逆張り

 株式投資などで値下がり局面で敢えて購入し、値上がりしてから売却するという手法がある。まさにピンチをチャンスに変えてしまうたくましい手段だ。

 この方法の大前提として、値下がりしたものは将来必ず値を上げるという期待がある。下降したまま消滅することはないという了解だ。これは資本主義社会に対する信頼が容易には崩れないことを経験的に知っているからだ。

 現今の社会情勢は極めて厳しい下げの局面にある。そして、相当の恐怖感を伴って迫っている。同時にこのまま社会が消滅すると考えている人はいない。必ず上昇局面に転じると信じている。だから、いまは慌てずに次の局面で何をするのかを学ぶべきなのだろう。それが許される状況にあることを喜ぶべきだ。

GDP戦後最悪の落ち込み

 今日、年率で27.8%というGDPの暴落が発表された。リーマンショックを上回る落ち込みに多くの人がショックを受けている。緊急事態宣言で経済を止めたことが直接の原因であることは間違いない。

 ただしこれは日本だけのことではない。世界的にコロナウイルスショックは大打撃を与えており、世界中が同病相憐れむ仲である。ただし、これを短期的には救済していかなくては傷口が広がる。ウイルスについては引き続き警戒が必要だが、自粛の行き過ぎにならないようにしなくてはならない。これまでの症例をもっと公開して可能なことと不可能なことを多くの人が共有すべきだ。

 今後のことを積極的に考えなくてはならない。失業者の再雇用の方法を模索するべきだ。私だっていつ失業するか分からなくなってきた。再就職の準備を個人的にも始めなくてはならないだろう。そういう機会がないことを祈るが。

 今は大きな逆境にある。辛いことだが、こういう時にイノベーションは起きやすい。私自身もそれを傍観するのではなく挑戦する側に立ちたいと考えている。

送り火

 京都市で恒例の送り火の行事が今回は限定された形で虚構された。「大」の字に見えるように山腹の点火台に火をともす行事は京都の夏の風物詩だ。しかし今年は密を避けるという意味で6か所のみの点火となった。

 「大」という文字のそれぞれの画の始点と終点、それに交差点の6か所だけともされた大文字は人々に想像の炎を加えさせた。誰もが足りない部分に見えない光の線を足したのである。ある意味、非常に貴重なものであった。本来、送り火は盆に迎えた先祖の霊魂を再びあの世に送るための炎である。今日との五山送り火のような大規模なものでなければかつては日本各地の門前で同様の行事が行われたらしい。祖霊は神でもあると考えられた。

 ひと時の祖霊との交流によって、私たちの祖先は鎮魂をするとともに、祖霊には浮世の我々を守護してもらうことを願ったかもしれない。その精神は今も変わらない。非科学的かもしれないが日本人はどこかで祖先が守ってくれることを期待している。そしてここ最近の災禍を顧みるに祖霊の助けにすがらなくてはならない状況にあることは間違いない。こういう時は原始的な感情を隠さなくていいのかもしれない。

 テレビに映った京都の送り火を見て、なぜかこみ上げるものがあった。

75年目

 日本が太平洋戦争に敗戦してから75年目となった。戦争という言葉が年々実感のないものになっていく中で、考えなくてはならないことが増えている。

 75年は人の一生に相当する長さがある。戦争を実感できる年齢になるにはさらに数年を生きる必要がある。日本人は長寿ではあるが、さすがにこの年月は過去を風化させるのに十分な長さだ。

戦争が様々な悲劇を生むことは分かっている。無差別に多数の人を巻き込んでしまう恐ろしさは誰もが承知している。それどころか人類の歴史そのものを消滅させる可能性すらある。それでも人はいまだに戦いを止めない。情報化が進んで知識が敷衍しても変わることができない。

日本は世界唯一の被爆国だ。そしてこの事実はこれからも変わってはいけない。その事実は変わらなくても、そこに住む国民の考えは少しずつ、しかも確実に変化している。反戦は積極性をなくし、むしろ思考停止のきっかけになっている。学ばなくてはならない。現実的と称するあらゆる戦争論に対抗する準備が必要だ。

言葉に換える

 私が恐らく毎日苦労しているのは、今考えていることを日本語という言葉に落とし込むことなのだと感じる。いろいろなことが頭をよぎるがすぐに消えてしまう。それをどう表現するのか。他人にどのように共感してもらうのかを毎日試しているのだろう。

 脳内をめぐる刺激のようなものがやがて感情を形成するのならば、その仲立ちをするのは言葉である。言葉がなければ感覚は記憶できないし、刺激の類型のどれかとしてその都度感じるに過ぎない。それが例えば「暑い」という言葉によって、同様の刺激をひとまとめとして把握できるようになる。それらが組み合わさって単語になり、一定のルールのもとで文になる。それを組み立てて文章ができる。もちろん筆記されることはさらにその先の営みである。

 なんとなく感じている思いが言葉になるまでの何とも言えないむずむずとした感覚は、沸き起こってはすぐに消えてしまう。言葉として記憶しなければ刺激をとどめることができないのだ。私が文章を書いたり、詩歌を残そうとしたりするのはそれを何とか形にしたいと思うあがきなのだろう。それは人間という言語を獲得した生物の宿命でもある。

帰省できないために

 盆休みは都心部にとっては閑散期になることが多いのだが今年は様子が異なる。外出を自粛する人や猛暑の関係で抑制的ではあるものの例年のこの時期と比べるならば明らかに人が多い。恐らく帰省を控える人が多いのだろう。

