久しぶりの散歩

 今日から休暇に入った。朝、ちょっとした散歩に出かけることにした。かつてはジョギングをしていた境川の川べりを歩くことにした。かなり気温が上がっているがジョガーや自転車を走らせる人と何人も出会った。

 境川はその名の通り、東京と神奈川の境を流れる小河川である。護岸工事が施されほとんど天然の河原は存在しない。そのかわり人が近づけない動物の聖地になっているともいえる。今日はアオサギがゆっくりと歩いているの見た。この川には他にもカモなどの水鳥がよくみられる。鶺鴒やカワセミといった小鳥もよく見かける。

 短い夏休みの体力維持のためにこの川の風景を何度か見に来ることなるだろう。

境川

体力

 間もなく短い夏休みに入る。厳戒状態の休暇なのでレジャーにも行けない。猛暑は続くといい条件はがあまりない。ただこの期間にはやらなくてはならないことがある。

 その一つが体力作りだ。小さなトレーニングから始めて行こうと思う。自粛要請期間に風邪を引いてしまったのは体力の低下で免疫力が落ちたからだと考えている。

 やれることは限られているが、やれないことはない。まずは早朝の散歩から始めてみよう。

地産地消

 現在ほど地域経済の力が試されている時代はない。コロナウイルスや地勢的要因のためにグローバル経済に制限があると、それに依存している人や企業は大きな痛手を受けることが実態化しているからだ。

 この事態を改善するには地域経済のサイクルを見直すことが欠かせない。お金を地域で回すことにもっと関心を持たなくてはならない。それによって今回のような事態に対処できる下支えができるのだ。

 もちろんそれだけでは閉塞してしまう。また、革新的な商品なり商業スタイルも生まれにくい。すべてを内需にするのは非現実的だ。ただ一定のシェアを地域経済に置くことの意味を考えさせられている局面にあることは自覚しなくてはならないのではないか。

知らざあ言って聞かせましょう

 私たちは自分の常識が無条件に誰にも通用すると思い込んでいる。そもそも常識という言葉にすでに油断が含まれている。実際はそんなに甘くはない。

 他人とコミュニケーションをするときに常に現在地を確認しながら話をするのは骨が折れる。言わずとも通じる仲間を理想とするのだ。しかし、つきあいが広がるほどこの手続きは欠かせないものになる。

 相手は自分のことを深くは知らないということを前提にコミュニケーションを進めていくべきだ。最近はそう感じることがとても増えている。おそらく私の考え方のほうが特殊なのだ。そう考えることにしている。

バイオテロのようなもの

 中国から謎の種子が日本の個人宅に無差別に送りつけられているそうだ。送り主が中国発であること以外分からないのだという。

 実態がなんであるのかは分からないが、検疫上からも生態系維持の観点からも焼却すべきだという。できれば公的機関に連絡し、処分を任せた方がいいようだ。

 日本以外への送付もあるのだろうか。共有しておく。

何もしない店員

 先日、レジの前で不満を述べている年配の方がいらっしゃった。この店は何もしてくれないのか。嘆きと怒りの混ざった感情でつぶやいたことばは近くの人に確実に聞こえていた。

 日本最大手のコンビニエンスストアチェーンのセブンイレブンジャパンは、店舗のレジの無人化を進めていいる。品物をレジに持っていくと、商品のバーコード読み取りはやってくれるが、支払い方法の選択から入金、生産などは客側が操作するように機械が客側を向いている。レジ袋を断ると商品の袋詰までも客がやらねばならず、年配男性の怒りと嘆きとが生じるという訳である。

 ウイルス感染予防の対策という大義名分もあって、この流れは今後拡大するであろう。店員がやる仕事が減るのは合理的なのかもしれない。ただ失うものも多いはずだ。各店舗が個性を出さなければ完全に等閑視されることになる。いつ生まれ消えても何の印象にも残らない商店はおそらく長続きはしないだろう。

 時代の流れの中でも失ってはならない要素がある。もてなす面倒な作業を止めたとき、深刻な後悔が始まるのではないだろうか。

身体ならし

 今日は夏の日差しが降り注いでいる。気温も上がっている。酷暑とまではいかないが体調に影響を及ぼす暑さだ。いつもならば当たり前のことなのだが、今年は少し事情がちがう。

 マスクを着けたまま外を歩くのはやはりつらい。息苦しさはもちろんだが、口から発散される体温がうまく放出できない気がする。科学的に合っているのかどうかは分からないが。通り過ぎた婦人が連れた飼い犬の息がいつもより荒そうにみえるのは気のせいだろうか。

 冷房のもとに逃げ込むのも手だが、少し体を慣らしていかなくてはならないと思い、散歩をしてみた。周りに人がいないときはマスクを外して歩くべきだと考えながら、結局つけたままだった。ならしはこれからも続けなくてはなるまい。

8月

 日本では8月は夏のイメージそのものだ。学生、生徒諸君の大半は夏休みである。ところが今年は少し異なる。

 教員である私にとっては8月は充電の月となる。授業がない分、心身ともに余裕がある。合宿引率などの全日勤務の例外はあるが、通常勤務で疲弊した身体と心を癒すことは可能だ。

 ただ、今年は少し異なる。コロナウイルスで学校を閉じた分、夏に取り戻そうという目的から休みが減っている。部活動合宿はなくなったが、感染予防の上での活動が求められる。監督義務もある。

 色々変則的な8月をどう乗り切るか。当面の課題だ。

間もなく梅雨明け

 どうやら長い梅雨も終わりが見えてきたようだ。西日本の一部では梅雨前線の長期的影響は終わったと認定されたようだ。私の住む東京は今日も曇天で、時折雨粒を感じる。

 梅雨が明けると猛暑が続くのがこの地域のさだめだ。最近は酷暑という言葉も刺激が薄れつつある。マスク着用の上、過酷な高温が続けばコロナウイルスよりも強力な影響を与える。

 マスクの付け方について専門家は分かりやすく説明してほしい。ただつけなさいでは別の被害も発生する。

やる気を喚起

 教員の評価の仕方は決して一様ではない。人間の評価を一つのものさしで測れないのと同様に、教員の評価も多角的に行われるべきだ。最近は何でも経済的効率性に換算してそれが正しいかのようにいう向きもあるが、それはその尺度をもってしても間違いといえる。そう信じている人は経済的効率性がない人そのものだ。

 教員の評価の方法の一つに、相手をやる気にさせる力がある。これは特に中等教育の段階では必要なスキルとなる。というと再びあるイメージをもとに尺度を設定するかもしれない。しかし、話はそうかんたんではない。人のやる気を喚起する方法は決して一つではないし、個々人に向いた、向かないやり方がある。それを知り対処できるのが教員の技能の一つだ。

 これは数値化し難い。それゆえに評価基準から外されている。しかし、これこそがこれからの教員に求められる能力の一つなのだ。