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You can’t miss it.

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 外国人の入国者が急増しているようだ。水際対策を緩和したことで日本はお安くお得な観光地になった。何度も書くが外国人の立場になれば今がチャンスだ。自国のインフレの影響が生活を苦しめる前に日本で憂さ晴らしをしておこう。

 そんなわけで外国人に道案内をする機会も増えるかもしれない。最も最近は英語ができる日本人は増えているので大丈夫だと思うが、私はちょっとおぼつかない。いや大分不安だ。英語は長い間学んできたが、話す方は特にできない。いろいろな人に聞いてみると、会話力は実際に話す機会がないとつかないという。いくら本で学習しても実際に話す機会がなければ習得はできないというのだ。逆に書けなくても文法が分からなくてもとにかく話せるという人はいる。確かに日本語の文法を理解して日本語を話している人などごく少数だ。

 道案内をした後の決まり文句がYou can’t miss it.であることは知っている。そこまで案内ができるだろうか。自分のミスの方が心配になっている。

筆記体

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 アメリカの若者は筆記体で書かれた文章を読むことができないという記事を読んだ。手書きの文字を書く機会が減った現代において、筆記体が衰退するのは当然の成り行きだ。私の知り合いの外国人も筆記体で文字書くのを見たことがない。ブロック体かその変形である。

 この現象に対してアメリカの一部の知識人は、過去の文献を直接読めなくなるのではないかと危惧の念を示している。歴史的な文化遺産を直接読み取ることができないのは文化的な損失が大きいというのである。一部の地域では学校教育のなかで筆記体の読み書きを復活することを検討しているという。

 これはよそ事ではない。日本語においても江戸時代以前の写本や版本を直接読むことはかなり難しい。私のような古典を学習したものでも江戸の版本までは何とか読めるが、写本となると怪しく、それ以前の時代のものになると字書なしでは読めない。読めるのは研究者に限られている。

 そんなに昔の本でなくとも、昭和の文章でも行書で書かれた文字が読めないという若者は増えている。草書はたしかに書道の心得がなければ読めないのは分かる。しかし、行書は読めるはずだと思うのは思い込みである。若い世代は活字(正確にはスクリーンに表示できる文字)を通して日本語を学ぶ。他人(同世代ではなく上の世代)の書いた手書きの文字を読む機会はほとんどない。だから、「令和」の「令」の字の最後の画が斜めになっているのと真直ぐなのは同じ文字なのかという疑問が生まれる。「葛」の字形もそうだ。英語より文字の種類が多い日本語において、過去の人が書いた文字が読めないという問題はより深刻であると考える。

 これに対しては、手書き文字の文化は切り捨てていいという考え方もできる。私はそうは思わないが、昔の人が書いた手紙や原稿を読むのは専門家だけだからそのほかの人は行書のようなくずした字は読めなくていいし、書かなくていいという考えだ。字が汚くて読めないという問題は、今後は誰もがコンピュータやスマートフォンで入力していくようになる。その中には音声入力もあるからもはや文字を書くことにこだわる必要はないというものである。

 一見未来志向で現実的な考え方と思われるのだが、いろいろな研究から手書きで文章を書く方がものを深く志向する際には効率がいいとされている。これからも「紙に」であるかどうかは怪しいが直に文字を書くことは当面続くはずだ。

 話は戻るが過去の人が書いた文字を読めなくなるということはやはり大きな損失である。その意味において、教育の場でもまた家庭の中でも手書きの文字を読み書きする機会をもっと増やしていった方がいいのではないか。デジタル化に反するようだが、教育効果や文化の継承という面を様々考えるとその方がいい。

なぜ風は吹くのか

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 小説などを読むとき、あらすじを大づかみにとらえて読むのは、一つの方法としてはいいと思う。ただ、単なる事実の因果関係だけを追っていても、作品の世界は理解できないこともある。

 例えば、ストーリーの途中に風が吹くという表現があるとする。風自体は登場人物になんらの作用も及ぼさない。その後の展開にも風が原因で起きることはないとする。こういうときになぜ風の描写があるのかを考えるのが読書の楽しみだろう。

 つまり、作家は何らかの意図をもって場面を設定するということだ。無意味な描写はその意味ではないことになる。なぜ天気が雨なのか、舞台はなぜ港町か、朝の場面がなぜ必要かなど考えてみるとより深い読みができる。もちろん、作家にインタビューでもしたら、気分でそうしたんだなどとはぐらかされるかもしれない。ならばその気分の内容を小説をとおして読者は考えるべきなのだろう。