 不謹慎かもしれないが東京ではコロナ対策をしていると言いながら、結構自由なところも多い。マスク着用、消毒液設置は普通になされているが、それが効果があるのかどうかの検証はされていない。また、感染者の隔離というのも本人の自主性にかなり任されている。最近は連日数百人の感染者が加算されているが、その割には周辺に感染した人はいない。密なる状態の定義もあいまいであり、これを日本式というならばかなり緩い。

 東京およびその周辺は多くの人を抱えたまま盆を迎えている。恐らく郷里で待つ親たちには実に残念な夏だろう。いやゆっくりできていいのかもしれないが。

古典の発想

 複雑な時代を生きていると何が正解なのか分からなくなることが多い。というより常に正解が分からない世界に生きている。そんな私たちにとっては一つの指標がある。古典を読むことである。

 私にとっての古典は日本の古典文学作品である。大学時代にこれを専攻したこともあり、私にとってなじみ深い。万葉集の歌を読むとき、中世の説話を読むとき、そこには常に発見がある。未完成で粗削りなストーリーの中に可能性を感じる。国語の教員である私はそれを教材としてのみ扱うことに常に抵抗を感じている。まるで暗号解読のように古典を読む同僚たちの手際よさに感服しつつも、それは古典を呼んではいないだろうとも思う。そして彼らと同様に、しかも少々拙く読解のテクニックばかりを教えている自分の毎日を反省する。

 私はひそかに古典文学をなるべく自分にひきつけて読む意訳を最近続けている。学校では決して教えられない方法だが、日記やブログに書くのならいいだろう。その訳し方では決してテストで得点は取れない。大学にも合格できないが、少なくとも主体的に古典を読むというもっと大切なことはできるのではないか。いつかこのサイトにもそれを載せることができればなどと考えている。

師に出会うなら

 教育において師匠の模倣が大切だということは日本の教育に根強く残っている考え方である。ただ、この基底には弟子の師匠に対する無批判かつ無根拠の信用が欠かせない。よく分からないがなんだか素晴らしいと思う人物に出会ったとき、学びの効果は最大限に発揮される。これは伝統的な武道や芸事の世界では普通に見られることだ。

 ところが、今日の学校教育ではそれが通用しない。教師が生徒を評価するのと同様に教員も常にだれかに評価されている。教員としての自尊心は早くから傷つけられ、産業的効率性の中に位置づけられ数値化される。教え方がうまいか下手かが例えば、教えた生徒の受けた数回の試験で計測されていく。これでは伝統的な師は生まれない。学校にいるのは常に自らが淘汰されないかをうかがう労働者に過ぎない。

 伝統的な学びの発動をもたらしたいのなら学校はやめた方がいいのかもしれない。むしろ私塾のような場所で自分の習いたいことを習える環境を作った方がいいのかもしれないのだ。自分にとっていい師を見つけるのは実はとても大変だ。たいていはまやかしかも知れない。でも本当の師匠を見つけた弟子はきっと師を超えることができる。これが東洋的な教育なのだと思う。わずかに大学院の研究室などにそれが残っていると信じたいが、どうなのだろう。

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首相の言葉の意味

 広島と長崎の原爆記念日の首相の言葉がほとんど同じであったことが話題になっている。過去にさかのぼって調べた記事もあり、実はこれまでもあまり違いはなかったようだ。気を付けなくてはならないのはそのことではない。

 広島と長崎の被爆はアメリカの核による脅威を世界に見せつける目的があったという。形式の異なる原子爆弾を落としたもの実験的な意味があったと考えられている。降伏しない日本軍への決定打として、東進するソ連の共産勢力への威力誇示など様々な意味があったようだ。

 75年の歳月を経て被爆の歴史的意味が様々に解釈される中で、日本の首相の発言の意味は大きい。しかし、それがもはや類型化され紋切り型になりつつあるのは残念だ。被爆国として世界にメッセージを発信できる貴重な機会を無にしてほしくない。

 反戦運動もまたしかり。その精神が類型化してしまえば説得力は急速に失われる。戦争の加害者であり被害者でもあった頃の記憶を失えば、教科書の写真をみるのと同じようなものだ。首相にはそれをさせない行動をとってほしい。来年は誰がやるのかわからないが、期待できるだろうか。

長崎忌

 1945年8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、推定7万4千人が死亡した。そのほかにも多くの関連死・後遺症が今でも続いている。長崎原爆記念日は私にとっては特別な意味を持つ。

 長崎に原爆が投下された日、私の父は北九州の八幡の近くに住んでいたという。いまでも多くの親戚がこの地で暮らしていたのは、製鉄所の町として栄えていたからだろう。当時は軍需工場も数多く存在した北九州は実は原爆の目標地点であったという。テニアン島から飛び立ったB29は北九州の目標をめがけて飛んだが、天候が悪く急遽長崎に標的を変更した。大浦地区上空での炸裂が多くの犠牲者を出したことは日本の無条件降伏に大きな影響を及ぼしたといわれる。

 もし北九州が晴れていたとしたら、間違いなく私の父は爆死していたに違いない。私はこの世にはいないはずだ。その反対は長崎で起きた。今私と同じ時代を生きているはずだった人が生まれてこなかったのである。

 このような運命はいつでも起こりうる。それはもちろんそうだ。人生は偶然であり、何一つ決まったことなどない。ただ、その選択はあくまで人為とは別の次元で行われるべきだ。人の作り出したもので人生を変えてしまってはいけない。戦争というのはそれがいけないのだ。偶然を決めるのは決して人間であってはならない。8月9日になるといつもこのようなことを考える。

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