近未来展望

 最近、ここ数年がどのような一年になるのかを予測する文章を読む機会が増えた。いろいろな内容がある。

 楽観的な意見ではコロナウイルス克服後の景気回復を強調する。仮に完全な収束はなくても、昨年進んだ諸方面の対策で社会システムが進化したことが恩恵をもたらすというものだ。

 悲観的な予想は多い。パンデミックは収束せず、低迷を続ける社会に人々が疲弊していくというものだ。株式市場などの景況も実態に近づいていくという悲観論である。

 どちらが正しいのかはまったく分からない。ただ、危機的状況にあることと。それが次のチャンスをもたらすということだけは確かだ。どの局面を強調するかで未来予想は変わっていく。

身近に

 ウイルス感染の話が身近なレベルになってきた。近隣のクラスタ発生のニュースや家族の近くにも該当者が出ている。

 もう自分だけが例外だとは考えてはいない。いつ罹患してもいいように準備をした方が賢明なようである。

 ここまで、自身の関係者に罹患の知らせがなかったことを喜ぶとともに、今後の幸運を祈りたい。

名付け

 無形の現象になんと名前をつけるか。それが新しい考え方を生み出す原点のようだ。社会現象などの連続的な出来事は実は全てが異なり、同じものなどない。しかし、似たようなことは何度も起こることも事実である。それにどのような名前をつけるかが物事を把握する出発点になるということだ。

 名前がつけられるまでは経験しても記憶されない。正確に言えば記憶しようと思っても手がかりがない。思い止めようとしても手ですくった水が滴り落ちるようにいつかは消えてしまう。それが一旦名前がつくと掌握できるようになる。小異は気にならなくなり、共通する要素を見出していく。それだけに名付けは大切だ。

 でも名前をつけるのは簡単ではない。パターンとして把握するにはそれなりの経験と大胆な推論が必要だ。多くの人はそれを持ち合わせない。だから、ある人が適切なネーミングをすることで初めて見えてくることがあるのだ。私達はそれを学習として把握している。いろいろな本を読むとき、人の話を聞くとき、その名付けられた概念を組み合わせで考えをまとめているのだ。

 では、名付けることは専門家に任せればいいのか。そうではないと思う。私のような一般人でも積極的に名付けを行っていくことが、世界の把握には欠かせない。少なくとも名付けをする意欲だけはいつまでも失ってはいけないと思う。

制御

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。もう知らない誰かが罹ったいうレベルを超えてすぐ近くまで病魔が迫っている感がある。感染拡大を行政の失敗と非難する人も出てきた。当たっているが間違ってもいる。

 政治家ができるのは外出規制や補助に過ぎない。人々の動きを拘束できない以上、判断は各自に任されている。また、そういう社会を望んでいるのは私たちだ。

 指導者たる人がとるべきは各自が適切な判断をくだせるようにその都度情報を提示し続けることだろう。それが不十分なまま勧告しても従う人は増えない。

 制御することは不可能かもしれないが、とるべき方法はまだある。低下する関心の中で増加する犠牲者がいる。私たちは今一度冷静に状況把握をするべきなのだ。

 

月額定額

 いわゆるサブスクリプションに相当するサービスを無印良品が家具の分野で始めるという。商品を買い取るのではなく、定額料金を払って借りる方法である。消費者側からすれば低額で商品を導入できることや、一定期間の終了後に処分する費用を節約することができる。また企業側からすれば顧客とのつながりを保つことができることや、安定収入を得られるというメリットがある。

 実は福祉の分野などでは家具の定額レンタルは存在している。介護ベッドなどのレンタルは一般的だ。それが一般家財にも及ぶと生活の体系は変化していく可能性がある。かつては花嫁道具として箪笥や長持ちなどが使われ、生涯に渡って使い続ける財産として家具は考えられていた。それが借りたい時に定額で借りることができれば、モノへの執着はなくならざるを得ない。自分のものであっても所有権はないという感覚は当初は馴染みにくいだろう。

 しかし、現代人の多くは住居さえも定借制であり、サブスクはもはや完全に市民権を得ている。モノに執着し、モノとの関係性で築き上げて来た日本の文化が大きな転換点にあることは確かであろう。不景気で購買力が低下している日本人にとってこのビジネススタイルは案外早く定着していくかもしれない。

