ゲリラ豪雨に遭遇した。職場から駅まで小降りの方だったので結果的にはうまくやったのだが、駅につくとまさに滝のようなあめで屋根からの排水が追いつかず溢れ出していた。
夕立というのは歳時記的な季節の風物詩だが、ここまで酷いと俳句も作れない。少し経つと止んでまた蒸し暑さが戻って来るのも何とかならないものか。
最近は常に傘を携行している。この様子だとレインコートも持っていた方がよさそうだ。
日々の思いを言葉にして
カテゴリー: エッセイ
見逃せないことは息苦しさに直結する。最近、正義を語ろうとするあまりに多様性を蔑ろにすることが増えているように思う。印象で評価された事実が無批判で支持される。それが本当に正しいか否かは考えられず、時々の多数意見で物事が判断されてしまう。
同調圧力の大きい我が国の国民性は、うまくいけば自律的な社会を形成するが、大抵の場合衆愚に陥りやすい。そうならないために常に教育というサポートが不可欠なのだ。
しかし、それが最近機能していない気がしてならない。多数意見が必ずしも正しいとは限らないという批判精神を今の教育システムでは伝えにくい。与えられた公式に当てはめて、効率的に正解にたどり着けとしか教えない。だから、同調することへの親和性は高いが、それを検証することは難しい。
だから、常識人であればあるほど既存の価値観に沿って物事を判断し、逸脱しているものには容赦ない非難を浴びせる。彼らはそれを善行と信じているから、自分が他人を傷つける行ないをしたという自覚はない。自分の価値観に合わないものは劣勢なるものと決めつける。その結果出来するのが自警団に監視された日常である。
世界は多様であり、価値観も多岐にわたる。それを考えて言動を決めるべきだ。それが今の時代に求められている本当のスキルなのた。
先日、鶴岡八幡宮に行ったとき、例の境内の銀杏がかなり育ってきていることに気づいた。台風で倒壊したときは歴史の終わりのように感じたが、よく考えてみれば、公暁が隠れた木そのものは、それ以前にも倒れていたのかもしれず、結局そのままのものが残っていたという保証はない。
法隆寺や薬師寺のように木造建築がそのまま残っている文化遺産もある。ただ、これらの建造物も何度も修復作業を経ていまに至っているという。コンクリートより素材の劣化が遅いことや、部品の組み換えが可能なこと等が長寿の原因だ。
物質的なものはいつかは亡失する。大切なのはそのものの価値を忘れず、どんな形であれ守り通すという意志を持ち続けることなのだろう。中身は変わっても、価値観は変わらない。そういうものが古典とか伝統とか言われるものなのだ。
私たちが何を大切にしているのか。それを知ることが歴史学なり民俗学なり、文学なりの目的の一つだ。表面的には激変しているように見えて、その奥にあるものは変わらないといったものはいろいろある。
8月も後半に入ったというのに酷暑が続いている。最近は30℃でも涼しいと感じることがあるので完全に皮膚感覚が狂っている。バグっているというのが最近の流行だ。それでも私にとってのいわゆる夏休みは今日で終わりだ。思えば時間があれば何でもできるというものでもないことを証明してしまった。
何もしなかったわけではないが、何かをしようとして考え抜いて結局何もできなかったということはたくさんある。その方が印象に残るから結局徒労感が先に立っている。やり方を間違っているといえばそれまでだが、あまりにうまく立ち回ろうとしすぎた。もっと失敗してもよかったと考えている。
ただ、収穫もある。例えばどうしてもうまくいかないときはいっそのこと放棄してしまってもいいという考えを獲得できたことで、ストレスはかなり解消した。できる方法の中でやれることをやればいいというのは一見逃げに感じるが、実は方法論の再検討をした結果だともいえる。できないことは人に任せ、自分ができることを追求するというのでいいのだと考える。そして、結局は小さな積み重ねでしか物事を成し遂げられないことも痛感した。
