投稿者: Mitsuhiro

真逆の展開

 自分の人生を考えるとき、思わぬ展開に走っていると思うことがある。こんなはずではなかったと考えるのだ。だが、その焦りを麻痺させてしまう毎日の雑事が私の生活を複雑にしている。

 もし、思う方向とは別の場所に向かっていると感じたならば、おそらく強い焦燥を感じて必死に軌道修正を試みるだろう。大きなロスもあるかもしれないが、目的から外れることもない。

 ところが実際には間違った方向に進んでいるという実感は起こらない。むしろそれなりの魅力ある毎日があってその中で自分を適応させてしまうのだ。結果的に望まぬ方向に進んでいたとしても。

 風雲流水、臨機応変の生き方がいいに決まっている。ただ、やはりこだわりというものは捨てきれるものではない。時々染み出してくる後悔の念が心をくすぐる。気がつかぬふりができなくなると大きなため息が出てしまうのだ。

 真逆の展開と考えるのはよして、もとからそうなる定めであったと考えることにしよう。これで当面は凌げるかもしれない。

小春日和

 小春日和と呼ぶのがふさわしいのか分からないが、ここ数日暖かい。それでも紅葉は進んでいて様々な色の落葉もある。

 気づけばもう11月も後半であり、波乱の2020年も一月半を残すだけだ。ウイルス感染は一向に収束せず、むしろ拡大している。これまで私とその周辺にこの病魔の当事者となった人はいない。でも、この第3波はどうなるかなどまったく予想がつかない。

 この小春日和のような穏やかな毎日が続くことを願っている。

七五三

 今日は日本の伝統行事の一つ七五三の日だった。これは3歳の女の子、5歳の男の子と7歳の女の子の成長に応じた儀礼であるが、最近は性別に関わらず子供の成長を祝う祭事と考えられている。この日には神社などで和服を着た幼い子供が見られる。

 今のような七五三の習俗が出来上がったのは江戸時代の頃かもしれない。それまでも年齢通過儀礼はあったのだが、それが子供に晴れ着を着せる日になるまでには紆余曲折があったはずだ。基本は子供の成長を祝うことであり、長寿祈願の一形式である。

 日本は少子高齢化が進んでおり、子供の数が減少し続けている。今日も七五三の子供の姿を見ることはなかった。着物は高価であり、日常身につける機会もないことからこの行事も時代とともに廃れつつある。行事の持っていた意味合いが理解されなくなり、保護者の義務のように感じられるようになるともはや存続価値はない。

 海外からは伝統衣装である着物を来た日本人はどのように映っているのだろう。

登場人物

 小説や演劇などのストーリー性のある作品において、すべての登場人物にはその存在意義があるということを教えている。教員である私にとって伝えなくてはならないことの上位にある事実だ。

 主役脇役あるいは端役という言い方があり、確かに小説、演劇などの創作において登場人物のもたらすメッセージに濃淡があるのは事実だ。だが、作品全体の構成から考えるとすべての登場人物には役割がある。その役を果たすことによって作品が作られていく。

 創作者はそれぞれの人物に託して世界を形成する。こういうことは実際に作者になったり、役者となって演じてみると納得できる。そういう機会を与えることも大切だ。

朝の日課

 このブログは大抵日本時間の午前7時台に書いている。実は職場に向かう電車の中でつり革につかまりながらスマートフォンで入力しているのだ。

 私がこれに使える時間はせいぜい5分程度であり、職場では私用でブログは書かない方針なので極めて限られた時間であることになる。言い訳すればそのために記事の長さは限られ、時々(いやしばしば)尻切れトンボになっている。それは降車駅に着いてしまったことによるものなのだ。

 短い時間で駄文を書くことにも何らかの効果はあると考えている。世の中に対する関心を持ち続けることや、発信力の維持という目的はある程度達成されている。

 少ないけれども暖かく記事を読んでくださっている読者の存在も文を書く動機づけになっている。WordPressは外国からのアクセスも多いので、わかりやすい日本語で書くことも目標の一つだ。翻訳ソフトにかけても誤訳されにくい文にしたいと考えている。

 この日課は自身の脳と精神の安定にも寄与している。自分勝手な文だが、時々のぞきにきていただくとありがたい。

コート

 今季初めてコートを着て出勤している、重いかと思ったが寒さの方が勝っていた。これからはコートで着膨れる季節になる。

 気温というのは連続的なものだが、着るものは段階的だ。コートを着けるかどうかで気持ちはかなり変わる。季節という概念も似ている。秋のあとに突然冬が来るわけではない。中間的な天候があるはずなのに、それをどちらかに分けてしまうのだ。

 コートを着ることで冬の訪れを認識する。皮膚感覚以上に大切な問題はここにあるのかもしれない。

翻訳の営み

 日本近代文学館で開催中の翻訳に関する展示を観てきた。翻訳は文学のみならず異文化摂取の具体的な営為として大変興味深い。

 古代以来、日本は海外の文献を翻訳してきた。漢文の訓読はその中で培われた手法であり、結果的に日本語自体を変える大きな影響をもたらした。ただ私たちが翻訳というときに想起するのは、近代以降の特に欧米から伝わった書籍の日本語訳のことだ。漢字を介さないこと、基礎となる文化の差が大きいことなど、漢文とは遥かに異なる障碍を乗り越える必要があった。

 例えばベルヌの「八十日間世界一周」は漢文訓読のような訳文がつけられていた。係結びもある古文体だ。まずまだ日本語が発展途上で翻訳の方法も決まりがない中で訳をつけるのはまさに冒険のようなものであったろう。

 様々な先駆者が海外の文書を和訳し、その精神性までも伝えられるようになって、海外文化を取り入れられるようになっていく。そんな過程を伺うことができた。

木を描く

 樹木を描くことに興味を持った。私の興味は突然現れるのでそれがなぜなのかは説明が難しい。木を描くときときに成長のイメージを考えながら描いていくということにちょっとした楽しみを感じたのだ。

 まず地面から芽吹いたものがやがて幹になり、そこから枝が分かれていく。さらに小枝に分岐し、そのうえでもさらなる分岐がある。それぞれの枝から芽吹きがあり、やがて葉が茂る。それが重なれば重なりが生まれ、その後それが木陰をなすことになる。

 その過程を鉛筆で描いているのである。もちろん正確な過程は再現できないが頭の中で考えることで長い時間を幻想することができる。決して人様にお見せできるものではないが、心を落ち着ける効果はある。

桃山時代の意味

 戦国時代末期と言われる桃山時代が文化的には豊潤な期間であったことを再認識した。政治史と文化史は連動しながらも別物だ。

 東京国立博物館で開催中の桃山時代の美術展を鑑賞して、いろいろ気づいたことがあった。金箔をふんだんに使った絢爛豪華な屏風絵と極めて簡素な水墨画が同じ時代に発展していたことはもっとも象徴的な現象だ。螺鈿細工の緻密さと大胆な造形の茶器の対比も面白い。およそ実用的とは言い難い武将の甲冑の装飾もこの時代の特徴である。

 おそらく戦乱に明け暮れていた時代は住みにくかったに違いない。正気でいるのも大変なことだと思うが、その一方で独自の文化が展開していた。その裏にあったのは狂気なのか。何が造形に駆り立てたのかは大いに気になっている。