カテゴリー: エッセイ

共通テストの国語を解く

 大学共通テストの国語は来年から形を変えることが発表されている。そこで現行の形態としては最後の問題を解いて感想を書き留めておこう。

 まずは相変わらずの分量の多さである。表紙を除けば50ページにもなる問題を最後まで解ききるにはそれなりの練習と、くじけない気持ちが必要だ。さらにあまり時間をかけられないので大づかみに内容をとらえることも必要になる。これらは機械で代替できる能力と私は考えるが、センター試験時代から情報処理能力、もしくはマニュアル力重視の傾向は変わらない。

 受験生にはそういう批判をしている暇はない。とにかく解かなくてはならない。現代文ではまずさきに注に目を通し、どんな文章なのかを予想する。次に共通テストの場合は先に設問を見たほうがいいようだ。特に各大問の最後にあるいわゆる新傾向の問題は、出題者が問題文をどのように読ませようとしているのかを示しているものなので、そこに目を通すべきだ。

 基本的に選択問題ばかりなので、ダミーとなる選択肢を見抜かなくてはならない。間違い選択肢を3から4ほど作らなくてはならない出題者は、文中に書かれていないことを含める、因果関係の矛盾、極端な強調、別の論点からの引用などの手法を用いる。選択肢を選ぶ前に自分なりの解答を作ってからでないと迷うことになる。

 古典分野のうち古文は脚注から見るべきだ。今回は江戸時代の擬古文であるが、そのことは実は後半の設問に書いてある。だから、古典においてもまず設問のすべてに目を通しておいた方がいい。今回はストーリーとしては難しくはないはずだが、和歌の贈答がなによりも優先される高雅なコミュニケーションであるということを知らないと何を言っているのか分からない。

 漢文は漢詩と史書の組み合わせという特殊なものであったが、やはり玄宗の楊貴妃に対する溺愛や、安史の乱などの世界史的な知識があった方が理解はしやすい。百姓の意味など歴史の知識があれば即答できるものもある。語彙や句法などを知っていればできるなどと思わず、歴史的背景に関心を持つことが大事だ。

 難易度的には難しいという訳ではないが、とにかく分量が多すぎる。手際よくできる問題から解答して失点を抑えるという方法が求められている。分量に圧倒されないよう、受験生は普段から長文の問題を読む練習をしておいた方がいい。そして大切なのは数をこなすことだ。残念ながら熟読玩味の能力は問われていない。多くの出題の型を体験し、高速で解答することを目的として練習しよう。

 そのためには高1や2で語彙を増やし、漢字を書き、古典文法や漢文句法を繰り返し学習することが肝要である。私の理想とする国語学習とは程遠いが、こういうテストが課される以上は対応せざるをえまい。

能登万葉

 大伴家持が越中国守だったとき能登を巡行したことがあった。天平20(748)年のことあった。当時、越中の国は現在の富山県にあたる地域に加え、現在は石川県に所属する能登地方の羽咋・能登・鳳至・珠洲4郡を含めた地域であった。家持は国守の務めとして国内の視察を行ったのである。

 どのような行程をとったのかはおおむね推定されている。越中の国府は現在の富山県高岡市伏木にあった。ここから志乎路(しをぢ)を通って羽咋に向かっている。

志乎路からただ越え来れば羽咋の海朝凪したり舟梶もがも(巻17・4025)

 家持らは能登半島の付け根部分を西に横断してまず羽咋の郡衙を目指したのだろう。それほど急峻ではないが山道を抜けるのには労力が必要だったはずだ。家持は馬上にあったのだろうか。日本海側に出ると羽咋の海は朝凪で舟遊びをしたいほどの素晴らしい光景が広がっていた。

 次に能登郡を目指す。郡衙はいまの七尾市あたりにあったと考えられている。

とぶさ立て船木伐(き)るといふ能登の島山 今日見れば木立(こだち)繁しも幾代(いくよ)神(かむ)びそ(4026)
香島より熊来をさして漕ぐ船の梶取る間なく都し思ほゆ(4027)

 4026番は旋頭歌という形式の歌で作られている。古風な雰囲気を表現するのに使ったのだろうか。能登の島山が能登島のことならば、その島陰には神を感じさせる何かがあったことになる。4027番歌は七尾市あたりの香島から現在は鹿島郡中島町に比定されている熊来を目指して航路で旅したことを伝える。「梶取る間なく」はおそらく常套的な表現だろうが、辺境の地に身を置く奈良の貴族の旅愁は伝わる。

