フォント

 どの言語でも同じことが言えると思うのですが、特に日本語は文字の種類が多く多彩なため、それをどのように表記するのかが重要な要素となります。デジタル表記においては字体(フォント)の選択もメッセージの一部と言って構いません。

 最近、難読症の人にも読みやすいフォントが開発され、普及し始めています。字画が適度に太く交差する画が互いを打ち消さないように工夫されています。伝統的な風格は足りないのですが、確かに読みやすい。

 私は今年度から生徒諸君への配布物をこの書体にすることにしました。今までの明朝体やゴシック、教科書体よりも圧迫感や印刷時のかすれが少ない気がします。少し手書きにも似た書体をしばらくは愛用することになりそうです。

困った前線

 梅雨前線が日本列島に掛かったまま停滞し、各地で大雨を降らせています。熊本県の被害の大きさが連日報道されていますが、これと同じことが東日本でも発生しつつあります。

 日本の梅雨は6月中旬から7月中旬くらいの時期にあります。雨季というべきものを梅の実の熟する頃の雨ということで梅雨と呼んでいます。(諸説あります)。この時期は特に末期に大雨になりやすく毎年災害を発生させています。

 森林が多く急流河川が数多く流れる国土においては治水は積年の課題です。河川を竜に見立て神と祭る習俗が各地に見られるのも、御しがたい自然への脅威の表れでしょう。

 最近の異常な大雨が人為的な要因によるものならば、大きなしっぺ返しを受けていることになります。その怒りが少しでも収まってもらうことを祈ります。

マイバッグ

 レジ袋が有料化になって、いわゆるマイバッグを使うことが多くなりました。環境問題には幾分かの貢献をするようなのですが、問題もあるようです。

 マイバッグは何度も使うことを前提とするために、汚れもつきやすく、ウイルス感染の懸念もあって利用を制限する国や地域も出ています。過剰反応もありますが、マイバッグが細菌の温床になってしまうことはあり得ます。使用後にアルコール消毒するか曝涼する必要があります。

 生活のルーティンに加えなくてはならないことが増えると定着するまでは大変です。なにか印象的な方法で繰り返すしかありません。

人命救助

 災害が起きると救助に駆けつける自衛隊の皆様には敬服します。身の危険を省みず人命救助に向かうことは思うより容易ではありません。

 熊本県の球磨川流域で大規模な氾濫が発生しています。ヘリコプターで救助する様が動画サイトで公開されているのをみました。それは予想以上に危険な作業でした。その姿は感動を誘うものです。

 これから下さい水害多発の期間になります。救助隊を頼もしく思いながらも、できれば出動の機会がないことを祈るばかりです。

無言の抵抗

 言論の自由が奪われると人はどのように行動するのか。それを具象化しているのが香港からの報道です。香港国家安全維持法なる統制のための法律が施行された後、市民は自分の考えを自由に表明できなくなりました。そこで起きたのが無言の抵抗です。

 レノン・ウォールといわれる色とりどりの付箋紙を壁面に張り付ける行動は、一見するときれいな装飾のようですが、これは共産主義に対する強い嫌悪感を表明したものだといいます。ジョン・レノンが平和に関するメッセージを積極的に行ったのは有名ですが、そのなかにはかつての中国共産主義に対する痛烈な批判もありました。武力で人民を圧倒する手法についての反対していたのです。

 チェコの人々はレノンのこの考え方に共鳴し、平和のメッセージを壁面一杯に描きました。これがレノン・ウォールの起源の一つなのだとか。香港の人々はそれを踏まえ、弾圧されないために何も書かれていないカラフルな付箋を町の随所に貼っているのです。

 おそらく当局は別の口実をこしらえて色彩豊かな付箋紙を貼り付ける行為も弾圧することなるでしょう。中国の思想統制の方法は徹底的であり、それが今日の政権を支えているのですから。共産主義国家に香港のような地域があったことは中国にとっては利点だったはずです。自由主義圏との窓口として有効に使えるはずだったのです。それを閉じたことは国際社会からの一層の孤立と、それゆえの自己肥大化の道を選んだということなるのでしょう。

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土曜日

 雨の土曜日です。土曜が出勤日に戻ってから随分経ちますが、やはりなんとも特別な一日です。

 半日勤務ではなく、普通の勤務なのになぜか午後は特別な気がする。そんな一日です。

次の波

 昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が3桁に達したことが発表されました。第2の波がきたのではないかという人もいます。そうなのでしょうか。

 日本は感染者の積極的な割り出しに関して消極的です。軽症者が多いこの病気に対しては今のところはこれが結果的に奏功しています。なにしろ感染者と分かってもほとんど打つ手がないのですから。

 自粛要請が終わったあと。気をつけているとはいえ、密なる状態は随所に見られます。人間の活動自体が群集の中で営まわれる以上、避けることはできない事実です。

 本当の波はこれからくるのかもしれません。変異したウイルスが社会活動を止めることがないように祈るばかりです。しかし、それもいずれ克服できると私は楽観視しています。

梅雨末期

 今朝は夏の陽射しが照りつけています。この陽気は一時的なもので、梅雨末期の危険な日々が始まります。

 梅雨の大雨による水害の大半は7月になってから起きていると記憶しています。河川の決壊など深刻な被害が多く、毎年犠牲者が出ています。累積すれば地震被害にはるかに甚大な深刻な問題です。

 今年はウイルス感染の脅威もあり、避難所に行っても安心できない状況にあります。なんとか水害が起きないようにと願うばかりです。

後半開始

 1年の後半が始まりました。ここ数年の世界情勢はまさに歴史的な異常事態です。コロナウイルス感染者は日本では低く抑えられている感じがあります。マスクとソーシャルディスタンスの効用がどれほど有効なのか分からない現状では、偶然そうなっているとしか言えません。

 オリンピック開催のために昨年からこの月がいつもと違うようになることは既成事実でしたが、さらなる大変更が起きるとは考えてもみませんでした。この年の後半も波乱続きが予想されます。

 様々なことが満足にできない現状を転機の材料とすることは至急の課題です。雨降って地固まる。ころんでもただでは起きない。臥薪嘗胆。今にふさわしいいろいろな金言を探しています。

夏越の祓え

 日本の古い習慣に「夏越の祓え」があります。これで、なごしのはらえ、と読みます。19世紀以前の日本では月の満ち欠けを基準とした太陰暦が使われていたため現在とは実際に指す日時が大きく異なるのですが、6月末日は意味のある一日でした。

 夏越の祓えは旧暦では夏の最後の日とされていました。またそれまでに犯してしまった罪や穢れを消し去る儀礼が行われたといいます。それは身体についたほこりでも落とすかのような気楽な罪悪感です。もちろん、どれほど真実として受け入れていたのかはわかりません。呪いの一つのようなものだったのでしょう。

 一年の折り返しに身を清めてリセットをしようという考え方の方に注目します。半年という意識がどれほどあったのかも興味深い。また、清めた身体が様々な能力なり活力なりを復活できると考えていたのかも知りたいことろです。

 旧暦の6月末日は今年の場合は新暦8月中旬であり、古人の祝った日とはほど遠いのですが、半期に一度の心の大掃除の日ということにして今日を送りたいと考えています。