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今日は旧暦の七夕

 今日は旧暦の七夕である。歴史上、旧暦で七夕の儀礼が行われてきたほうがはるかに長い。今朝は雨だが、夜に牽牛と織女の星は見られるだろうか。

 七夕というと今では新暦の7月7日に行われるか、月遅れの8月7日のどちらかである。7月7日では梅雨の只中であるので、分かりやすいひと月遅れの8月7日の行事が生まれのだろう。しかし、実際の太陽太陰暦は年によって対応関係が変化し、今年の場合は8月下旬になった。

 七夕の星と言われるヴェガとアルタイルを含む夏の大三角形は今のほうが遥かに見やすい。東京ではよほど条件が揃わないと難しいが、天の川もこれらの星を頼りにして見つけることができる。

 七夕は他の節句と同じように元は中国の行事に遠因を持つ。それを日本の宮廷が行事化したものがさらに民間行事へと変化したものと考えられる。日本の場合は古事記や万葉集などに見られる棚機津女(たなばたつめ)との関係もあるとする説もある。もとは神を迎える巫女が関与する行事だった可能性もあるというのだ。さらに、禊の要素も含まれ、天の川を禊の川と考える地域もあるようだ。笹の葉を飾り、時期が終わればそれを捨てるという行いももともとはこれに由来するという。どの行事にもいえることだが、歴史ともに意味や位置づけが重層化していくのだ。

 短冊に願いを書く習慣は江戸時代から始まったと言われ、本来、詩歌や裁縫といった芸能や技能の上達を祈るものであったようだ。最近は学業の向上だけではなく、恋愛成就や平和祈願、果ては推しに会えますようになど牽牛織女の専門外の願い事まで書かれる。このスターフェスティバルとなった七夕はこれからも変化していくのだろう。今日はその本来の日であることを記しておく。

1字の商標

 Twitterの商標がXとなることで様々な話題が生じている。イーロン・マスク氏の独善ではないかという批判を含むものが多い。それとともにXというよく使われる一文字が商標登録できるのかという問題がある。

 Twitterの日本法人Twitter Japanは早速問題に直面した。そのままXにや置き換えることは利権上難しい。今のところJapanだけの表記になっているそうだ。アメリカの国内でもこの商標は多数あるはずだ。それらをどう処理するのだろう。

 日本の場合、商標法の中で「極めて簡単で、かつ、ありふれた標章のみからならなる商標」は認められないと規定されており、商標審査基準では上記の認められない例としてローマ字については「1字又は2字」であったり、「ローマ字2字を「ー」で連結したもの」、さらに仮名文字については「1字」「ローマ字の1字の音を表示したもの」「ローマ字の2字の音を表示したものと認識されるもののうち、そのローマ字が商品又は役務の記号又は符号として一般的に使用されるもの」が挙げられている。このまま適用すれば、「X」も「エックス」も認められないことになる。

 名前というものはそれを名づけた人の思いや願いがある。それが商売と絡むとき様々な制約が出てくる。今回のX問題はそれらを考えさせられるきっかけとなっている。

旅行者の発見

 茅ヶ崎市立美術館で開催中のイギリス風景画と国木田独歩という展覧会を観てきた。独歩が最晩年に市内のサナトリウムで過ごしたことにちなむものだが、風景画とは何かを考えさせられるいい企画であった。

 独歩はワーズワースの詩の世界に影響を受け、「武蔵野」という詩情溢れる散文作品を残した。イギリスにはターナーなコンスタブルに代表される風景画を芸術の域に高めた歴史があり、その手法を独歩は学んだことになる。

 注目したのはイギリス人画家が描いた日本の風景が大変鮮やかであることや、何気ない街角の景が取り上げられていたことだ。逆に日本人が描くイギリスの風景も華やかさが自国の画家の作品より際立っていた。恐らく旅行者でなければ見えない何かがあるのだろう。

 かつて万葉集を学んでいた頃、大伴家持が越中の地名を盛んに歌作に残していることに注目したことがある。国守としての任期の中でしかも無縁の地をなぜ取り上げたのか。それは国守としての自負もあっただろうが、やはり異郷の惹きつける何かがあったのではないか。そんなことも考えさせられ展覧会だった。

FC町田ゼルビア

 町田にプロのサッカークラブを作ろうという機運が高まり、JFLに昇格したあたりから私は時々観戦に出かけたことがある。今は立派になった町田市立陸上競技場の客席の大半は傾斜した芝生席だったし、鉄道駅からのアクセスが悪いからプロチームは無理だと言われていたことを思い出す。今年はJ2リーグでの首位を独走しており、先日の天皇杯予選ではJ1首位の横浜・F・マリノスに圧勝した。相手はベストメンバーではないにしてもJ1の優勝争いをするチームに勝つまでの実力があることが証明されたのだ。