昔は夏休みが終わることにこの世の終わりのような悲壮感を覚えたのだが、今はそれほどでもない。むしろやるべきことがある程度決まっている毎日の方が楽な気がする。それほど自分の時間を自分で作っていくことは楽しいが苦しいのだ。これからは日常の中に自分の時間をいかに作っていくか。それを楽しみたいと思う。
『万葉集』のような和歌集の場合、一首ずつが独立して作品世界を持っている。もちろん、それがどのようにできたのか、どのように読まれてきたかのかを知る必要がある。これが伝統的な古典の研究だろう。これは揺るがない。ただ、それぞれの歌の持つ世界観をうまく組み合わせて新しい読み方をすることもできる。それが古典の持つ懐の深さなのだろう。
時代も場所も全く違う歌を組み合わせて、一連の世界を作り出すことを研究者は間違いだと断ずる。同じ作品に収められているというだけで同じ地平に位置付けるのはおかしいということだろう。そのとおりであると私も思う。ただ、それがあくまで古典研究という枠内のことであって、文学の創作という別の視点を持ち込むと意味が変わってくる。それぞれの作品がもつ背景を巧妙に重ね合わせることで新しい何かが生まれることもある。古い素材をうまく組み合わせると、素晴らしいデザインになるのと似ている。
和歌や俳句といった短詩形文学はそれをやりやすい。もともとそれらにはより古い作品を取り込んで作るという考え方が内在しているので、他作品と組み合わせることは不自然にはならない。古典文学なり、過去の芸術なりをうまく組み合わせて独自の世界を作り出すことには可能性がある。深い伝統を持っている日本の場合、その資源はかなり多いといえる。
新しいものを作り出すためには、あえて古いものへの再評価をすることも大事ではないか。いままでも古典をモチーフにした現代の芸術は数多いが、意識的に古典を活用するということをもっと行ってもいい。それで古典作品が傷つくことはないし、むしろ理解が深まる可能性の方が大きい。だから、古典のコラージュとでもいうべきものがもっとあってもいいような気がする。
終戦記念日である。79年も前に日本が連合国との戦争に降伏した。人の一生涯ほどの長さの年月が流れ、戦争を体験した人は年々少なくなっている。亡父でさえ終戦時には小学生であり、その時の体験はあまり話さなかった。目前で焼夷弾が炸裂したときの恐怖を何度か聞いたことがある。原爆の標的候補だった町で育った父が生き残ったのはある意味偶然であった。
私も当時の感覚で言えば老齢の域にあるというのに、戦争体験という点においては皆無であり、父以上に戦争について語れることは少ない。日本が平和である限り今後ますます戦争とは何かが分からなくなり、観念的になっていくはずだ。それは当然のことであり、そうでなければならないことでもある。ただ、戦争が実感のないものになると誤った道に進む確率も上がる。国際摩擦を武力によって解決しようとする者が必ず出てくる。現に世界中の各地でそれが起きている。
戦争の恐怖と悲惨さ、無意味さをどのように伝えていけばいいのだろうか。核兵器はいうに及ばず、それ以外の手段でも戦争において多数の人を殺害する技術は年々高まっている。遠方からミサイルを撃ち合い、無人機でピンポイントの攻撃をする。病原菌を拡散し、地雷を瞬時に敷設して人の住めない大地にしてしまう。それらがリアルに起きる可能性がある時代になってしまった。
戦争で勝ち取った領土や資源は、侵略された側からすれば恨みの対象となり、いつか再び所有権の強奪がなされることになる。その時、その場所に住むわずかな人々の利益のために、広範の地域の住民が犠牲になる。場合によっては地球そのものが傷ついてしまう。
終戦記念日があることがせめてもの救いかもしれない。この国が経験した悲惨な経験や、加害者として多くの人たちを傷つけ、自らも傷ついてきたことを思い返すきっかけにはなる。焼夷弾を怖がった父の話だけでも伝えることができたなら、私が曇天のため原爆を投下されなかった町に住んでいた小学生の子どもであることを伝えられたら、少しは役に立つのかもしれない。
風景の中に人情を感じ取ることは詩人だけの特権ではない。誰でもそれはできるのであって、心の中にしみじみと広がる感慨を覚えるのである。ただ詩人と違ってそれを言葉にできないため、感覚はたちまちのうちに移ろい保存することができない。優れた詩歌に接するとその時浮かんだ瞬間の感覚を再現してくれる。だから感動を覚えることがあるのだろう。