 次に鳳至郡を目指す。現在の輪島市にあたる場所だ。万葉集には次の歌がある。

妹に逢はず久しくなりぬ饒石川(にぎしがは)清き瀬ごとに水占(みなうら)延(は)へてな(4027)

 現在、仁岸川という川は河口が門前町剱地というところにある川で、熊来から鳳至に向かう街道から考えれば遠回りをすることになる。水占がどのようなものであったのかは分からないが題詞を信じるのならばこの地に赴いての作だ。水占が「延ふ」ものであることが分かるが、何かを流してその状態で占うのだろうかおそらく珍しい地域信仰に触発されて作った歌なのだろう。

 そしておそらく鳳至の郡司の接待をうけたあと、能登半島の先端部の珠洲郡を目指す。珠洲の郡家は現在の珠洲市役所の付近にあったと推定される。富山湾側にあたる。能登の4郡をめぐり終えた家持一行はここから水路で一気に越中国庁を目指したようだ。

珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり(4029)

 珠洲の海岸を朝に船出し、往路で見た能登の島山をもう一度みながら富山湾を南下して当時は渋谿(しぶたに)と呼ばれた伏木付近の海岸に到着したころには月が出ていたというのだろう。当時の旅がどれほど大変であったのかは分からないが、国守巡行は任務として行うべきものであった。この職務があったせいで奈良時代の能登の風景が残されたのである。大伴家持の作品の半数は越中国守時代のものであるが、その中に能登の地名が残されたのは様々な偶然の結果である。

 この巡行とは別に万葉集には能登の国の歌として、

梯立の 熊来のやらに 新羅斧 落し入れ わし
かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし(3878)

梯立の 熊来酒屋に まぬらる奴 わし
さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし(3879)

香島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 速川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にまつりつや 愛づ児の刀自 父にまつりつや 愛づ児の刀自(3880)

 という古体を残す歌謡のような作品が残っている。能登は万葉歌人にとってひと時代まえの雰囲気を持った地であったのかもしれない。

 私はこれらの作品の比定されている場所を何度か尋ねたことがある。最初に行ったときはバスで廻った。かなりの長旅だったが奈良時代の旅に比べればはるかに快適だったはずだ。富山県に務めていたころは自家用車で尋ねた。珠洲の灯台に行ったときには不思議な達成感があった。この万葉の歌枕のある土地が今回の大地震で多大な被害にあったことに心を痛めている。旅の途中でお世話になった方々のことが思いやられる。皆さんのご無事をお祈りしたい。

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変わり続ける日本

 日本以前の日本というと自己撞着を起こしているようだが、研究者のなかには中世以前の日本と現在の日本ではかなり様態が違ったという人がいる。考古学的には平安時代くらいまでは現在の日本人とは形質的にことなる人が周辺地域にはかなり残っていたというし、文化的側面も時代によって異なることが多い。

 古事記の神話の中には大王族が支配する前の先住民族と思われる人の姿が述べられる。国栖とか土蜘蛛と呼ばれる異民族はまるで妖怪のような描写がなされているが、自民族との見た目の違いを誇張して表現したものと思われる。こうした異民族は平安時代ごろまでは少数であるが残っていたと考えられている。鄙には本当に異民族がいたのだ。

 和風といえばすぐに思い浮かぶのは和服であるが、平安時代くらいまでは今の服装とはずいぶん異なる。また一日三食の習慣、お茶を飲むこと、畳の上での生活なども平安時代には一般的ではない。私たちが考える日本風のほとんどがそのまま通用しないことになる。

 王朝交代がない日本の歴史を一つの流れとして考えることは間違っていない。ただ、その中身は時代によって大きく変化している。日本の文化は地政学的も歴史的にも周辺の状況に影響され、その一部を常に取り入れ、さらにそれを独自に融合して変わり続けている。だから時間が経過するごとに全く違う形になってしまうのが特徴なのだろう。日本式はこれですというスタティックなものはおそらくなく、常に変化を続けその都度融合しなおすというのが日本の特徴というべきなのだろう。

Before the establishment of the current Japan, significant differences existed in pre-medieval Japan. Archaeologically, pre-Heian period Japanese individuals exhibited distinct traits from modern Japanese, with varying cultural aspects. The mythical Kojiki references indigenous people predating royal rule, highlighting differences in appearance and customs. Traditional Japanese elements such as clothing, diet, and lifestyle significantly differed in the Heian period. Japan’s culture continuously evolves by integrating influences and undergoing unique transformations over time. This continual fusion and adaptation define Japan’s dynamic nature.

