気温になるのは14日火曜日までらしく、その後は平年並みに戻るとのことだが、異常な猛暑に慣れてしまった身体にとっては急激な温度変化は体調を崩すことに直結しやすい。電車に乗っても、買い物の店に入っても咳をしている人に多く出会う。再びマスク生活を復活しなくてはならないのかもと思い始めている。

 寒くならないのも心配だったが、寒くなるとそれも困ると思う。勝手なものだ。

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静謐な時間

 赤坂のモールでクワイエット・タイムが実施されたというニュースがあった。照明や音響を制限したり止めたりすることらしい。感覚過敏の人への配慮が目的で、海外での実践例を真似たという。

 そういえば日常生活では過剰な音と光に囲まれていると感じることがある。当初は過剰に感じても、それらに晒され続けると当たり前になる。何らかの事情で、たとえば故障などで照明がつかなかったり、BGMが途絶えたりすると不安になることすらある、しかし、これは実は不自然なことである。

 東日本大地震以降、電力供給不足が起こり、商店や街頭などの照明が制限されたことがあった。始めは不安感を覚えたが、これも慣れてくると気にならなくなった。我々の感覚過敏というのは習慣の中で形成されている。不要な照明や音響、空調などはあらかじめ切っておいた方がいいのかもしれない。

 身体的都合で感覚過敏の方には当然だが、そうでない者にもクワイエット・タイムは必要なようである。

内祝い900

 今日でstreak900となった。連続出稿記録だ。何度も書いているが実はWordPressの前にはてなブログでも連投していたのでそれを加えるとかなり続いている。内容はないがとにかく続けていることを自画自賛したい。

 これだけ続けているのに進歩がないのも、ある意味素晴らしい。アクセス数を稼ぐためのあらゆる工夫を怠り、好き勝手に書いてきた。本当は少しは注目されたいという気持ちもあるが、そのために時流に迎合したくはない。少数意見でも言いたいことをいうという方が性に合っている。

 ブログを書くことは習慣化しているので、恐らく私が健康なうちは続くだろう。心優しい皆様にはできれば時々お付き合いいただき、まだ生きていることを確認されていただきたい。