 私が観戦したころはJFLの3~6位くらいを行ったり来たりしていた。相手は実業団チームであったが、TDKや松本山雅などのちにJリーグに昇格したチームもいた。観客はいつも1000~2000程度でそのなかにもかなりの招待席があった可能性がある。熱心な応援団がガラガラの観客席にチャントを繰り返していた。選手たちのかける声もよく聞こえたし、試合後に観客席に挨拶に来ると、観客席の少年から「コーチ」の声が多数かかった。少年チームの指導員の仕事を掛け持ちしていたのだろう。町田は少年サッカーが盛んな土地柄で、当時Jリーグで活躍する選手の出身地は静岡の街に肩を並べるくらい多かった。その後、J2に上がり、再びJFLに陥落し、そして再昇格した。

 チームが強くなったのにはいろいろな要因がある。サイバーエージェントがスポンサーになったこともその一つかもしれない。人気が出るとあたかも昔からプロサッカーチームがあったかのように思う人が増えてくる。「パスを回せ」「こっちだー」と大声でボールを要求していた選手は今は都議会議員になっている。あの頃は人を集めるのだけで一苦労だったのに。

私がなんとなく大切にしているものの一つにJFL時代のチケットの半券がある。すでにプロ化の進みつつあったもので、サポータークラブに入っていたのでそのおまけとしてもらったものだ。2010年8月1日の試合で、ガイナーレ鳥取と対戦して0-1で敗れている。記録をみると7081人の集客があったようだ。私はソニー仙台やホンダロックといった実業団チームとの試合の方が実は印象に残っている。千何百人のうちの一人になれたことを嬉しく思ったものだ。

七夕の願い

 新暦の七夕である。梅雨の只中で天の川の邂逅は目撃できないはずだが、今年は異常気象もあつて可能かもしれない。日本ではこの日、短冊をつけた笹を飾る。その短冊に願い事を書くのが習慣になっている。

 日本の七夕行事は恐らく根が深い別系統の棚機つ女伝説や、本来夏越の祓に関係する禊や祓えの行事が集約されているものと思われる。短冊に願いを書くことは江戸時代以降らしい。

 願い事は元来、文字の上達など、学業や芸事の向上が願われていたらしい。だから、金持ちになれますようにとか、推しの誰々に会えるようにとかたのまれたとしても天帝は処理に困るだけだ。

 私は「いつまでも自分の頭で考えられますように」という願いを見えない短冊に書いて飾ることにする。もちろん認知症が発症することを少しでも遅らせたいということもある。それよりも何でも機械任せにして考えなくなっていることへの自戒を込めてこの願い事を掲げよう。

 叶えてくれるだろうか。

金輪際現れないのではなくこれから沢山現れてほしい

 アイドルという曲が世界的なヒット曲になっている。一度聞いただけでは覚えられない複雑なメロディラインや、ボカロと言われるジャンルの曲を人間が無理やり歌っているかのような新奇な感覚、部分的に切り取っても使える展開の多さなどが特徴だ。

 作曲者は世界で売れ入れられるよう様々な配慮したという。真の意味の企画ものなのだ。アメリカを除く世界ランキングで一位になったのもしたたかな戦略の賜物だった。

 日本のポップスには独特の味わいがあると言われながら世界的なヒットはなかなか生まれなかった。隣国韓国はこの世界では後発なのに日本の遥か前を走る。これは戦略の差と言える。日本は国内に相応の市場があるため、海外に打って出る必要がなかったのだ。

 最近旗色が変わってきた。高齢化する日本市場ではいままでのやり方では成長できない。ならば海外だ。幸い日本文化のユニークさは各界で有名であり、漫画やアニメといった頭抜けたコンテンツがある。これを巧みに利用して海外の顧客を開拓すればいい。そういう考え方を本気でやる人が出てきている。

 アイドルは聴いていただくと分かるが楽曲は日本的ではない。しかし、歌詞の世界観は日本そのものであり、このミスマッチは海外で受け入れられやすいだろう。やり方は他にもある。これまで築き上げた財産を世界にどう売るのか。展開が楽しみだ。

写真のような記憶

 写真のように見たものを詳細まで覚えていられる人がいる。先日、山下清の展覧会に行ってきたが、彼は放浪時にはスケッチをほとんどせず、帰宅後に見たものを思い出して描いたのだという。しかし、その細部まで詳しく覚えて実景が忠実に表現できていたらしい。

 こういう才能をある人はカメラアイと呼ぶそうだ。ただ、本当に現実と同じかといえばやはりそれは違う。どんなに忠実な記憶にみえてもそれは覚えた本人の解釈が加わっているものだ。山下清の場合、彼が見たいものは大きく描いているが、おそらく見たくないものは意識下で削除している。それが芸術というものなのだろう。

