投稿者: Mitsuhiro

通信障害から

Photo by Brett Sayles on Pexels.com

 KDDIの通信障害の回復にはかなり時間がかかっているようだ。我が家のau端末はいったんアンテナ4本を取り戻したのに、いまは「圏外」になっている。自宅のWi-Fiが頼りだ。おそらく技術者の皆さんはいま難題に立ち向かっているのだろう。障害発生には責任追及が必要だが、その前に回復のために尽力している皆さんに敬意を表しておく。

 さて、この障害から分かったことがいくつかある。まずこれが一社のサービス不調にとどまらないということだ。気象通信システムや電子決済、チケットなどのサービスが使えなくなったという。インターネットが前提となっているサービスが軒並み影響を受けたというのだ。この騒動で知ったことだが、コネクテッドカーなる自動車のICTサービスというものもあるらしい。トヨタ自動車はKDDIとの親和性が強いらしく(出資しているらしい)、トヨタの最新設備も影響を受けているようだ。IoTの時代ではもう電話ができないというだけでは済まないのである。

 何かを仮に消してみたら生活がどう変わるかという思考実験のようなものは私たちが時々試みることだ。今回のように本当にそういうことが起きたら、見えなかったものがいきなり表面化する。ついでに想像をたくましくして考えてみよう。渋谷に行くときに東横線が止まったらJRにするとか、地下鉄を使うとかはよくあることだ。通信会社はどうだろう。A社がだめなら、一時的にB社が肩代わりするといったことは通信の世界ではできないのだろうか。東横線から振り替え輸送してきた客でいっぱいになった東海道線がさらに遅くなる、最悪の場合止まってしまうということもあり得る。ならば初めから振り替えなどしない方がいいのか。9時までに渋谷につかないと大切な契約ができず、財産を失うというひとの場合はどうなのか。そういうたとえをいちいち考えておく必要を感じたのである。

 家族割のようなものを使って家族をおなじキャリアのユーザーにしてしまうのは業者にとっても、利用者にとっても価値があるものと思っていた。しかし、今回のようなことはこれで最後ではあるまい。どこかが止まったら別に切り替えるという選択肢を持っている方がいいのかもしれない。あるいは何もせずに駅のベンチで待って紙の本を読んで賢くなる方が実は一番懸命なのかもしれないが。

インフラ不調

もしもし繋がってますか?

 auの携帯電話が繋がりにくい状況が続いている。いまだ復旧作業が続いているらしい。携帯電話の通話のみならず回線を利用した各種サービスが影響を受けている。このところこうしたインフラの不調が時々表面化する。不安だ。

 技術大国を自認する日本においてインフラの不調はあってはならないことだろう。今回のような通信関係のみならず、建造物などのハードウェアに関してもメンテナンスが行き届かないことが原因で事故が起きている。

 一概に言えないが効率化を進めるあまり大切なものを切り捨ててしまったのではないか。最悪の事態に備えておくということがおろそかになってはいないだろうか。

 まずは自分の力の及ぶ範囲でインフラ不調時の対策をしておこう。できることは限られているがやらないよりはいい。

星座アプリ

stars

 星座アプリの存在は前から気になっていたが七夕を間近にして関心が高まりダウンロードしてみた。アルタイルもベガも同定することができた。

 位置情報の技術を星座表に組み込むことでダイナミックな星座ガイドになっている。現実の夜空に向かって星座の位置を探すのであるから、一種の拡張現実が現れることになる。星座の絵まで表示されるのはプラネタリウムのようだ。

 昼間にこのアプリを空に向けると見えないはずの季節外れの星座が現れる。地面に向けると南半球でしか見えないはずの星座も見えてくる。本当はありえないものを見せてくれる。

 東京の空のような2等星くらいまでしか見えない夜空にこのアプリは楽しい時間を提供してくれる。しかし、見えないものを見えることにしてよいものなのだろうか。再びVRやARの問題を考え始めてしまう。

 

中元

中元の贈り物の定番は素麺、私も好きです。

 中元は仏教行事とされているが、さらにさかのぼると中国の土着信仰に期限を持つらしい。道教として整理されているものだ。旧暦7月15 日に行われるのがアジアの多数地域での例だ。ただし日本では旧暦を重んじないため、新暦の7 月15 日もしくはひと月遅らせた(月遅れという)8月15日をその日とする。東京では7月15日の方をとり、先祖祭りをする習慣がある。最近はかなり廃れているが。