小雪

 夕刻の雨に白いものが混ざった。これが雪ならば初雪ということになる。すぐに止んで何ものこっていないが。大学共通テストの日には天候が荒れる日がある。恐らく荒天の日を印象強く覚えているというだけなのだろう。能登の受験生はどうなったのだろう。明日も天候が心配だ。

年齢とともに獲得したもの

 子どもの頃は演歌が嫌いだった。短調で恨み言や我慢することばかりが歌われ、どの曲を聞いても同じように聞こえた。昭和の歌謡番組は演歌もいまでいうJ-POPも同じ扱いだったので、若手のアイドル歌手の後で演歌の大御所が歌うことは普通にあった。

 歳を重ねるにうちに演歌の味わいも分かるようになってきた。そして今風と考えていた当時の言葉で言うニューミュージックも演歌的要素がメロディーや歌詞に多分にあることが分かってきた。これは現在のはやりの曲でも同じことが言える。

 少年時代に演歌がなぜ受け入れられなかったのか。語弊を恐れずに言えば日本人になりきれていなかったということになる。これは国籍の問題ではなく、心的傾向としての日本らしさといった意味である。生活がアメリカナイズされ、資本主義的な価値観で過ごす子どもはどうしても日本人が本来持っていた屈折した人生観を送らなくてはならない状況への健気な対応という心性への理解ができないのだ。

 演歌の精神が分かりかけたとき、かつての存在感はなく、もはや滅びつつあるものになりかけている。というのは言いすぎだが、少なくともかつての勢いはない。紅白歌合戦でも演歌のときには必ずおまけの余興が用意され歌を集中して聞くことができないものだった。

 年齢とともに理解できるものもある。いまの若者はシニアになったときに何に目覚めるのだろうか。

もしいま若者だったら

 街を歩いているとごく稀に自分の若い頃によく似た人に出会うことがある。もっともそれは私の一方的な思い込みであり、恐らくまったく違うはずだ。ただそこで敢えて妄想を止めずにいるといろいろな想像の枝が伸びてくる。

 もしいま青春時代を送っているとしたら、随分違う人生観に達しているはずだ。昭和の雰囲気とはまるで違う。物事に対する価値観もまったく変わっている。

 私の育った時代は立身出世のためには勉強するしかないと誰もが信じていた。一流大学、一流企業に進むことが成功者の頂点にあり、序列があって、その番外になれば脱落者のように考えた。この法則は今でもある程度は成り立つが必ずしも高学歴が人生の成功と結びつかなくなってしまっている。ある特殊な技能があればブレイクスルーができることが分かってきたのだ。

 ただしそれには才能と努力とが必要だ。単に技能が高いだけではなく、それを続ける胆力のようなものもいる。いまの若者には高い能力がある人は多いが、くじけず目標に向かう精神力というものに欠点があるように思う。そう思うのは昭和の時代を生きてきたからであり、もし今の若者として生きているならば自分を犠牲にして生きることに価値観を見いだせないかもしれない。

 何でもすぐに検索でき、ネット通販で取り寄せられる時代にどっぷりと浸かっていれば、探求する情熱は湧きにくい。できるだけ効率的に、つまり楽をして目的のものを手に入れることばかりを考える。そういうことに何の躊躇もなく毎日を過ごせるのがいまの世代だ。私はまったく馴染めない。

 いま若者だったらどんな人生観を持っているのだろう。こういう妄想は楽しいが、すぐに虚しいものとなる。人生は一度きりであらゆる仮想は無意味なものだから。

ありがとうと言いたい

 今年始めた新習慣に店で何かを買ったあとに必ずありがとうということにしたことがある。店員より先にいうこともあるのでさぞかし変な客だろう。

 我が国の接客サービスは世界的にもかなり高水準だと言われている。店員は極端にへりくだり、顧客に嫌な思いをさせまいと努める。涙ぐましいほどの態度をとるところもある。最近は正社員が減り、アルバイトがマニュアルに沿って行動することが多いが、それでも心ある者の振る舞いは素晴らしい。

 対して客側はどうだろう。概して傲慢極まりない。金を払っているのだから自分の意に沿う行動をすることは当たり前だと考えている。店に入る際も支払いするときもすべて無言で済ませる。仮に口を開いてもぞんざいで明らかに見下すことがある。

 昭和に大流行したお客様は神様です、というフレーズがある。これは芸能人側がいかに観衆を扱うかという意見表明をしたものであり、決して提供する側とされる側の立場の絶対的関係を述べたものではない。客は神ではないのだ。客自身が自分は上位にあると考えるならばおかしなことで、もしそう思っているならば根本的に間違っている。

