投稿者: Mitsuhiro

投資

 昨年から株式投資も始めたが私にはセンスがないらしくあまりよくない。長期間に少しでも利益が出ればよい。また、眠っている端金で社会をよくしようと考えている企業の応援ができればよい。

 多くの投資の中でもっとも力を入れるべきなのは自己投資なのだろう。すでにできあがってしまった己に再び投資をすることは財力以上に気力の方が必要になる。目的なき努力がなかなか結実しないことは長年の経験から痛感している。いまはやるべきことを意味付けしていくことが大事だ。取りあえず、次のステージで必要なことを学んでいくことにする。

 金銭には表れなくても、大切な投資はいくらでもある。

自分のスタイル

 他人に合わせ、流行に乗ることで安心感を得てきたこれまでの生き方は変えなくてはならない。他人に合わせることで使われるコストは様々な弊害をもたらす。自分にあっているかどうかを考えずにとりあえず他人の設定した水準に合わせることで満足するという生き方はそろそろやめたい。

 他者設定の水準はよくできているように見える。それがより大きな組織なり、もっと大きな文化と呼べるものになればもう抗えない気さえしてくる。しかし、よく観察してみると文化に見せかけた商業的な目的なものであったり、扇情を狙った悪意が隠されていることもある。たとえ無様に見えても自分で納得しているスタイルを模索するほうが結局はうまくいくのではないか。最近はそう考えてきている。

 何が良いのか、悪いのかをその都度考えるのは骨が折れるし、面倒だ。ただ、それなりの充実感は得られる。お仕着せの何かで満足するのは楽だが達成感は得られない。やれることはやり、できないことだけを他者に頼めばよい。そしてできないことを少しでも減らしていく努力をしたほうがいいのだろう。

 とはいえ、私にはできないことだらけだ。理想を語っても何もできないのであれば意味がない。だから、今はできることを諦めず、できないことに挑戦する余裕を持ちたい。今年は何ができるようになるのか。一つ一つ達成していきたい。その成功と失敗の記録をここでも紹介できたらと思う。

南町田グランベリーパークより

初詣

 日本には1月のはじめに神社や寺院に行き参拝する習慣がある。これを初詣というが、この習慣は宗教に関して独特の考え方をもつ日本人の思考様式を考える上で重要だ。

 初詣は神社でも寺でも良い。参拝の仕方は一応違って神社では柏手という拍手をしてから拝むが、寺院では手を合わせるだけだ。神社は神道という宗教で、寺は仏教の宗教施設だ。そういうことは日本人の大半は了解しているが、中には混同している人もいる。実はこの区分は明治維新後に区別されるようになったもので、それ以前は寺と神社はさほど峻別されてはいなかった。その証に境内に神社と寺が同居しているところは多い。また今は神社と称しているが歴史を遡ると寺であったという箇所も少なからずある。仏性が日本の神の姿を借りて化身しているという本地垂迹説のようなものもある。日本人にとって人智を超えるものは神であり、その神は様々な姿である。多神教の思想ではそれらは矛盾しない。

 今年はコロナウイルスの第3波の影響などで初詣を控える家庭も増えているという。また賽銭から感染することを避けるため、電子マネーで賽銭をするというシステムまで用意している。形はどうであれ、日本人の神頼みの思いは強い。その意味で宗教的な民族である我々にとって初詣も満足に行けない現状はなんとも苦しい。それを超えるための何かが求められている。

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新年

 2021年になった。といっても日本は世界の中では日付変更線に近い地域にあるので、世界の大半はこれから新年を迎えるのだろう。昨年は本当に大変な一年だった。世界中で苦難を共有した実感をもったのは歴史的もまれなことだったろう。地球温暖化さえ否定する一部の者がいるのかで、ウイルスは着実に人を苦しめ犠牲者を出してきた。その事実を共有したことは人類史にとって意味があることだったのかもしれない。

 今年はいろいろな意味で新しい何かが始まるのだろう。それがなるべくいいことであるように願いたいし、自分でできることはやっていきたい。新しい年を祝うのは日本の習慣だ。その祝いは実は未来に向けられたものである。予め祝うことによって将来の幸福を約束しようという考え方なのだ。

