カテゴリー: エッセイ

七夕

 新暦の七夕は今まで梅雨の只中で星祭りとは無縁だった。しかし今年は晴れて暑い。ただ薄曇りになっているようで牽牛織女の逢瀬が見られるかは微妙だ。星の位置からしても旧暦の方がいい。一応見上げてみることにする。

水泳の思い出

 子どもの頃はプールに行った。実は入学した小学校にはプールがなく、水泳は親や親戚に連れられて行ったが泳ぎ方は分からず水浴びの域を出なかった。

 ところが転校した先の学校は水泳が盛んで泳げる距離や種目によって級が設定されており、その取得状況はキャップに付けるリボンの数で可視化されていた。小学二年生にして一等兵のみならず、上等兵や兵長クラスの同級生もいる中で私は無印であった。例えがよくないが当時の私の水泳の時間の緊張感には相応しい。

 そんな金づちを担任の先生には粘り強く指導していただいた。少しだが泳げるようになり、夏の終わりには1本線が増えたことを覚えている。私の今を作ってくださった恩師である。

 プールにはしばらく行っていない。いまも泳げるだろうか。少し心配だがいつか試してみたい気もする。

強ければいいというものでもない

 合理的なのと現実的なのは違う。自らが築いた理と、他の誰かが築いた理が異なる場合はさまざまな問題が生じる。ルールメーカーが誰なのかによって世界の状況が変わってしまう。

 柔道は世界的なスポーツになった時点で別次元に移行した。もともと体重別の概念はなく、柔よく剛を制すの理念のもとに行われていた。だから身体の大きさの違いを勝敗の言い訳にはしなかったし、小兵が大柄の相手を倒すことに理想を感じた。

 柔道がオリンピック種目になった時点で、身体的公平性が重視され、一本勝ちは勝ち方の一種になり、有効なり効果といった部分点で勝負することになった。点数の累積で勝敗が決まるのはレスリングなどと同じで、行動の数値化が勝敗の尺度となった。

日本の伝統的な勝敗観は少し違う。累積した点数の差よりは、どのように戦ったのかという質的な差違、あるいは不十分な条件の中でも戦い続けた態度なり意識が評価の対象となる。巨万の富で有能な選手を集めたチームより、独自の努力によりそれらの強敵と戦うチームの方が高評価を得るのはかようなメカニズムによる。うまく勝つのではなく、きれいに勝つことに関心があるのだ。

 だから強ければいいという訳でない。どのように戦い、どんなドラマが展開され、何が起きたのか。日本のスポーツの伝統的な観衆はそこを期待している。

震災デマ

 トカラ沖で地震が群発している。例の漫画家の震災予告と偶然近場で起きているので、気味悪がっている人もいるのだろう。

東日本大震災の後、日本各地で起きた地震の記録を見ることが暫く続いた。三陸沖の余震は数多く、中には緊急速報レベルのものもあった。その他で多かったのが熊本付近と能登付近、そしてトカラ沖だった。熊本や能登では大地震が発生したが、後付けであれが前兆だったとは言えるが、リアルタイムでは分からない、それほど日本では小さな地震が毎日あちこちで起きている。

 トカラ沖の地震は小規模なものが長く続くのが特徴だ。今回、大きな地震になっているのは珍しい。ユーラシアプレートの下にフィリピンプレートが沈み込む位置にあるのが地震多発の原因らしい。

 なのでこれが予言の結果というわけではない。もともとここは多発地域なのだ。日本で大災害が起きるからといって航空便がキャンセルされる事態になっているようだが、デマに過ぎない。

 ただ、日本はもともといつ大きな地震が起きてもおかしくない地理的条件にある。大震災は明日かもしれないし、数十年後かもしれない。日本に来る人はその点は覚悟してほしい。言えることは、地震があるのが当たり前の国では、他国より地震の被害は食い止められるということだ。

 震災デマを信じて日本に来ないのも一策だ。ただ、「その日」を過ぎても日本はいつでも地震や台風などの天災に襲われうる。にも関わらず、ここまで発展できた訳をお知りになりたいのなら、ぜひお越しいただきたい。きっとお分かりになるはずだから。

 

氷饅頭

 亡き父がかき氷のことを氷饅頭と呼んでいた。昭和のある時期、家庭でかき氷を作れる器具が流行し、我が家にもたこ焼き用の鉄板とともによく使われた時期があった。

 かき氷を氷饅頭と呼ぶのは戦前に少年時代を送った人の、主に西日本での共通体験なのだそうだ。削った氷を何と新聞紙に乗せて売っていたというから、おおらかな時代だ、そう言えば福岡市に住んでいた頃、街のたこ焼きやも新聞紙にくるんで渡してくれた。三個で三十円という破格な値段であったが、今考えると新聞紙にそのまま触れた食品を何の抵抗もなく食べていたことになる。高度経済成長が終わった頃の話だ。

