作文力

 どんなに拙くても自分の言葉で意見を書く練習は必要だ。AIの時代だからこそ作文力がものをいう。

 じっくりと自分の意見を温めて整理してから文章にするという経験が生活から失われてきている。予め用意された型を組み合わせ、それなりの文書を作ることはできても、型のない新たな局面における文章はなかなか書けない。

 ChatGPTの生成する見た目はいいが内容がおかしい文章を冷笑する前に、己の文章力を反省しなくてはならない。コンピューターのように潔く変な文書を書く方がやはり遥かに勝っていると言わざるを得ない。

 私は人に作文を教える立場にあるが、まずは自身の文章を見直さなくてはなるまい。このブログは20分あまりの通勤電車のつり革に捉まりながら書いているので、熟慮がなされていない。これでは真の文章力は上達しないのだろう。

 どうしたら文章の作成力を向上に貢献できるか。それが私の課題の一つである。

お土産倶楽部

 部活動もいろいろあるが、地方の学校にぜひ作ってほしいのが新作民芸品を創作するクラブだ。その地域を表し、なおかつ可愛らしかったり、有益だったりして買い求めたくなる。そういうお土産を創作するクラブだ。

 最終目標として採算が確保できることを前提にしたい。そのためには地域の歴史や経済、流通などの現状を把握する必要がある。地元の商店主や観光行政の責任者にアドバイザーになってもらい、実益が得られる部活動にすべきだ。中学生や、高校生が向いている。

 地域を活性化するのは若い世代だろう。アイデアは彼らが生み出す。大人たちはその実現のためのサポートをすればいい。うまく行けば地域として大きな恩恵がもたらされる可能性もある。田舎であることは不利ではないということを地域として証すべきだ。

未来のインターフェース

 若い世代には信じられないだろうが、ある年代から視力が著しく低下する。次に聴力が来るのだろう。この境地は経験しないとわからないものがある。脳の回転も残念ながら鈍る。これを放置すると認知症になるのだろう。

 これを支援するシステムを完成すれば、大いに社会貢献できるだろう。場合によっては、格別の商機にもなる。だから言いたい。若者よ年寄の言葉を聞け、そこにチャンスが転がっていると。

 これからは高齢化社会になる。高齢者を引退させてはならない。それは若い世代にも不幸をもたらす。そのためには高齢者用のインターフェースを考えるべきだ。爺ちゃん婆ちゃんに現役の消費者になってもらえれば若者たちの活躍の場が確保できる。

 そして実はこの現象は世界のあちこちで起こる。その時にノウハウを輸出すれば次世代のGAFAも夢ではない。日本の若者に期待している。

黄砂と湿気

 今日明日は黄砂が飛来するそうだ。言われてみればなんとなく空が濁っている気がする。さらに今朝は湿度が高い。この空には大量の砂粒と水泡が漂っていることになる。

 あまりいい条件ではないが、こういうときは何か別の視点が取れるチャンスと考えたい。濁った空の下で何ができるだろうか。この気を晴らすものは何か。技術的な話になると手が届かない。生活の工夫ならばできるだろう。あるいは考え方を変えれば新しいアイデアが生まれるかもしれない。

 空が繋がっていることを再認識すれば、励ましにも警告にもなる。高湿を気をつければ今後の猛暑に備えられる。何か考え方を変えていきたい。

ハルジオン

 どこにでも咲いているハルジオンは外来の雑草という分類だ。それにしてはあまり悪者扱いされないのは、小菊に似た花の形と、名前によるのだろう。冬場は全く存在していないかのようで、春夏になると風景の大半を占める。名前に反して生命力は逞しい。

 子どもの頃はこの花を可憐なものの象徴のように考えていた。今はどんな環境でも生き抜くものとして見ている。植物には癒されて励まされ、ときには脅されるのである。

翁さぶ

 古い言葉に「おきなさぶ」というのがある。万葉集には見える言葉で、老人らしく振る舞うという意味だ。古代において翁は盛りを過ぎた高齢者であるとともに何らかの特殊な能力の持ち主であることを予感させる存在であったはずだ。

 人生の両端にあたる嬰児と老人は、この世に生きる者の中ではあの世との境界に位置する存在と考えられたのだろう。だから、老人は必ずしも人生の末端ではなく、ある意味、神の存在に近いものと考えられた可能性もある。

 だから、おきなさぶことは老いぼれを演じるという訳ではない。生きている存在にとってもっとも彼岸に近い存在として尊重されたのだろう。

 高齢者がまるで社会の負担のようにしか考えない論調が横行するが本当にそれでいいのか再考すべきだと考える。

ヘルメット

 自転車に乗る際のヘルメットが義務化されている。ただ、現状ではヘルメット未着用の人が多い。

 この件については努力義務と言う扱いで法的な拘束力が弱い。義務化という言葉との落差がある。注意はされるが罰はないということだ。

 さらに品薄も原因という。自転車店の中には在庫切れで予約待ちだという。通販には格安のものがあるが果して安全性は保てているのか。

 ヘルメット着用による事故発生時の被害の軽減については証拠があるという。気軽に利用できるような仕組みが必要だ。

斜面

 駅から見える線路脇の斜面は時々気になる。恐らく相応の手当がなされ、崩れることがないように加工されているはずだ。その上には多くの住宅もあるから、地盤はしっかりしているのだろう。

 この急斜面に多くの植物が生息している。葛の類は逞しい。他の草花も垂直を保てるものはない。ただし、この厳しい条件を満たせば、競争相手は少なく、日光を独占できる。急斜面であればあるほど、ライバルは限られる。

 そんな生き物のドラマに毎日接しているのにもかかわらず、大抵は意識に上がらない。流れる景色の一つにしかならない。考えてみれば不思議だ。

 

ドクダミ

 ドクダミについては何度か書いたことがある。見た目は鮮やかな白で十字に開いた花弁が印象的だ。俳句では十薬として大切な季語になる。

 一方で強烈な臭いはこの花の特徴である。様々な成分を含むために虫が寄生しにくく、それで生き延びている。繁殖力も旺盛で、一度定着すると駆逐するのはかなり困難だ。

 毒を矯めるという名の通り、薬効もある。亡くなった叔母はどくだみ茶の信者で訪問するたびに飲まされた。飲み干すのはかなりの苦役だった。

 どこにでも生えるので特別な植物ではないが、私にとっては様々な思い出に結びつく植物だ。

ほめられたい

 昔は人に褒められたいと思う気持ちが強かった。いまはなぜか褒められると残念な気持ちになる。褒められるくらいのことしかできていないのだと考えてしまう。

 かなりひねくれているのは承知の上だが、人と違うことで成功したいという気持ちが高まっている。だから、自分の価値は簡単に分からないものになりたいなどと考え始めるのだ。

 これは独善という言葉の言い換えのようなものかもしれない。ただ、もし許されるならば唯一無二を目指したい。簡単に褒められることはないような。人様に迷惑はかけまい。安易には流れるまい。