自然をどのように描くのかは積年の伝統があり、それに則ればある程度は達成できる。しかし、いつでも同じ表現では新鮮味に欠けるだけではなく、その時のほかとは交換不可能な心情を表現することができない。だから詩人は新しい表現に挑戦する。あまりにも的から離れたものであると理解ができないので、この挑戦は必ずしもいつも成功はしない。それが詩作というものなのだろう。
風景画も同じように見ることができる。ただ光学的に変換して風景を切り取っているだけではない。そこに明らかに画家の解釈が介入し、その中にはしばしば風景にまつわる人生が隠されている。自然を描きながら、実は描いているのは画家自身の心理であり、周囲の人々との交流の中から生まれた心の在り方なのだろう。
私たちの日常は分かりやすく効率的にという暗黙のルールに支配されている。だから考えなくては何を表現しているのかわからないのは悪例となってしまう。しかし、場合によってはそのような悪を侵さなくては世界をつかむことができなくなってしまうのだろう。その試みに触れることが芸術を見るということだと考えている。難解な作品に出合うたびに、その真意を考えてみる。理解には届かなくても少なくとも考える時間を持つこと。それが貴重な体験となる。
風景の中に何を読み取るのか。それも私たちが長年行ってきた芸術鑑賞の方法である。田園風景の中に隠れた孤独、都市の景観に隠された狂気、広大な山水、怒涛に何を感じるのか。まずは自分がそれを意識することが大切だ。言葉にできなくても、絵に描けなくてもまずは読み取ることをしてみようと思う。
私は昔からいろいろな言い訳をしてきた。だからこれもその一つである。ただ、これから私の年齢に達する人たちには聞いていただきたい。老いの繰り言と聞き流していただければそれでいい。
恥ずかしながら、いま私は小説や脚本を書こうと思っている。しかし、これがなかなか進まない。その原因の一つが感動できないことにある。感性の鈍化と言うのが近いのかもしれない。
詰まらないことに感動することは若者の特権だ。ただそれがつまらないなどと誰が決めたのだろう。それこそが老いのもたらす弊害だ。感動することはいくらでもあるのに、それを予め過去の経験と照合して類型化してしまう。その結果、目の前にある出来事をそのまま受け取ることなく様々な測定値のもとに数値化してしまうのだ。
創作にとって必要なのは小さな感動の積み重ねだと私は思う。それがあるからこそいままでにない世界が創れる。それを過去の経験にいちいち照らし合わせてマッピングするのは世の中には測定できないものはないといっているのと近い。
私が感動できるものの範囲は年々狭まっている気がしてならない。恐らくいまの安定的な境遇が崩されるときがいい機会だと思っている。思春期ならぬ思秋期もしくは思冬期は創作の機会としては意味がある。小さな感動を敢えて過去の出来事と結びつけない。それでいろいろな創作ができそうだ。
この時期になると坂本九の「心の瞳」を聞き直す。日航機の事故により、歌手としての絶頂期に急死した坂本九は、子どもの私にとっても本物と思えたエンターテイナーだった。明るく優しい人柄は歌からもトークからも感じられた。人形劇、八犬伝のナレーターとしても憧れの人物だった。
「心の瞳」は事故の数ヶ月前に発表され、テレビ放送では歌われたことがないようだ。ただラジオ番組ではこの事故の直前に収録されたものの中で歌唱している。動画サイトでそれを聴くことができる。
優しい歌詞、歌いやすくしかも感情移入しやすいメロディと、坂本九の声が見事にマッチした名曲だ。
その後この曲は合唱曲に編曲されて中高生を中心とした世代に歌い継がれてきた。その世代が歌うと歌詞の意味が多少変わるがそれでも不自然さはない。むしろ新しい意味合いで再評価される。
坂本さんがもう少し歌手として活躍していればもっと大きなことをなさったはずだと思うと痛切な気分になる。この歌を私も口ずさむことはあるが、様々な思いがそこには挟まってくる。