 氷饅頭の話に戻る。父はその話になるととても嬉しそうだった。かき氷を目にするたびにあれは氷饅頭だと言った。変な話というと、微笑んでいた。こんなことが何度もあった。恐らく子どもの頃の思い出と結びついているのだろう。

 最近は喫茶店でかき氷を見ても食指は動かない。冷たいだけで何がいいのかと思ってしまう。氷に耐えられる身体ではなくなったのかもしれない。

半夏生

 今日は半夏生である。いわゆる雑節の一つで、農事としては田植えの終わりを示す日であるそうだ。






 東京のスーパーではこの日蛸(たこ)の売り出しがある。もともと関西の風習であった半夏生に蛸を食べるという習慣が、商機に利用されているようだ。稲が蛸の足のように根を張ってほしいという願いは、農家としては切実な願いであったはずだ。今年のように米不足で家政が圧迫されるときはなおさらである。蛸を食うくらいで悩みが解消されるのなら実行すべきである。

 今年の場合、懸念されるのは短い梅雨が齎さなかった水運と、灼熱の日々が食糧にもたらす弊害だ。節水なり何なりの環境配慮は不可欠になるだろう。半夏生という言葉が空しく聞こえる昨今の陽気だが、夏はこれからと覚悟を決めるにはいい日である。

六月尽

 半年が終わったことになる。毎日いろいろなことが起きて一喜一憂しているのに、それを一括りに纏める力をいつの間にか儲けてしまった。

かつて半年の消化は、節目と考えられ、水無月の祓えなどが行われた。今は単なる通過点で、今年のように猛暑が既に始まっているとなるとますます存在感がない。

自然と乖離する生活を続けるうちに何か大切なことを忘れそうである。

戦争経験のない世代にとって

私たちの脳は都合のいいものを優先的に記憶し、そうでないものは無視する機能が備わっているようだ。それは進化の過程で身につけたものであり、これがあるためにどんな悲劇からも回復し、次の段階へ進むことができたのだろう。

もし戦争の悲惨さを実感し、それが次の世代にも伝えたいものと考えられるのならば、かなりの時間を割いてそれを実行しなくてはならない。私たちにはそこまでの覚悟はない。ただ、自分の要求を主張し、それが損なわれると怒るのみだ。

戦争経験のない世代にとって非戦の主張は理念的であり、実感が伴わない。一種の自己主張でしかない。恐らくこの制約が人類の戦争史を不断のものにしてきたのだろう。

結果的に実感の伴わない反戦主義が空虚なものと捉えられ、時の集団ヒステリーに押し切られる。私たちはその時、踏み応えられるのか。平和の鍵はそこにある。

釣りの付き添い

 亡き父の趣味は釣りだった。小学生の頃は無理やり連れて行かれた。恐らく母親の保育時間を軽減するための手段であったのだろう。そんなことは今になって分かったことで、当時としては日曜日は川か海ということが当たり前になっていた。

 父の釣りは粘り強いというタイプで決して巧妙とは言えなかった。釣り場を決めたらその場で粘り強く待つタイプであった。恐らく子連れであったために頻繁に場所を変えることができなかったのだろう。

 海の場合は防波堤の上で陽にさらされることになる。子供用に穴釣り風の仕掛けをわたしに作り、自分は目的の釣りをしていた。私はフグが釣れるたびに外れだと言われ、ベラのときはいいねと褒められ、カサゴのときはとても褒められた。でも、何がいいのか全く分からず、すぐに飽きてしまった。

川の時はそれよりはマシだった。釣れるのはハヤと呼ばれたウグイの類で、ヤマベという魚がよく連れた。鮎も狙っていたはずだが、それは滅多に掛からない。私は川釣りはすぐに飽きて、近くの田んぼにゲンゴロウやタガメを見に行くことに熱中した。

子供にとってはそれで十分楽しめた。父の付き合いは退屈であったが、自然と向き合いゲームなどなくても満足できる時間の使い方を学ぶきっかけをもらったのかもしれない。

梅雨よ終わるな

 まだ6月が終わっていないのに梅雨明けした地域がある。降水量が著しく少なく、今後の水需要に耐えられるのか心配だ。

 九州地方や四国などの一部で梅雨明けした可能性が高いことが発表された。異例の早さである。関東地方の週間予報でも雨の降る日はありそうだが、梅雨と呼ぶには傘マークが並ばない。恐らく暑い日中と突然の豪雨という日々になるのだろう。気候変動と言われれば打ち消すことは難しい。

 恐らく若い世代の人たちに梅雨の情緒を理解してもらうことは難しい。霖雨が何をもたらしてきたのか。もうデータ上の出来事になっているのかもしれない。

 雨の季節は憂鬱なものだったはずだ。それがこうなると惜しく感じられてしまう。