対応

 ウイルス感染対策の深刻化が進んでいる。ただ、昨年と違うのは心理的恐怖感が弱いということだ。何とかなると考えている人、所詮防疫は不可能だと諦めている人が多い。

 距離を離したり、ついたてを置いたりするのはそれなりに効果はあるというがこれも多くの人は納得していない。規制されないよう形を整えていると感じている。

 専門家の皆さんにはもっと積極的に発言をしていただきたい。何が有効で何が無駄なのかを少しでも分かれば新たな動きがあるかもしれない。

霜

 今朝は昨日に比べると気温が高い。しかし、路面にはうっすらと白いものが見える。地面の方が顕著で霜がおりていることが分かる。

 昨日降った雨があさの放射冷却で氷点に達したのかもしれない。結局雪にはならなかったが景色は寒中の様を描いているのだ。

 少し寒さにも慣れてきた。だが油断はならない。相変わらず寒さとは無縁の脅威が続いているのだから。

感情的な描写を論理的に考える

 小説の読解の方法の基本は、登場人物の心理の変化を正確にたどることである。これができれば小説の世界を深く理解できる。現実の人間の世界はかなり複雑な構造をとる。人間の心理というのは数式に表せるほど単純ではない。いろいろなことを同時に考えており、局面においてその感情の一部分が顔を出してくる。だから人間というのは実に複雑である。

 小説の世界は作者によって一定の世界観を付与されており、その登場人物も設定上の制約の中で活動する。かわいい女の子はいつまでたっても無邪気なままだし、おんぼろの世界の中で何とか自己実現をしようとしている。現実とは似て非なる世界の中である。その造形の中で私たちは人間について考えることになる。

 小説は筆者の仕込んだ構図の中に一度没入し、さらにそこから浮き上がって俯瞰することで深い味わいを受け取ることができる。私が教室で教えたいのはその点であり、いつもそれを目指しては失敗している。

成人の日

 日本では今日が成人の日という祝日である。本来1月15日に行われていたが2000年から1月の第2月曜日となり、変動して連休を形成するようになった。この日はこの一年で成人となった人、というよりも成人の日の時点で20歳の人が行う行事である。

 2021年を新成人として迎える日本人の人口は約124万人で、昨年より微増したものの人口の1%に満たず、今後は急速に減少に進む。出生率が下がり続ける日本では人口問題は深刻だ。昨年のコロナ禍がもたらした影響も懸念される。国家の縮小化は避けられないのであれば、それに応じた変化をしていくしかない。今年成人を迎えたみなさんにはそれに対応していかねばならないだろう。

 成人だけではなく、国民として考えなくてはならないのは自らのいる社会なり共同体の共通利益を考えるという視点だ。自分だけよければいいという時代は終焉しつつある。自分だけ勝ち残るという発想自体が空論であることは、少し国際社会への知識を広げれば見えてくる。自分の幸福を追求するためには他者の利益をも考えなくてはならないという仕組みを皆で理解する必要があるのだろう。

 私のような世代にとっては引退を極力しないこと、そして健康年齢を保ち福祉面での社会負担をかけないようにすることが究極の努力目標だろう。そのためには心身の健全を保たねばならない。また第二、第三の仕事を考えていかなくてはなるまい。やるべきことがまだたくさんある。若者の成人を祝うことだけではなく、自らが別の意味での発展を意識してかなくてはならないと考えている。

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自分が属するのは

  エマニュエル・トッド『大分断』というインタビューを文章化した書籍を読んでみた。一学者の意見ながらヨーロッパの分断の様がうかがえるものであった。筆者の意見はかなり手厳しい。フランス人が国家に対する尊敬の念を忘れつつあるという意見は印象に残った。市民レベルを上げるために行われるはずの教育が、自己利益を守るためのスキルのようなものに成り下がっているという指摘はなにも彼の国だけのものではない。

 自国ファーストの考え方にも抵抗があるが、自国なり自分の共同体を全く考えないことも困りものだ。そのバランを考えることがこれからの社会には必要になる。人間は社会的な生き物であり、他と連携することで生きることができる。その連携先はリアルなものでなくてはならない。ネットでつながっている「ともだち」が単なる購読者にすぎないことを思い出さなくてはならない。自分が何に属していてどのような運命共同体にあるのかを考えなくてはならないのだ。

 自分の属する集団を知り、その利となるもの求め、害となるものを退けること。それがこれから必要な生き方になるのだろう。