 理屈をこねても仕方がないので、とにかく私は自分に何らかのサービスを提供した人に謝意を述べることにした。もちろん不快な振る舞いをしたものにはしない。当たり前のことをしてくれた人にはありがとうということに決めた。

 劣悪な労働条件で働いている人もいる。生活するために不本意に働いている人もいるはずだ。私とて完全に満足できる環境とは程遠い毎日を過ごしている。それでもやってくれてありがとう。その気持ちは伝えるべきではないか。ご賛同いただける方はやってみてほしい。店員がありがとうございました、と言ったらありがとうと言うだけだ。

 

再び風邪

 乾燥か続く東京の冬空は喉の調子を悪くする。残念だが一度回復した風邪にもう一度罹ってしまったようだ。今回は市販薬で対処することにした。

 風邪をひく原因としては夜間の冷え込みと口を開けて寝ることとが関係しているのかもしれない。いびき予防のテープでも貼ってみようか。

失敗を語ること

What is your mission?

 使命は何かと問われれば、自分の失敗を語ることだと答えたい。やりたいことはたくさんあり、それを叶える機会もあったが、その大半を取り逃がしてきた。それを失敗と言わずになんと言おう。

 若い世代にそれを伝えることを私の使命と考えている。これには2つの方面がある。1つはチャンスを逃すなというアグレッシブな助言だ。やるときは多少の無理は覚悟してやるべきだという話だ。負け惜しみではないがあのとき気づけばよかったということがいくつもある。成果は初めは緩やかでその後急進する。大抵の場合、初期段階の停滞に耐えきれずやめてしまう。

 もう1つは矛盾する別の助言だ。すなわち、成功などしなくてもやるべきことをやっていればいいという消極的なアドバイスである。気負う必要はない。人には器量というものがあり、できないことをやろうとしても無理なのだと言いたい。失敗の連続でもなんとかやっていけている。それを確認しておきたい。

 私は教員という仕事なので若い世代と話がしやすい。テストをしたり評価をしたりするのが現代の学校の先生の仕事になっているがそれはほんの一部なのだ。少し先に生まれた人間が後生にできることは何か、それを考え実践することが私の使命なのだろう。

和食で一番好きなのはラーメン

 コロナ禍が終わり、海外から日本に訪れる人が増えてきている。上野公園を歩いていると日本人よりも外国人の方が多いのではないかと思われるほどだ。中国語や韓国語、英語だけではなくさまざまな言語で話す人たちの姿が見られる。

 円安で物価上昇率が世界水準と比較すると緩やかな日本は海外からの旅行者にとっては魅力的に映るようだ。旅行者に日本に来た目的を訪ねた記事も多く読む機会がある。それによると異文化を実感できることが魅力だという。ほかの国にはない独自性があるのは歴史上日本が他国とは異なる文化の形成をしてきたことによる。

 中には日本の食文化に魅力を感じる人もいる。いわゆる和食は海外でも一定の評価があるようだ。しかし、この和食といわれているものをよく調べてみると興味深いことが分かる。ジャパンガイドによると訪日欧米豪外国人に最も人気のある日本での食事は、1位ラーメン、2位肉料理、3位小麦粉料理であるという。日本ではラーメンは中華料理の区分であるし、肉料理に含まれるとんかつやすき焼きなども本来外国の料理を日本式に変更したものだ。3位の小麦粉料理の代表はお好み焼きやたこ焼きなどであろうが、その材料の多くをアメリカなどの小麦生産業者からの輸入で賄っていることは周知の事実である。

Photo by Quang Anh Ha Nguyen on Pexels.com

 いわゆる和食として日本人が考えるのは料亭などで出される会席料理の類であるが、この認知度はさほど高くはなさそうだ。よく考えてみれば和食と呼ばれているものに決まった制限はない。日本文化が歴史上海外の食物を取り入れながら変わっていき、いまも変わり続けているように、和食もまた変化を続けているのであろう。外国人に人気のあるラーメンも中国で作られているものとはかなり違っているらしい。だしの取り方や麺の作り方、ゆで方まで様々な日本化がなされて今の形になっている。そして、一口にラーメンといっても地域や店舗によっていろいろなものがあり、現在でも改良が続けられている。

 韓国では日式(日本風)料理といえば、トンカツやおでんなどだそうだ。アメリカ人は唐揚げや餃子、コロッケが人気であるという。いずれも日本人にとっては日本料理の周辺にある料理で和食そのものではない。和食は様々な海外の食文化を摂取し、それを日本風にアレンジして出来上がったものであることを再認識した。こうしたハイブリッドな成り立ちが多くの人に評価を受ける要因なのだろう。