 中元という意識はなくなっても「お中元」はサマーギフトとも考えられ、贈り物をする習慣は根強い。本来は先祖への供物であったが、江戸時代には商売関係や師匠へのお礼の品を贈る習慣があったようだ。現在はこれも虚礼として廃す傾向にある。教員を始めたころ、生徒の父兄から中元が来て戸惑ったことがある。いまは住所や電話番号自体を明かさないのでこの方面の恐縮は不要になった。

 無駄な虚礼はやめた方がいい。また、一歩間違えば贈収賄にもなりかねない。間違ったことはしたくない。ただ、この中元という習慣はそれなりに社会的な役割を果たしているのではないだろうか。親戚縁者に贈り物をすることにより、紐帯を確認しあうのは無駄なことではない。形式化するのは問題だが、遠く離れている相手に自分が心を向けているという事実を形で示すのは意味がある。

 この歳になると人からものをもらうのは何か気が引けるが、贈る方はやってみたい気になる。なぜだろう。決して優越感ではない。誰かのためになること、誰かが喜ぶことをしたいと思うようになることが歳を重ねるということなのかもしれない。ただ多くの場合、それができず逆に迷惑をかけてしまうものなのだけれど。

夏越

六月も終わり

 このところ暑さのことばかりを書いている。差し迫った今ここにある危機である以上仕方あるまい。今日は六月晦日であり、旧暦なら夏越の祓が行われた。

 旧暦の行事をそのまま新暦に移すといろいろ不一致が生じる。加えて今年の約一ヶ月早い梅雨明けとなってはその誤差というや多大なるものがある。夏越の祓は半年に一度の罪や穢れを祓い落とし、禊ぎをする行事という。罪悪が塵埃のように取り除くことができるのかという点においては現代人の感覚に合わないが、何らかのけじめをつけようとする精神は共通する。それが夏の終わりにあることに意味があったのかもしれない。それが今年は始まったばかりの感がある。

 どこかに消えてしまった梅雨は恵みの雨でもあったことは確かだ。その恵みがあまり期待できないことになった今夏は、禊ぎの水はどこから得れば良いのだろう。喉は乾いても心までは干からびないように注意するより他はない。

最高峰

暑い日が続いている。今日そのピークがあるというのだが、もはや何が頂上なのかも分かりにくい。

 職場にも節電要請がきたようで管理職が対応に追われている。曰く冷房は消せないので細かく照明を消すことという。どれほど効果があるのか分からないがやらないよりはましだろう。

 未曾有の長い猛暑に水不足も懸念される。節水も先行させた方がいいのではないだろうか。

梅雨明け

Photo by Pixabay on Pexels.com

 昨日、関東地方など多くの地域で梅雨が明けた模様との発表があった。いわゆる梅雨明け宣言だ。関東では21日間の梅雨だったというが、その期間の短さも降水量の少なさも記録的なものになっているという。梅雨明け10日という言葉があるが、今年の場合は果たして10日で済むのか心配である。

 昨日は電力逼迫に関する情報も出た。これだけ暑いと冷房を入れざるを得ない。公共の場に集まることも歓迎されない状況においては各家庭でエアコンを稼働することになる。電力消費を抑えなくてはならないと思っても、熱中症の恐怖もあるので何とも難しい。

 この夏はある意味緊急事態である。だから、思い切った方策も必要だ。サマータイムのように始業と終業を早めるのもいい。暑いときは無理に仕事をしないというのもありかもしれない。こうした工夫はこの後、様々な形で紹介されるはずだ。

 体力の消耗が激しい高温の状況下では短期集中しかない。一日の後半はあきらめてとにかく朝にかけよう。などと思いつつ結局夜更かししている。今年の暑さとの戦いはかなり長そうだ。

気持ちを込めて文法学習

Photo by Ivan Samkov on Pexels.com

 Youtubeで英語学習について述べているものを見て参考になったことがあるので記録しておく。英語の習得の際、やはり文法学習は必要だが、それを型で覚えるのがいいという。さらに覚える際には感情をこめて文を記憶するのがいいらしい。

