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地産地消

 現在ほど地域経済の力が試されている時代はない。コロナウイルスや地勢的要因のためにグローバル経済に制限があると、それに依存している人や企業は大きな痛手を受けることが実態化しているからだ。

 この事態を改善するには地域経済のサイクルを見直すことが欠かせない。お金を地域で回すことにもっと関心を持たなくてはならない。それによって今回のような事態に対処できる下支えができるのだ。

 もちろんそれだけでは閉塞してしまう。また、革新的な商品なり商業スタイルも生まれにくい。すべてを内需にするのは非現実的だ。ただ一定のシェアを地域経済に置くことの意味を考えさせられている局面にあることは自覚しなくてはならないのではないか。

手触り

 バーチャルな時空が急速に広がっているいま、密かに渇望されているのは手触りなのではないか。そのときに一回限りで現れる感覚こそが大切な要素なのだと気がつくことがよくある。

 ここでいう手触りとは文字通りの皮膚感覚の介してのものにとどまらない。たとえ触れることができなくても、それに接しているという生の感覚が得られるものをすべて含めるとする。極めて主観的な感知であり、容易に定量化しにくい。

 しかし、対象と同じ次元を共有しているという思いは、実は結構大事なものであったのだ。その安心の中でいろいろなことが可能になってゆく。最近はこの感覚がないがしろになりつつある。

融合する力

 新しいものを作り出すことは容易ではありません。無から有を生み出すことを目指すよりは今あるものを組み合わせたり、取り合わせたりすることの方が結果的に新境地に達する可能性を高めます。

 もともと日本という国は地勢上、新発見や発明をするには不利なので、外来のものを自分流に組み直すことをしてきました。物資が限られている中で最大限の効果を発揮できるアレンジをして凌いできたのです。

 私たちはそのことを思い出す必要があります。外来のものをそのまま受け入れるだけではなく和風化するたくましさを取り戻すべきです。現在、世界的評価を受けているものの大半はこの日本アレンジの産物です。文化を融合させる能力を再評価すべきだと考えるのです。

フォント

 どの言語でも同じことが言えると思うのですが、特に日本語は文字の種類が多く多彩なため、それをどのように表記するのかが重要な要素となります。デジタル表記においては字体(フォント)の選択もメッセージの一部と言って構いません。

 最近、難読症の人にも読みやすいフォントが開発され、普及し始めています。字画が適度に太く交差する画が互いを打ち消さないように工夫されています。伝統的な風格は足りないのですが、確かに読みやすい。

 私は今年度から生徒諸君への配布物をこの書体にすることにしました。今までの明朝体やゴシック、教科書体よりも圧迫感や印刷時のかすれが少ない気がします。少し手書きにも似た書体をしばらくは愛用することになりそうです。

困った前線

 梅雨前線が日本列島に掛かったまま停滞し、各地で大雨を降らせています。熊本県の被害の大きさが連日報道されていますが、これと同じことが東日本でも発生しつつあります。

 日本の梅雨は6月中旬から7月中旬くらいの時期にあります。雨季というべきものを梅の実の熟する頃の雨ということで梅雨と呼んでいます。(諸説あります)。この時期は特に末期に大雨になりやすく毎年災害を発生させています。

 森林が多く急流河川が数多く流れる国土においては治水は積年の課題です。河川を竜に見立て神と祭る習俗が各地に見られるのも、御しがたい自然への脅威の表れでしょう。

 最近の異常な大雨が人為的な要因によるものならば、大きなしっぺ返しを受けていることになります。その怒りが少しでも収まってもらうことを祈ります。

人命救助

 災害が起きると救助に駆けつける自衛隊の皆様には敬服します。身の危険を省みず人命救助に向かうことは思うより容易ではありません。

 熊本県の球磨川流域で大規模な氾濫が発生しています。ヘリコプターで救助する様が動画サイトで公開されているのをみました。それは予想以上に危険な作業でした。その姿は感動を誘うものです。

 これから下さい水害多発の期間になります。救助隊を頼もしく思いながらも、できれば出動の機会がないことを祈るばかりです。

無言の抵抗

 言論の自由が奪われると人はどのように行動するのか。それを具象化しているのが香港からの報道です。香港国家安全維持法なる統制のための法律が施行された後、市民は自分の考えを自由に表明できなくなりました。そこで起きたのが無言の抵抗です。

 レノン・ウォールといわれる色とりどりの付箋紙を壁面に張り付ける行動は、一見するときれいな装飾のようですが、これは共産主義に対する強い嫌悪感を表明したものだといいます。ジョン・レノンが平和に関するメッセージを積極的に行ったのは有名ですが、そのなかにはかつての中国共産主義に対する痛烈な批判もありました。武力で人民を圧倒する手法についての反対していたのです。

 チェコの人々はレノンのこの考え方に共鳴し、平和のメッセージを壁面一杯に描きました。これがレノン・ウォールの起源の一つなのだとか。香港の人々はそれを踏まえ、弾圧されないために何も書かれていないカラフルな付箋を町の随所に貼っているのです。

 おそらく当局は別の口実をこしらえて色彩豊かな付箋紙を貼り付ける行為も弾圧することなるでしょう。中国の思想統制の方法は徹底的であり、それが今日の政権を支えているのですから。共産主義国家に香港のような地域があったことは中国にとっては利点だったはずです。自由主義圏との窓口として有効に使えるはずだったのです。それを閉じたことは国際社会からの一層の孤立と、それゆえの自己肥大化の道を選んだということなるのでしょう。

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次の波

 昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が3桁に達したことが発表されました。第2の波がきたのではないかという人もいます。そうなのでしょうか。

 日本は感染者の積極的な割り出しに関して消極的です。軽症者が多いこの病気に対しては今のところはこれが結果的に奏功しています。なにしろ感染者と分かってもほとんど打つ手がないのですから。

 自粛要請が終わったあと。気をつけているとはいえ、密なる状態は随所に見られます。人間の活動自体が群集の中で営まわれる以上、避けることはできない事実です。

 本当の波はこれからくるのかもしれません。変異したウイルスが社会活動を止めることがないように祈るばかりです。しかし、それもいずれ克服できると私は楽観視しています。

後半開始

 1年の後半が始まりました。ここ数年の世界情勢はまさに歴史的な異常事態です。コロナウイルス感染者は日本では低く抑えられている感じがあります。マスクとソーシャルディスタンスの効用がどれほど有効なのか分からない現状では、偶然そうなっているとしか言えません。

 オリンピック開催のために昨年からこの月がいつもと違うようになることは既成事実でしたが、さらなる大変更が起きるとは考えてもみませんでした。この年の後半も波乱続きが予想されます。

 様々なことが満足にできない現状を転機の材料とすることは至急の課題です。雨降って地固まる。ころんでもただでは起きない。臥薪嘗胆。今にふさわしいいろいろな金言を探しています。

Jリーグ再開

 昨日、日本のプロサッカーリーグの2部3部のJ2、J3が再開しました。無観客試合という変則的な方法ですがとにかく始められたことは大きな前進といえます。

 スポーツ興行の再開は経済効果的は小さくても、社会に与える影響力は大きなものがあります。彼らが試合ができることが、精神的な勇気をあたえるほか、集客を前提とした産業全体に希望を与えると思うのです。客を集めなくては始められない商売のウィズコロナ時代でのあり方を具体的に考える契機を与えてくれるはずです。

 野球やサッカーなどの屋外でできるイベントの次はホールなどの密閉空間でのあり方を考えなくてはなりません。リモートではなくリアルな興行をどうやって成立させるのか、知恵が必要になります。