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融合

 横浜には様々な日本初があります。多くは近代の文明開化によるものです。

 日本初と称するものの多くは海外のものやことを移植したものです。しかも単なるコピーではなく、無意識の和風化が起きている。取り入れたものを見よう見まねで作り出した結果、オリジナルとは似て非なるものができたのです。はじめはまがい物扱いだったものが、時を経て価値のあるものに変わってきたのです。

 進取の精神は忘れてはならない我が国の徳の一つ。最近それを少なくとも私は忘れかけているようで自省していますが

終息せず収束した状態

 日本語は音韻の数が少ないため同音異義語が多数存在します。使われる文脈で大抵は意味が使い分けられるのですが、なかには判別が難しいものがあります。その一例で昨今頻繁に使われているのが「しゅうそく」です。

 収束はものごとがおさまることを意味します。混乱していたものが一定の秩序を取り戻した時に収束したと言います。コロナウイルスの流行に関して我が国では感染者数、死亡者数ともにひところよりは減っています。これを表現するには収束の語がふさわしい。

 それに対して終息は終わったことを意味する熟語です。ウイルス感染がほぼなくなった状態が終息ということになります。この終息への道はまだまだ遠い。厳密にいえば終息はありえず、ほぼ終息という状態をいう言葉ということになります。

 アメリカやブラジルなどでは感染者数がまた急増しているとか。海外での数万人の死者の報道は日本人からすると信じがたい事実なのですが、まだ日本で同様のことが起きる可能性は消えていません。あくまで収束の方向に向かっているだけで、終息には程遠いというわけです。

本当の敵

 自分のことをよく見せるために相手を必要以上に貶めたり、あたかも諸悪の根源であるかのように喧伝する手法があります。支持率の高い政治家がよくとる手法なのです。

 相手がいかに劣っているのかを主張すること自体は、討議においてはよくある手法です。しかし、それが事実を超えた誇張になると悪意になります。相手を悪く見せることで自分を飾る手法には巧みな悪意があり、詐欺や欺瞞です。

 私たちは苦境に立たされたり、強い不安があるとそうした嘘に簡単に騙されてしまう。民主主義の盲点をつかれます。分かりやすい説明の裏に何が隠されているのかを考えていかなくてはなりません。

組み合わせ

 新しいものを作り出すことは容易ではありません。ゼロから作ったという表現には明らかな誇張があります。創造神でもない限り無から有を生み出すことは不可能です。

 私たちが新しいものと感じているのは大抵の場合、既存のものの組み合わせです。今までにない取り合わせ、意外な連係が新しいものとして現れるのでしょう。私たちはもっとミックスとかブレンドとかに興味を持つべきなのです。

 これは有形物のみならず、無形の概念、社会の仕組みなどにも共通します。新しい何かを考えるときには現状の分析と大胆な組み合わせとが肝要なのです。

リモートの呼びかけ

 近隣のコンビニのガラスにずっと前から貼ってあるポスターがあります。リモートワークを検討してほしいというものです。

 ウイルス感染予防の手段としてリモートワークは喧伝されましたから、その一つかと見てみるとどうも様子が異なります。東京オリンピックの期間は世界中からかなり多くの人が訪れる。交通機関の混雑を避けるためにもその期間は自宅勤務をしてほしいというものだったのです。

 日本には膝を突き合わせて胸襟を開いてといった密なコミュニケーションを重視する文化があります。座の文芸を発達させてきた伝統もあることから、リモートワークは馴染まなかったのでしょう。技術やインフラの普及以前に遠隔勤務を阻んでいたものがありました。

 最近の事態は不本意ながらも遠隔勤務を実現可能なものと実感させるきっかけをつくりました。オリンピックのための動きを先取りしたことになります。

真夏日

 今朝はすでにかなり気温が上がっています。今日明日は最高気温が30℃以上と予報されています。

 梅雨入り直前の陽光が強烈に降り注いでいます。夏の陽射しそのもので湿度も高く、外出を控えていた身体にはかなり厳しい。あわせてマスク着用の約束はウイルスとは別の身体的危機をもたらすものです。