 言葉が情を表すものである以上、これは当たり前のことだ。にもかかわらずあたかも数式のように文章の型を覚えてもなかなか身につかない。その表現がどのような場面で使われ、どのような感情とともに述べられるものなのかを意識することが大切だというのだ。全くその通りである。

 古文を学習する際にも同じことが言えるのではないかと考えている。たとえば現代語には過去と完了の助動詞の区別がほとんどない。「昨日着いた。」も「いま着いた。」も同じ「た」で表現されるから、古典語に「き」「けり」と「つ」「ぬ」「たり」「り」の多彩な助動詞があることが理解しにくい。「なり・に・けり」のように完了も過去も同時に使われる文に至っては意味をつかみにくい。そこで、感情とともに記憶するという方法がよいと思われる。

 この方法を教えるためにはショートコントのような場面設定を作り、実際に演技させるのがいいのではないか。「夏は来けり」と「夏は来ぬ」の違いを演技で覚えてもらうのだ。これができれば推量系の多彩な助動詞群の差や、現代語以上に微妙な使い分けをする心情表現語の違いなども実感して覚えることができるかもしれない。そのための「台本づくり」が大切だと思っている。

ワイヤレスでプレゼン

Photo by Luis Quintero on Pexels.com

 授業でSurfaceを使い始めていろいろできることが広がった。私の機器は最低スペックの機種なのでパソコンでやる仕事をそのまま持ち込むと問題が生じることが多い。だが、パワーポイントのスライドを見せたり、ブラウザの画面をスクリーンに映すといった用途に限れば十分な性能だ。

 職場には備え付けのプロジェクターがあるのでこれに最初はケーブルを使って接続していた。問題はないのだが学校の授業のようにある程度動き回らなければ生徒の緊張感が落ちてしまうような場面では、動けない存在は少々都合が悪い。そこで無線でつなぐことを考えていたところ、実にいいものを見つけた。MicrosoftのUTH-00036というワイヤレスHDMIアダプタだ。これはHDMIにつないでその信号を無線化して飛ばすものだ。Windowsにプリインストールされている制御ソフトに接続すれば、端末の映像を転送することができる。手元でパワーポイントの操作をすれば、遠くの大画面が変わるという寸法だ。

 これはかなり便利だ。問題点としてはこのアダプタにも電力供給が必要であるということだ。そのため、タイプAのUSB端子がついている。テレビなどでは背面のUSBにつないで電力を得るように設計されているが、私の職場はHDMIの近くにUSBはないため、モバイルバッテリーをつなぐことにした。スマホ充電のバックアップ用のものだ。授業は連続でも3時間は超えない。今のところ、ほどほどに充電しておけばこのくらいの時間の耐久力はある。転送時に多少の遅滞があることも事実だ。しかしこれもゲームの中継でもない限り気にはならない。

 教室の後ろから黒板を書くはかつての夢だった。どうしても教室の後ろの生徒は緊張感を欠きがちだ。それが教員がすぐ近くで話をし、黒板(ホワイトボード)には手元のタブレットの画面が映り、電子ペンで書き足したものも投影される。ビジネスの世界では当たり前なのかもしれないが、こういう方法は教員も考えた方がいい。

 もっとも席替えでせっかく後ろの席を勝ち得た生徒諸君にとって私の徘徊が非常に邪魔なものであることは察して余りあるが。

ワンチャン

You have a chance.

 最近、気になってきた流行語にワンチャンがある。One chance からきた和製英語らしい。元々麻雀愛好者が使っていたらしい。麻雀に無縁と思われる人も使っているから流行語なのだろう。

 機会さえあれば形勢を逆転できると言う意味がもとらしい。一発逆転と言うことだ。雀士が一発逆転を使わないのは役名に似たものがあるからだろう。ワンチャンはそのぶっきらぼうな表現からして背水の陣をひくものにふさわしい。

 ワンチャンが流行語になる原因を考えるに、昨今の状況が極めて厳しいという前提があるのではないか。ただ、そのなかにわずかな可能性を考えるときこの言葉の出番がある。諦めていないのは救いだ。無努力無根拠にチャンスを言っている向きもあるので少々心配になるが。

 閉塞的状況の把握とその打壊願望がワンチャンにあるという深読みをしてみた。若者たちがノーチャンと言い出さない社会をつくることがロウトルのやるべきことだ。