文字起こしの問題点

 話したことを文字にしてくれる、いわゆる文字起こしは大抵のコンピューターで実現できる。私たちは音声記憶だけでは記録性に欠け、文字となったときに長期記憶になると考えるために文字起こしは大変魅力的なものに感じる。

 ただよく考えてみると、会議の記録をすべて文字で表そうすると、必ずしもそのすべてが有意義とは限らない。私たちの思考は逡巡するものであり、迷走することも多い。語弊を恐れずに言えば、大抵の会議はそうした右往左往の展開によるもので効率的なものとは言い難い。

 人工知能に任せて内容を要約することもある。使ってみるとそのまま使うことはまだできないが、書記をおくより便利であることは確かだ。

 自分たちの話したことが文字化され、記録されることを歓迎することは間違ってはいないとは思う。でも、記録に残ればよいという考え方は再考されなくてはなるまい。考えること、話し合うことそれ自体に意味があるのであって、それを要約したものがあればいいという訳でない。

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