 小説のあらすじを知ってすべてを理解したようにすること、ビデオを早送りして筋だけ確認する人など、こういう点も考慮してほしいと考える。

かわいいは美しい

雀の子のねず鳴きするにをどり来る

 古典を教えてきて気づくことはいくらでもある。誰でも知っていることに「うつくし」という語の意味の変化がある。高校で学んだことを思い出していただきたい。

 『枕草子』に「うつくしきもの」という段がある。清少納言が自身の価値観でうつくしきものを列挙した章段である。そこにあるのは瓜に描いた子どもの顔、鳴き真似すると寄ってくる雀、這い這いしながら近づいてくる幼児が途中でゴミを見つけて大人に見せた姿、など子どもや小さなものへの愛情を示すものである。現代語ではかわいいというべきことばだ。

 古典語の美しいは「きよらなり」や「うるはし」が担当する。前者は清純のイメージがあるのに対し、後者は秀麗の感が強い。そしてどうも清らかさのほうが評価は上であったようだ。

これもよく言われることだが日本人は完成された美よりも未熟、未完成の状態の方を好むという。例えば日本でアイドルと呼ばれるジャンルで成功するためには理知的だと思われてはいけない。たとえ世情に通じていても、初心なふりを通す必要がある。海外の同様の立ち位置の存在には完成された歌唱やダンス、語学力が要求されているのと対照的だ。日本人ももっと歌やダンスを鍛えなくてはという人は多いがそのとおりにすれば少なくともアイドルではなくなる。場合によっては売れなくなってしまうかもしれない。

 かわいいは国際語になっているという人もいる。どこか子どものようなデザインはかえってユニークなのであり、そこに価値が生じている。もしかしたら「うつくしきもの」を嘉する考えが隠れているのかもしれない。

 高校野球がこれほど注目されるのも、宝塚歌劇団はプロの演劇集団なのに、俳優たちは生徒の意識があり卒業があるのも、こうした価値観に関係があるのかもしれない。

森英恵さん逝く

 日本の代表的なファッションデザイナーの森英恵さんが逝去されたというニュースがながれた。ファッションにはあまり興味はないがそれでもハナエモリブランドは知っている。蝶のデザインの模様は印象的だった。偉大な先人の功績を讃えたい。

 実はわたしにとって森英恵のブランドは、表参道にショップができたことが縁の始まりだった。といっても小学生にとってはやたらと入りにくい服屋で値段が高すぎるのでいつも外からみるばかりだった。もっとも当時の表参道には海外のブランドショップが並んでいていたために、その中では親しみを持てるものであったと記憶している。

 新聞記事によれば、森英恵氏がデザイナーになったきっかけは海外で日本の衣服が安価な量販品として扱われていたのをみて心を痛めたことにあるという。すこし前の我が国が中国や東南アジアの製品を見下していたのと同じだ。日本製品に付加価値をもたらしたのはデザインであったという。

 印象的な蝶の模様もオペラの蝶々夫人に代表される可憐だが運命に逆らえない弱い存在からの脱却を秘めるものであったかもしれない。日本の伝統美が現代にも通用することを示してくれた。後進のデザイナーの目標にもなっていたと考える。

 価値を創出する人がこれからの時代にはとても大切になってくる。服飾品デザインはその象徴であるが、それ以外でもさまざま場面でデザインは大切になってくるのだろう。

歌枕

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 サントリー美術館で開催中の「歌枕 あなたの知らない心の風景」という展覧会を見てきた。歌枕は和歌の世界でいう名所のことであるが、よく知られているように実際にその地に訪れることはなくてもその風景を歌の中に詠みこんでしまうというものである。そこから歌を素材とした絵画が生まれ、さらには様々な工芸品が生まれた。

 桜といえば吉野、紅葉といえば竜田というように歌枕には固定的なイメージがある。吉野にも紅葉はあるし、夏の茂みもある。しかし、そういうことは捨てられて桜の山として注目される。歌枕としての地名は場所の名前ではなく、当時の美的観念からその地に見出されてきたイメージのまとまりを意味する。もちろん核となる風景はあるのだが、そこに集まってきた印象の積み重ねが形式化して歌の素材として定着すると歌枕になっていく。

 この展示では歌枕を絵画化した屏風や絵巻物が多く並べられている。これらの作品は一度和歌の素材として実景から濃縮されたイメージが、一度和歌として利用され、今度はその作品の世界から風景が想像されて、視覚の世界に再現されたものといえる。いってみれば風景の美的エッセンスが何度か濾しとられているようなものであろう。

 だから歌枕の絵は実景とはかけ離れていても当たり前なのだ。それは美意識によって切り取られたものであり、それがさらに観念的に再構成されて屏風絵のようなものに再び視覚化されていく。その繰り返しの中で洗練度はさらに増していった。わが国の近世絵画に厳密な意味での写実がはないのだと思う。そこには理想的な美のエッセンスを描こうとする営みがあった。

