投稿者: Mitsuhiro

エノコログサ

 小さな子どもがエノコログサを何本も摘んで束にして持っていた。猫じゃらしにするのだという。そんなにたくさんの猫を相手にできるのだろうか。微笑ましい姿ではあった。

エノコログサ

 植物名はエノコログサであり、実は犬の方なのだ。犬ころからの変化という。猫じゃらしとして確かに使えそうだが、先祖は犬の方を連想した。

 この植物は粟の近縁であり、その気になれば食べることもできるらしい。食料危機のために調理法を知っておいた方がいいのかもしれない。そのときは犬猫にはかまっていられないだろう。

再び酷暑

 台風の被害は甚大のようだ。私の居住地域は進路から外れたために害を逃れた。今回は運が良かったというのに過ぎない。

 台風が次の季節を連れてくると思ったが残念ながら連れて来たのはもとの酷暑の陽射しである。湿度も高く不快感が高い毎日が戻ってきた。あまりの温度差のせいかコンビニの窓が曇っていることがある。異常な結露は酷暑のもたらすものだ。冬とは反対である。

 休業期間も間もなく終わりだ。今年は読書をしているが、もう少し続けたい。寝不足のせいか、暫く読むと脳がアイドリングを始めるのが残念だ。成果は読書ブログの方にまとめることにする。

送り火は再生の儀式なのかもしれない

 かなり前に京都で五山送り火を見た。前日に銀閣寺の裏手の山を登ると、送り火のための準備が進んでいたことを思い出す。16日の夜、ビルの屋上から見たいくつかの送り火は厳かで印象に残った。

 送り火はこの世に訪れた祖霊を冥界に送り返すためにともされるらしい。大文字のような大規模なものではなくても、かつては軒先で焚火する光景を見かけた。

 学生時代、先祖祭りの行事をいくつか見たが、その多くに祭りの終了を印象づける所作があった。片付けることも含めて祭祀になっているのだ。祖霊には期間が終われば確実にお帰りいただかなくてはならない。送り火もそのためのものなのだろう。

 祖霊を返し、再び褻の時間に戻ることは新たな日常の再開を意味する。祖霊祭りは、実はこの世に残された者たちの再生のための手段なのかもしれない。

足るを知る者は富む

 景気の話であまりいいことはない。正確にはうまくいく人と、いかない人に分かれつつある。問題は後者の方が多そうだということだ。

 個人的には多少つつましく生きる方がいい。今の生活は何でも手に入りそうな気配は見せるが実際には手が届かないということが多い。だから無理して買い求めて貧しくなっていく。これは現代社会が仕掛けた巧妙な罠なのだろう。

 子供の頃を思い出してみると、必ずしも満たされていなかったのにも関わらず、何かがなしとげられたときの喜びはとても大きかった。そして何かが足りないときは自分で代替品を作った。それもブリコラージュで大体は済んだ。見た目は悪くても本人にとっては素晴らしい宝物になっていた。

 へたに安価な既製品が手に入るようになってその努力をしなくなったのは残念な展開だ。ただ、一度金を出せば買えることを知った者は、すべての幸福の素を財力に求めようとしてしまう。そして、いま経済の不調が多くの人々を貧しくし、貧しいのにかつての財力第一主義から抜け出せない。

 

足るを知る者は富む

 貧すれば鈍する現状から脱するにはどうすればいいのだろう。古人は貧の中に楽を見出すことを勧めている。物質ではなく、精神的な楽しみを見出そうとするのである。足るを知る者は富むとはよく言ったものだ。これからの生き方は足るを知ることを目指すことにしたい。

熟考すること

 何かをするときにその意味を深く考えるということは大切だ。意味を考えずにやることはときに大きな失敗を招くばかりか、周囲に多大な損害を与える。それは分かっているが実際には考えずに行動することの方がはるかに多い。

 意味を考えていたら行動に移せない。出遅れれば制せられる。そこで受ける損失を恐れて考えずに行動してしまう。中には習慣化して行動を半ば自動化していることも多い。訳を考えずに行動することは仕事をこなすスキルともみなされている。

 でもやはり、時々立ち止まることが必要なのだ。無批判に他人の言われるがままに過ごせば、いつか悪意のあるものに操られるかもしれない。そのような前例は歴史の中でいくつもある。沈思熟考のときを設ける必要がある。

雨後立ち上がる

 台風の接近で間歇的な大雨が降り出すようだ。早朝に降った雨がすでに酷暑続きのアスファルトと戦っていた。

 雨に溶かされた様々な塵埃や有機物が臭いを立ち上がらせる。違う街に来たかのような感覚がする。悪臭と片付けられない。本来のこの街の体臭が戻っただけなのだろう。

今回も借りてきた画像です

 スマホにまもなく強い雨が降るとの通知が来た。さあ、この後どうしよう。色々悩んでいる暇はない。雲が覆う前にプラスチック容器の中に入ったあまり美味くないコーヒーを出す店に入ろう。

気圧の低下

 細かい頭痛が起きている。台風接近による気圧の低下が原因だろうか。あるいはそう考えることによる「気」のせいだろうか。

 今回の台風は認知されてから接近までに余裕がある。西日本では鉄道の計画運休も発表されている。これは防災上はよいことなのだろう。ただ、それが盆休に被ったことは残念としか言いようがない。

 最近、天候異変の前に体調に予兆を感じる。気象痛なるものが存在するらしいが、私がそれに該当するのかどうかは分からない。元来、心配症なので勝手に騒いでいるだけなのかもしれない。台風が接近するたびに自分の弱気を思う。

富士山の見え方

精進湖から見る富士山

 個人の富士山のイメージは絵に描くと分かる。山頂部に水平な部分があって、台形のような形と考えている人は多いだろう。しかし、実物はかなり違う。

 例えば山梨県側から見た富士山はより急峻で野性味を帯びている。山頂部も傾いており、溶岩を流した跡が残っている感がある。現にその形跡である青木ヶ原樹海が溶岩流の広域さを推量する証となっている。

 私たちが富士山に対して漠然としたイメージをもっているが、それは現実の富士山とは程遠い。人生という単位、もしくは人類史というスケールでも収まりがつかないほどの長大な時間をかけて造形されたものは複雑であり、言語でも映像でも捉えることはできない。ごく一面をしかも省略したり誇張したりしてようやく表現できるのだ。

 私たちの目にするもののすべてが実はすべて物事の一面に過ぎないことを考えるべきなのだ。

台風の先触れ

 南から近づいて来る台風の影響で目まぐるしく移り変わる天気になっている。猛暑の日差しを時々遮る雲が、次第に大きく、黒みを帯びてきている。これから台風が近づくにつれてより一層激しくなるのかもしれない。

 今日から夏休みに入る。毎日を大切にして十分に休養したい。台風にはどうか大人しくしていただきたい。いましか休めない者の細やかな楽しみを奪わないでいただきたい。

 言っても詮無きことながら。

蒸し暑い毎日

 台風の影響でかなり蒸し暑い日が続いている。それ以前は異常な高温が悩ましかったが、今はそれに高湿が加わっている。冷房の効いた屋内から外に出ると眼鏡が曇るのは、冬だけかと思っていた温度差のもたらすものだ。

 今度の台風は南から北上し、盆休みあたりに暴風雨を関東にもたらす可能性が高いという。なんとも間が悪い。猛暑に台風の連続で、この夏は災害の多い季節となりそうだ。残念だが仕方がない。