投稿者: Mitsuhiro

サクラ

充電設備が鍵

 日産自動車の電気自動車サクラは価格が抑えられたこともあって、普及が考えられる。課題は充電用のインフラが十分でないことだ。

 電気自動車が環境対策の最適解なのかという疑問は消えないが、少なくともヨーロッパからはガソリン車はなくなっていく。日本も時代の流れにはついていく必要がある。水素エネルギーの開発などの次世代技術を進めながらも、近未来的にはEVの時代を通過することは間違いない。トヨタも大胆な電気自動車化を発表しているが、日産の動きは速い。LEAFは先駆的だが、価格が高すぎる。中国の格安の電気自動車や韓国の比較的高性能な電気自動車は日本の先を行っている。

 日本の電気自動車といえば三菱のアイミーブという先駆的存在がある。これも軽自動車の車体であった。三菱を傘下に置く日産に技術者が合流したこともこの流れに何か関係しているのだろうか。日本の風土には軽車両があっており、一定の需要がある。今回のサクラは軽といっても大きめの車両である。安全性とエネルギー系のインフラが確保できれば普及も考えられる。

インボイス制度

的確な領収書作れますか

 徴税の徹底化を目指したインボイス制度には個人や中小企業への配慮が欠けているという。多くの人が関わることになるが実態は知られていない。

 商品の販売に関して税金分を加味した売買がなされたことを示す領収証の作成が義務付けられ、それがないと小売店などの納税申告義務のある業者は、仕入れにかかった税も含めて払わなくてはならなくなる。ここまではよいのだが、問題点もある。

 1000万円以下の収入の零細企業や個人からの購入の場合、申告業務がなかったので適格な領収証を発行する必要がなかった。インボイス制度が始まれば、こうした事業者から購入すれば税制上の免除は受けられないので、的確領収書が出ない相手との取引は控えるようになる。経理にかかる費用とスキルに関して不利な立場にある者には厳しい制度ということになる。

 まずは簡単な経理のツールを普及させたり、安価で経理を肩代わりするシステムが必要だ。デジタルトランスフォーメーションが必要なのは分かるがある程度道を示してから制度化するべきだ。最近この手の強引な手法が多いように思う。

人任せにはできない

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 残念ながら安倍晋三氏は逝去されてしまった。心から哀悼の意を表したい。国のために生きた政治家として尊敬する。容疑者が政治信条に対する恨みではないと述べているらしい。宗教団体の幹部を狙ったなどとも言っている。もしこれが本当だとすれば、この何とも訳が分からない者の手によって元首相が殺害されという事実が悲しい。理由が何であれ、暴力で現状を変えることは間違いだし、絶対に許すことはできない。

 安倍氏はマクロ経済に着手することで日本の国力の復活を目指したのかもしれない。結果的に復活はせず、国民は金融政策に守られているという安心感だけを得て、成長ができないまま停滞してしまった。既得権を持つ者の利益はある程度守られたが、新興の個人や企業には厳しい政策を続けている。その流れはいまも続いている。結果的に安倍氏の目論見は達成できないままだった。

 金利を下げ、金回りをよくするだけでは経済は動かないという事実が、安倍政権以降の政策で明らかになった。これは残念ながら、いかんともしがたい事実なのだ。日本の将来のためには別の方法がとられなくてはならない。新しいものを生み出すことに価値観を見出し、それを応援することができる社会的なコンセンサスが必要だ。

 安倍氏が結果的に命を懸けて変えようとした日本の状況を私たちは引き継いでいる。残念ながら政府に任せていると同じ事が繰り返されるだけだ。まずは国を変えるという意志を持たなくてはならない。おそらく最も優先しなくてはならないのは自分たちの未来を人任せにしないということだろう。日曜日の参議院選挙の投票はそのための第1歩だ。

あってはならない

 安倍晋三氏が選挙演説中に銃撃され、現時点で意識が不明という。わが国で起きてはならないことだ。暴力では何も解決しない。日本もここまで落ちたということかとがっかりする。

 アベノミクスには確かにさまざまな問題があった。その影響は多大なものがあり、今後もその負の遺産を引き継ぐことになる。ただし、それと政治家の命を狙うのとは別だ。憎しみを晴らすことも、問題を解決することもできない。残ったのは国民の失意の増大だけだ。

 衰退する日本の中でどのように幸福を確保していくのかは、様々な知恵が必要だ。もっと学び行動していかなくてはならない。でもその中に暴力の選択肢はない。

七夕の願い

星に願いを

 七夕が願い事を短冊に書くようになった歴史はさほど古くはない。古典文学にそのような場面はないのは、この習慣がせいぜい江戸時代くらいまでしか遡れないことによる。もとは御祓の日であり、インプットへの願望はなかったようだ。

 この時期に願い事の行事があるのは実に面白い。結果的にいいタイミングで新しい習俗ができたと言える。半年終わって一度気持ちを改めて、新たな目標を設定してそれを目指すのは七夕の時期をおいて他にない。その意味で七夕は絶妙な時期にある。

 七夕の願いを何にするのか、考えてみると結構難しい。大切なのはそれが何であれ言語化することだ。しかも短冊に書けるくらいに縮約することだ。それができた時点でかなり願いの達成に近づいているのかもしれない。