 マスクを外せる場所や外すときの作法について私たちは考えるべきです。また、何らかの方法を専門家に教えていただきたい。果たしていかなるときでもマスクが有効なのか。暑い季節を前に知らなくてはなりません。

少し心配な

 このところ中規模の地震が時々起きています。地震があるのは日本にとっては宿命であり、それだけでは特段のことではないのですが、最大震度4程度の地震が関東圏で度々起きていることは少々不安です。

 東日本大震災を経験した者としてはこの程度の地震で狼狽する必要はないのですが、いわゆる東海や南海トラフの状況は心配です。ネット上には常に予知とか予言とか言うものが登場し、その都度外れているのです。そういうものを笑い飛ばせるときはいいのですが、不安が募ると余計なことまで考えるようになります。

 科学的にもいつかは大規模な震災が発生する確率はある水準で存在するとのことです。常に崩壊の危機を深層に抱えながら日常生活を営む日本人の心性を改めて考え直してみたいと考えています。

鳥の目

 この時代に何が求められているのかと問われたならばやはり俯瞰力と答えるべきでしょう。大局を見渡すことは永遠の課題であり、容易ではありません。だからこそ必要なのです。

 複雑で変化の速度が速い今日の社会では毎日の生活を追うだけで終始してしまいがちです。その中で時代の潮流を見失ってしまうことがあります。どこに向かっているのか、何が必要なのかということを忘れてしまいがちです。

 鳥瞰することが困難なのは人間の宿命かもしれません。すでに飛行機や宇宙船まで開発しているというのに、思考の中に定着できません。具体的にどうすればいいのか分かりませんが、大局を読む力は何らかの方法で鍛えなくてはならないと感じます。特に若い世代の皆さんにこの能力の獲得に関心を持っていただきたい。私もまだ諦めてはいません。

いい人もそうではない人も

 一人の生活が続いているとわからなくなることがあるかもしれません。私たちの周りには相性がよい人もそうではない人もいます。そんな中で暮らしていく中で人としての生き方が醸成されるのであってすべてが自分を作る源なのです。

 自分で何でもできるという思い込みを現代社会はもたらす要素をいくつも持っています。確かに孤立がそのまま死に至るということはありません。ただ、どんなに技術革新が進んでも人間が集団生活で生存を続けてきた事実は変えることはできません。群れの中で生きることで他の生物にはできない様々な困難を乗り越えてきたのです。

 距離を置くことが強要されている現状ではその能力は大きな障害を受けています。でも惑わされてはいけない。私たちは人類であることを思い出すべきなのです。

消えたマニュアル

 おそらくアルバイトのマニュアルにでも書いてあったのでしょう。コンビニエンスストアの会計時にお釣りがあると差し出した手を店員が下から支えるように持ち、小銭を渡してくれました。近ごろは接触厳禁とのことでこういう経験はできなくなっています。

 客の手を取り確実に釣り銭を渡すという方法はバイトを始めたばかりと思われる店員に多く、おそらく接客マニュアルか何かに書いてあったのではないかと推察します。若い女性店員にいきなり「握手」されたときには少なからず動揺しました。もちろん不快感を持たなかったのは言うまでもありません。誤解なきように申し添えると男の店員でも同じです。買い物をすることが人間同士のコミュニケーションであったことを思い出させてくれたからです。

 この麗しき接客術はいくつかの要因で消えてしまいました。一つは店員の釣りの手渡し技術はすぐに習得できるので、握手をしてくれる期間は短いということです。そしてそれよりも決定的なのがコロナウイルスの感染予防としての釣り銭のトレイによる返却というマニュアルが前例を消滅させたことです。

 他にもキャッシュレス決済が促進され釣り銭自体がなくなったことも関係します。また店員そのものが不在のレジまで誕生しています。こうしてレジのぬくもりは絶滅していくのでしょう。