投稿者: Mitsuhiro

木土

 昨夜、月と火星とがかなり近づいて見えた。火星は月光にも負けない赤い光を放っていた。実はもう一組、木星と土星もかなり接近している。

 木土の接近はずっと気になっていたがこれからピークになるらしい。惑星の相対的な見え方の違いに過ぎないとは分かっていても、特別な光景には心躍るものがある。

 心配なことが多い日常生活の中で文字通り光を与えてくれたものと考えることにしたい。

電気自動車

 少しずつ電気自動車が増えてきている。日本ではハイブリッド車がまず普及してきており、低速では音もなく近づいてくる自動車に出会うことは珍しくない。環境保護という訴求要素がある電動車は、価格の割には売れている。

 海外では国や地域ごとの規制により、化石燃料の使用ができなくなりつつある。発電にかかる環境負荷の実態はよく分からないが、少なくとも各車から出る排ガスはなくなりつつある。

 日本は自動車産業で立国してきたという一面がある。エンジンを生産してきた技術が今後は過去のものとなるのかもしれない。ただ電動車になってもガソリン車のメカニズムはきっと役立つはずだ。それを活用すべく、国家的な支援策をとるべきだろう。

 自動運転車の実用化も近い。チャレンジが可能な環境を構築してほしい。

下落

 調子が悪いと落下のイメージばかりが浮かんてくる。根拠もない不安がつきまといやる気と限られた希望を蝕んでいく。こんなときはどうしょうもない。

 いろいろなことが中途半端になり、完成しないのかとそれぞれが叫びだす。あとでというと不満な表情で見つめ返す。それを思うと余計に萎縮する。

 嵐が去るのを待っている。しばらくは流されていよう。

感謝

 昨日は日本では勤労感謝の日だった。古代の収穫祭を根拠に設定された祝日だが、今はその意味を知る人は少ない。働くことに感謝することは大切だ。いまは働けることにも感謝しなくてはならないし、労働の結果もたらされている利益にも感謝すべきだ。そのどれもが疎かになっている。このながれは変えなくてはならない。

貧しいのは精神の方

 経済規模の縮小化が避けられない我が国にとって、発想の転換が焦眉の急となっている。大量生産大量消費の時代はとうに終わり、選択的生産と消費の時代に移行すべきなのであろう。

 人口が多く、安定的な市場を持っていた日本は少々の経済危機には動じない土壌を持っていた。国際的競争力が低下しつつあるといっても国内消費が安定しているためさほどの危機感はなかった。しかし、今後人口減少と高齢化が進む中で、そのような楽観論は取りにくくなっている。

 まずはいい意味での共同体を取り戻さなくてはならない。地域ごとに共同体を組織し、助け合う生活が必要になる。これには広げ過ぎた個人主義との折り合いをつけることが必要だ。私たちは部分的にムラが持っていた互助の機能を取り戻さなくてはならないだろう。その負の要素を注意深く取り除き、正の要素を発展的に取り入れる必要がある。いまはなかなか想像できないがかつてはそれが当たり前であったことを思えばできないことはない。

 次に金がなくてもある程度の生活ができる社会保障の維持が欠かせない。極端な社会主義はかえって人を堕落させるが、自分の労働が自分だけではなく共同体の利益になることに喜びを感じられるような仕組みを作るべきだ。それには地方自治の確立が欠かせないだろう。自分の生活は自分の共同体で何とかするという気概がなければ、人々は堕落する。

 私が高齢者の仲間入りするまでもうわずかしかない。その中で単なる扶養者になるのではなく、できることを創り出しておきたい。

公園の意味

 明日からは寒くなるかもしれないということで横浜市のある公園に行ってきた。最近は人ごみのある所にはなかなか行きづらい。公園であれば他人との距離は保てるし、何よりも気分が晴れる。それはマスクに阻まれない精神の解放である。

 都市が大きくなると公園の存在が大切になる。人々が生活する空間は日常の様々な秩序が渦巻いている。そこには安定もあるが、息苦しさも同居している。そんなときに開放的な空間が必要になるのだ。公園はいまのような時世にはその存在価値をはっきりと認識できる。

 公園があることは人々の生活がうまくいっていることを示す。公園の秩序が保たれているのはその地域がうまく回っていること意味するのだ。この時代にあって公園があることに深く感謝するのである。

多動性

 集中力を保つことは難しい。特にコンピュータを使用することになってからはそれが一層困難になっている。

 マルチタスクのコンピュータを始めて使ったとき、その方法を理解するのにとまどった。使うアプリケーションを切り替えるのにはいくつかのキーを押さなくてはならなかったし、同時に使える機能も限られていた。

 それがいくらでも(本当はハードの制限がある)同時に作業が進行するのが当たり前になった。いわゆる裏で進められる機能がついたのだ。

 残念ながら自分の頭の方はそこまで器用ではない。生命維持の方にかなりのリソースを使っているのでできることは限られる。加えて脳の老化なのか短期的記憶が低下している。コンピュータを使うとその弱点も一気に顕在化する。何をやっているのか分からなくなるという経験は残念ながら多い。

 補助してくれているのは作業か退化か。悩ましい。

落葉

 暖かい日々もそろそろ終わりなのか。今朝はやや強い風が吹くときがある。まだ気温は下がっていないがこのあとの北風を予感させる。

 電車で通過する駅に向かう街路樹の葉がすでに半分くらい散っている。枝の形が見えだすと冬も近いと感じさせる。

 落葉の道を歩くのは楽しみだ。一枚として同じものがない紅葉は見ていて飽きない。できるならば保存しておきたいと思う。ただ時間が取り戻せないように、それは無理なことなのだろう。

危機を好機に

 様々な位相において危機的な状況に取り囲まれている。停滞や閉塞と、その先の減退とを唱える人は多い。あまりにその頻度が上がって来たために、私たちは危機的状況に麻痺してしまっているのかもしれない。

 私たちができることは今の状況に対応することだが、その中で常に可能性を考えることも必要だ。危機的な状況というのは見方を変えればかなり偏ったものであり、偏りを解消しようとするエネルギーも蓄積されているはずだ。

 危機は好機にもなる。それを使うのか、傍観して事態が深刻化してもそれに順応していくのか、岐路に立たされているといえる。

ワクチン

 アメリカの企業がコロナウイルスに対応できるワクチンを完成しつつあるという報道は希望と動揺を引き起こしている。このおかげで株価は上昇した。経済活動の平常化が期待されたからだ。実際には何も変わっておらず、むしろ罹患者は激増しているのにも関わらず。

 ワクチン開発には様々な関門があり、実際には数年かかるらしい。今回のパンデミックに際しては前例によらない急作業でなされており、弊害も今後出てくるはずだ。ただ、一日で数万の罹患者を出している中で、背に腹は変えられない。そこにクレームもつきにくい。

 ワクチン開発に日本企業の発言権が小さいのは残念だ。国策として支援することもなかったようだ。利益以上に国際貢献の具となったはずなのにもったいない。いまだ開発中の製薬会社には諦めず続けていただきたい。先行する薬品に問題が生じたとき出番が来ることは十分に考えられる。