鞄を買わなくては

 ここ数年使い続けてきた鞄の持ち手が切れてしまった。他の箇所もかなり傷んでおり取替なければならないと考えていたが今日に至ってしまった。兆候はあったもののあっけなく壊れた。

 自分の身体も同じような状態なのかもしれない。遺伝的にはどう考えてもこの先の展開はよろしくない。にもかかわらず、かなり不摂生をし、メンタル的にも理想からは遠い。少しずつ身体の異変を感じるが、それを口外することも難しい。このブログがその小さな排出口である。

 鞄は買い換えればよい。中古でもいい。使いやすければブランドなどどうでもいい。ものを入れ運ぶための道具としての役割をはたしてくれさえすれば十分なのだ。

 身体は取り換えられない。仮に今さらまったく違う身体になれたとしてももてあまし、結局命を縮めてしまうことになる気がする。最近は人生の最後の段階を考え始めている。

 くたびれた身体でできることはなにか。人に頼らず、むしろ誰かのためになることを続けるために何ができるのかを考え続けたい。

元台風

 元台風がもたらす気温と湿度が通勤電車を取り囲んでいる。今回の台風は関東には大きな影響はなかったようだ。ただこの異常な暑さを考えると今後どのような気象現象が現れるのか考えておかねばなるまい。

 台風の上陸数だけに注目すると減っているのかもしれない。しかし、大きな被害をもたらすものや、発生場所が日本に近かったり、不規則な進路だったりするのは印象的だ。おそらく複雑な要因があるのだと推測する。

 私の体調もこのところ芳しくない。病という範疇には入らないが、疲労感と睡眠不足の印象がついて回っている。天候にまだ適応できていない。

 しかしいつまでも天気のせいにはできない。これは生活習慣や体質改善のいい機会と考えることにしよう。

熱風

 朝から蒸し暑い風が吹いている。ここ数日の酷暑からすると気温的には低いが、昨日が少し控えめな気温だったことに加えて湿度が高い風が体感の不快度を増している。九州に上陸したという台風のせいかもしれない。

 空を見上げると雲は多彩で複雑な状態になっていることが察せられる。大荒れにならないことを祈る。

 この暑さのせいで寝苦しく、何度も目が冷めた。目覚まし代わりにしているスマートフォンの液晶を光らせては時間を確認し、夜明けまでまだかなり時間があることを確認し続けた。今日はデスクワーク中心なので睡魔との戦いに明け暮れそうだ。

気象痛

台風接近

 気圧の急激な変化が原因で体調が悪くなることがある。気象痛とか天気痛というそうだ。頭痛や耳鳴りが多いという。自分にもその気があるのではないかと感じている。

 台風が西南諸島を北上している。気圧や最大風速は並程度であるが、進路が本州にかかる時間が長そうなのが心配だ。渇水気味の地域には恵みの雨をもたらすかもしれない。これも限度を越えないことが大切である。

 はたして気圧だけが原因なのかわからない。ここ数日不調である。疲労感があるのに眠れない。気のせい(以前も使った洒落)に違いない。

通信障害から

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 KDDIの通信障害の回復にはかなり時間がかかっているようだ。我が家のau端末はいったんアンテナ4本を取り戻したのに、いまは「圏外」になっている。自宅のWi-Fiが頼りだ。おそらく技術者の皆さんはいま難題に立ち向かっているのだろう。障害発生には責任追及が必要だが、その前に回復のために尽力している皆さんに敬意を表しておく。

 さて、この障害から分かったことがいくつかある。まずこれが一社のサービス不調にとどまらないということだ。気象通信システムや電子決済、チケットなどのサービスが使えなくなったという。インターネットが前提となっているサービスが軒並み影響を受けたというのだ。この騒動で知ったことだが、コネクテッドカーなる自動車のICTサービスというものもあるらしい。トヨタ自動車はKDDIとの親和性が強いらしく(出資しているらしい)、トヨタの最新設備も影響を受けているようだ。IoTの時代ではもう電話ができないというだけでは済まないのである。

 何かを仮に消してみたら生活がどう変わるかという思考実験のようなものは私たちが時々試みることだ。今回のように本当にそういうことが起きたら、見えなかったものがいきなり表面化する。ついでに想像をたくましくして考えてみよう。渋谷に行くときに東横線が止まったらJRにするとか、地下鉄を使うとかはよくあることだ。通信会社はどうだろう。A社がだめなら、一時的にB社が肩代わりするといったことは通信の世界ではできないのだろうか。東横線から振り替え輸送してきた客でいっぱいになった東海道線がさらに遅くなる、最悪の場合止まってしまうということもあり得る。ならば初めから振り替えなどしない方がいいのか。9時までに渋谷につかないと大切な契約ができず、財産を失うというひとの場合はどうなのか。そういうたとえをいちいち考えておく必要を感じたのである。

 家族割のようなものを使って家族をおなじキャリアのユーザーにしてしまうのは業者にとっても、利用者にとっても価値があるものと思っていた。しかし、今回のようなことはこれで最後ではあるまい。どこかが止まったら別に切り替えるという選択肢を持っている方がいいのかもしれない。あるいは何もせずに駅のベンチで待って紙の本を読んで賢くなる方が実は一番懸命なのかもしれないが。