習慣化

 成功の秘訣は習慣化にあるというのはよく聞く。確かに仕事でも勉強でも金の使い方でも習慣化するとうまくいくことが多いようだ。もちろん逆もまた然り。

 大切なのは初速度だ。動機がないと長続きしない。私の場合、こんなことを書きながらも実はあまり続けられるものが少ない。このブログを除いて。そうだこのブログのように質を求め過ぎなければいい。とりあえず何でもいいから続けること、それがのちに何か大きなことに結びつく可能性がある。

 習慣化するためにどうすればいいのか。その一つが他人に宣言して、約束してしまうことなのかもしれない。私がブログを続けられているのも毎日誰かが、しかも日本以外の国(だと思うが)の方がこの文章を読んでくださっていることをWordPressのシステムが報告してくれているからだ。結局誰かに見られていないとできないのか。しかし、互いに助け合っていると考えればそれもいいのではないか。

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世代差

 職場の棚からフロッピードライブが出てきた。そこで若い同僚にこれがなんだか分かるかと尋ねると不思議そうな顔をするばかりだ。容量が1.4MBしかなかったといってもなんのことかわからない。若い人にはわかりませんよね。などと頷いている者もVHSはわからない。日進月歩の技術の中で私自身も知らない何かがある。それが世代差というものだろう。時々それが顕在化する。

年末寒波がくるのか

 今日は比較的暖かく感じる一日だった。気温が上がったわけではないが、ここ数日よりは高めに推移したためだ。寒暖というのは絶対値ではなく、変化をどれだけ感じるのかに関わっているとつくづく思う。

 さて、予報では元旦の前後に強烈な寒波が来ると言っている。東京の最高気温は10℃以下であり、最低気温が0℃前後という。日本海側は雪が降る可能性が高く、もしかしたら大雪や吹雪になる可能性もあるという。収束しないウイルスのこともあり、天災はなるべく怒らないでほしい。

 里帰りができない人も多いと思う。この年末は帰省を控えろという天のお示しか。

失われる力

 デジタル教科書の導入を巡って議論がなされている。私は導入には賛成するが紙面の教材も併用すべきだという意見だ。どちらか一方ではよろしくない。

 デジタル教材を使ってみて思うのは、インタラクティブな利点が大きいことだ。どこが間違いやすいのかを即時把握できることは大きい。その場で指導もしやすい。

 ただ、それ以上の弊害がある。様々なことができることが生徒の集中力を奪うのだ。学習には対象と向き合わなくてはならない局面が必ずある。それをマルチな機械が気をちらしてしまうのである。すべてを捨てて、一つに向き合う時間をデジタル教材は奪う可能性が高い。

 ICTのよさは活用しつつも従来の学習方法も継続すべきだというのが私の意見だ。そのために教材の作り方や使い方について一層の工夫が必要だと考えている。

教材にデジタルを導入する際には注意も必要だ

仕事納め

 波乱の2020年は今日が仕事納めだ。もっとも職場に行く年内最終日が今日というだけでこれからも「内職」は続く。私の場合、職住区分がまったくできておらず、せっかくのICTが生かされていない。

 私のデジタルトランスフォーメーションは人よりゆっくり行われる。しばらくは試行錯誤だ。エラを脚に変えた生物の一部が再び海に戻ったように、水陸をさまようことになるのだろう。大海は居心地よく、大陸に敵は多い。

 仕事納めの今日、これからのことを少し考えてみたい。

見えない現場

 このところ新型コロナウイルス感染者が高水準で増加し続けており、数値的な衝撃に麻痺してしまっている。一方で医療の現場では大変厳しい状況になっているという。様々な報道がなされているのだが、実感として受け取ることができない。

 感染が認定されると様々な配慮がいる。何よりも医療関係者が感染しないことが肝要で、これが崩れるとシステム自体が機能しなくなる。それ故に様々な制限が発生してさらに行動が難しくなる。

 ご迷惑をかけないために何をすべきか。考えていかなくてはならない。

クリスマスイブ

 今日はクリスマスイブだ。キリスト教徒でもない私や、多くの日本人がなぜかこの行事は我がごとのようにこの行事を考える。実は私はカトリック幼稚園に通っていたため、年末にキリスト生誕の様を演じる「お遊戯」をしたことを覚えている。ヨゼフ役でほとんど立っているだけだった。

 クリスマスは聖なる日として考えられている。実は聖書には書かれてはいないらしいが、心を清らかにすることができるのならどうでもいいことだろう。今年はウイルスという世界共通の敵と戦う一年であった。英国で報告されている変異種の存在が真実ならばその戦いはもう少し長引きそうだ。いまは人同士が争う場面でない。人智を結集して乗り切ることを考えるべきだ。

 現実の世界はさほど公平ではなく、醜い場面がいくらでもある。利権をめぐって常に小競り合いをしている。そんな世の中だが、せめて聖なる日は身の回りの平和を考えたい。多神教の日本は節操がないといういわれるが、その意味では世界中の聖なる日を集め、暴挙に走ることがない世界を広めたいと考えてしまう。

 

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霜柱

 通勤電車が通過する河川敷の風景はこの辺りでは珍しい霜柱である。地表の水分が表層の地面を押し上げるもので、様々な条件が重ならないと発生しない。

 私の生活圏には露面が少なく、アスファルトで覆われている。霜柱は立ちようがない。たとえわずかな空間にできていたとしてもそれに気づく余裕が失われているのだ。

 子供のころは空地にできた霜柱をわざわざ壊してまわった。その感触と音が子どもにとっては魅力だったのだろう。この季節になるとそれを思いだす。

冬来たりなば

 冬至を越えたのでこれからは昼の長さが増える。始めはゆっくり、だんだんと急に。

 毎年の繰り返しではあるがやはり冬至以降の期間には期待を持ってしまう。実際にはこれからが冷え込みの時期であり、降雪もあるかもしれない。それでも春遠からじという気分になるのだ。

 2020年はある意味でずっと冬だったともいえる。なにしろずっとマスクをつけてきたのだから。ウイルスという寒さに耐えてきた。その脅威に震えてきた。

 欧州でウイルス感染力が強い変異種が発見されたというから、まだ安心はできない。どんな解決策であれ、人々が安心して暮らせる春が来ることを望む。

住居遺構

 横浜市にある古代の住居遺構を見てきた。高台にある遺構群は縄文から弥生、さらには古墳時代に至るまでの遺跡が発見されており、一等地であったことが伺える。

 考古学的な知識にかけている私には単純な驚きしかない。ただ、数千年前からこの地に人の営みがあり、様々な場面が繰り広げられていたことを思うと名状しがたい感慨になる。

 いま自分の生活の何が残せるのだろう。そう考えると虚しくも悲しくもなる。おそらく私個人という立場で考えてはならないのだろう。日本列島に生活したものとして現代人が何を残せるのかを考えなければなるまい。