 ぜひ、この一年がみなさんにとって素晴らしいものになるように。

季節風

 昨夜から急に季節風が強くなって窓を揺らしている。気温が急速に下がりまさに凍える寒さが訪れた。大晦日はとても寒い日となりそうだ。

 北陸に住んでいた頃、こういう日は降り続く雪に不安になったものだった。積雪が始まれば、最初に気になるのは車が車庫から出せなくなることだった。除雪をしなければ車が走らない。除雪にはそれなりの時間がかかり、朝からやらなければ仕事に間に合わない。そんな恐怖心があった。幸い私が彼の地にいたころは大抵が暖冬であった。ただ何年かは相当な積雪があった。そんなときは覚悟を決めて除雪をした。ただ雪を取り除いた先から降る雪が白く埋めていくのはちょっとした絶望感を伴うものだった。

 東京に戻ってからは雪で苦しむことは殆どない。ただ木枯らしの吹き荒れる日は雪との格闘を幻想するのだ。

習慣化

 成功の秘訣は習慣化にあるというのはよく聞く。確かに仕事でも勉強でも金の使い方でも習慣化するとうまくいくことが多いようだ。もちろん逆もまた然り。

 大切なのは初速度だ。動機がないと長続きしない。私の場合、こんなことを書きながらも実はあまり続けられるものが少ない。このブログを除いて。そうだこのブログのように質を求め過ぎなければいい。とりあえず何でもいいから続けること、それがのちに何か大きなことに結びつく可能性がある。

 習慣化するためにどうすればいいのか。その一つが他人に宣言して、約束してしまうことなのかもしれない。私がブログを続けられているのも毎日誰かが、しかも日本以外の国(だと思うが)の方がこの文章を読んでくださっていることをWordPressのシステムが報告してくれているからだ。結局誰かに見られていないとできないのか。しかし、互いに助け合っていると考えればそれもいいのではないか。

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世代差

 職場の棚からフロッピードライブが出てきた。そこで若い同僚にこれがなんだか分かるかと尋ねると不思議そうな顔をするばかりだ。容量が1.4MBしかなかったといってもなんのことかわからない。若い人にはわかりませんよね。などと頷いている者もVHSはわからない。日進月歩の技術の中で私自身も知らない何かがある。それが世代差というものだろう。時々それが顕在化する。

年末寒波がくるのか

 今日は比較的暖かく感じる一日だった。気温が上がったわけではないが、ここ数日よりは高めに推移したためだ。寒暖というのは絶対値ではなく、変化をどれだけ感じるのかに関わっているとつくづく思う。

 さて、予報では元旦の前後に強烈な寒波が来ると言っている。東京の最高気温は10℃以下であり、最低気温が0℃前後という。日本海側は雪が降る可能性が高く、もしかしたら大雪や吹雪になる可能性もあるという。収束しないウイルスのこともあり、天災はなるべく怒らないでほしい。

 里帰りができない人も多いと思う。この年末は帰省を控えろという天のお示しか。

失われる力

 デジタル教科書の導入を巡って議論がなされている。私は導入には賛成するが紙面の教材も併用すべきだという意見だ。どちらか一方ではよろしくない。

 デジタル教材を使ってみて思うのは、インタラクティブな利点が大きいことだ。どこが間違いやすいのかを即時把握できることは大きい。その場で指導もしやすい。

 ただ、それ以上の弊害がある。様々なことができることが生徒の集中力を奪うのだ。学習には対象と向き合わなくてはならない局面が必ずある。それをマルチな機械が気をちらしてしまうのである。すべてを捨てて、一つに向き合う時間をデジタル教材は奪う可能性が高い。

 ICTのよさは活用しつつも従来の学習方法も継続すべきだというのが私の意見だ。そのために教材の作り方や使い方について一層の工夫が必要だと考えている。

教材にデジタルを導入する際には注意も必要だ

仕事納め

 波乱の2020年は今日が仕事納めだ。もっとも職場に行く年内最終日が今日というだけでこれからも「内職」は続く。私の場合、職住区分がまったくできておらず、せっかくのICTが生かされていない。

 私のデジタルトランスフォーメーションは人よりゆっくり行われる。しばらくは試行錯誤だ。エラを脚に変えた生物の一部が再び海に戻ったように、水陸をさまようことになるのだろう。大海は居心地よく、大陸に敵は多い。

 仕事納めの今日、これからのことを少し考えてみたい。