 私たちがなぜ彼らのように映像を記憶できないのか。それは脳の仕組みと関係があるようだ。私たちは常に移り変わる状況に対応するように進化してきたため、ある定点の映像をそのまま保存することに価値を見出さない。だから、新しい情報が入るとその前のことを忘れてしまう。また空間を構図として記憶することもあえて避けているのかもしれない。自分の関心のある対象物だけに意識を集中し、そのほかのものを背景としてぼかすことで意識が散漫になることを防いでいるのだろう。

 だから、カメラアイでないことはそれなりに意味があることと考えたい。また、何らかの事情で空間記憶力を身につけている人はやはり天才として尊重すべきだと考える。

古典作品を読むことは現代を考えること

 古典を読んでいるといろいろ気づくことがある。セネカの「人生の短さについて」と列禦寇の「列子」を読む機会があった。どちらも社会情勢の混乱期にいかに生きるべきかについて語ったものである。学生のころ読まされたはずだが、ほとんど忘れていた。読み直してみるとこういうことだったのかと思い当たることが多い。

 古典、しかも1000年以上前の作品を読むときには、そこに述べられていることに臨場感はない。あくまでそのエッセンスを読み取ろうとする。一種の寓話として読んでいるともいえる。でも、私たちの想像力により、どんなに古い内容であっても現在の生活に生かすことは可能である。

 例えば「朝三暮四」のエピソードのように、語られることは単純であり誇張されている。荒い設定が逆になんにでも当てはまる懐の深さを生み出すのである。そして述べられている主張が今日にも当てはまることもあり、そうでないときもある。その対照によって結局は現代を考えていることになる。古典を読むことは現実社会を考えることに他ならない。

 過去のことを知ってどうするのだ、日進月歩の時代に振り返りはいらないなどという前に、まずは自分の立ち位置を考えるべきだ。もしそれができれば画期的な新しいことも生まれるはずだ。なにも新しいことを追いかけるだけが前に進む方法ではない。

漢字練習

日本語にとって漢字は不可欠だ。恐らく漢字がなければ貧弱なコミュニケーションしかできない。漢字はもともと古代中国の文字だから、日本語は外国語に支えられていることになる。

字を書こう

これは別に日本語だけの現象ではない。ヨーロッパな言語の多くも、自国語以外が発祥の語彙が多数含まれ、文法までも他言語から取り入れている。日本語の場合はそれが文字という目に見えるものだから分かりやすいというだけだ。ちなみにひらがなもカタカナも漢字の省略から生まれている。

さて、漢字を書けることは日本語話者にとっては重要な課題だが、この能力が少しずつ低下している。その原因の一つが、デジタル化によって漢字を手書きする機会が減ったということがある。複雑な字形の漢字は、つねに形を確認しておかなくては忘れてしまう。そして確認の方法が書いてみることにあるのだ、

例えばいまこのブログはiPhoneでフリック入力している。仮名で入力すると漢字の候補が挙がる。その中から相応しいものを選ぶのだが、この際に漢字の字形はほとんど瞬時に見るばかりで、詳しく確認していない。万一、少し違う文字をそれとなく紛れ込ませていたならば、それを選んでしまう可能性は十分にある。

 こうした生活を繰り返していると漢字が書けなくなっていく。書けないと漢字を使う機会は減るから、次は読めなくなることに繋がる。

私自身の問題として漢字を書く機会を確保しなくてはならないと考えている。それには積極的に手書きの文章を残すことがいい。その中で漢字を極力使うことにしよう。人に言う前に、まず自分の言語世界を守らなくてはならない。

自分で書いたのに

 なんでも記録される時代である。そしてデジタル化されたものはなかなか消えない。もちろんこれは存在し続けるということであって、価値が変わらずに続くことではない。だから、存在していてもアクセスしなくなれば実質なくなったのと変わらない。

 自分が過去に書いたものが今でも検索すれば読める。学生時代に書いた多分にエッセイのような論文もいまでも変わることなく読める。その後、いろいろな方がそれを読み、中には引用してくださっている方もいる。申し訳ないが私の論文は間違っていた。部分的に材料として使うならば使えるところもないではないが。

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 その自分で書いた文章を改めて読むと、とても自分が書いたものとは思えない所がある。つまり、書いた意図が思い出せないのである。批判的に若いころの自分の文章を読むことができるのは、すでに書いた自分と今の自分が相当違うからなのだろう。論文を書く仕事を辞めてからはこのように何かに自分の考えを残すという機会がなくなった。ただひたすら毎日を消費するばかりだ。少しは人のためになっていることを願うのだが。

 自分で書いたのに自分の文章とは思えない。こういう経験はこれからもあるのだろう。私は毎日このブログを書いているので、過去の自分にさかのぼることができる。そしてさかのぼるとやはり自分のものとは思えない文章に出会う。人は変わりながら生きているのだ。だからこれを恥じることはない。そう考えることにした。