 でもこれが西洋絵画に多大なる影響を与えたのは周知のとおりだ。実物の映像を複製するのではなく、自分が見たまま感じたままの映像を具現化することの重要性への気づきが近代絵画の発展に貢献したのであろう。

 よく言われていることだが、こうしたものの捉え方が和歌やその派生形である俳句を核として生まれ成長してきたことはもっと注目すべきだろう。短詩形に思いを詰め込むために何を捨象して、何を取り出すのか。その中で醸成されてきたさまざまな約束事のなかで押しつぶされないようにどのような工夫をしてきたかといったことは日本の文化を考える上での大きなヒントになる。さらに現況を打破するための哲学ともなりうるかもしれない。

登戸のドラえもん

発車ベルもドラえもん

 地元の人には有名だが、小田急線登戸駅は駅名表示、壁面装飾、トイレのアイコンまでドラえもんの仕様になっている。我が国を代表するマンガのキャラクターがここでは大切にされている。

 ここがドラえもんカラーで満たされているのは作者の一人藤子・F・不二雄がこの地に住んだことに因む。藤子・F・不二雄ミュージアムはこの駅が最寄駅だ。

 ドラえもんの世界がこの川崎市多摩区を元にしているのかと言えば、それは違うかもしれない。藤子・F・不二雄こと藤本弘は富山県高岡市出身、もう一人の藤子不二雄である藤子不二雄Aこと安孫子素雄は富山県氷見市出身だ。土管のようなものが置かれた公園は富山の風景が下敷きになっているし、のび太もしずかちゃんも高岡弁で話していたのかもしれない。高岡市はドラえもんの故郷を自称する。

 川崎の藤子・F・不二雄は成功後の漫画家としての時代であり、のび太をかなり高いところから俯瞰されていたはずだ。作者たちの境遇が激変する中にあって、それでも未来の国の猫型ロボットは錆びつくことなく生き続けた。作者のお二人が既に鬼籍に入られたあとも輝きを失わない。

駅名看板も自動販売機も

 人生は短し芸術は長し。後人によってドラえもんはよりスタイルが洗練され、新しい設定を付与され、2次元の世界を飛び出した。いつか本当の自立型ロボットが完成したときそのどれかには必ずこの名がつけられるはずだ。新しいのか古いのか分からない絶妙な名前が。

作り話

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 私たちにはフィクションを楽しむことができるという能力がある。これはかなり古い時代から存在する。例えば昔話というジャンルに典型的に見て取れる。

 昔話には定型がある。地域によって異なるが話の始めと終わりに決まった表現をする。もっとも有名なのは「昔むかし」で始めて、「めでたしめでたし」で終わる。これらは決まり文句であって、「昔むかし」が特定の年代を指定するものではないし、話の主人公が悲劇的な結末を迎えても「めでたしめでたし」で締める。この二つのフレーズに挟まれた部分が昔話であり、それは事実であるかどうかは保証しないということになる。会話文におけるカッコのような役割を果たしているともいえる。

 昔話の聞き手は、その内容を全くの真実だとは考えない。だから、この話のモデルは何かとか、証拠はあるのかなどと問いただすことはしない。ただ、全くの嘘であるとも考えない。現実以上の何かがあるということを想定しながら話を聞くのである。

 民俗学では昔話と伝説を区別する。伝説は完全に事実だと信じられているか、それを前提として話が進められるものである。昔々のはなしではなく、ある特定の人物の事績に典拠をもとめ、具体的なものやこと、場所が指定される。どんなに荒唐無稽であっても伝説で語られる内容はあくまで事実なのである。

 昔話を楽しむ思考環境はいまにも連綿とつながっている。フィクションはあくまで歴史とは区別されるものであり、時代の要請や移りゆく人々の願望が反映されている。創作を楽しむことはこの伝統によるものといえる。話の内容がより複雑となり、現実世界の要素が巧みに取り入れられていることがあっても、作り話は史実ではない。

 ところが、この作り話を史実と区別できなくなってしまう人がいる。特に歴史の学習が十分でないと作り話がそれと分からず、すべてが事実と考えてしまう。この錯覚が悪影響を及ぼす。まずは歴史を学ぶべきだ。どこまでが史実でどこから虚構なのかを見分け、説明できるようにしたい。史実と混同せずに創作を楽しむために。

うなぎ

鰻とりめせ

 今日は土用丑の日であった。この日にうなぎを食べるのは江戸時代の販促戦略であったと言われる。この季節にうなぎを食べるのには栄養学的にも根拠はあるらしい。実はこのうなぎという魚には様々な背景がある。

 万葉集には武奈伎として登場するうなぎは、家持によって滋養豊富な夏の食材として奈良時代から認められていたことを知ることができる。ところがこのうなぎの生態には不明なことが多く、産卵は南洋の深海であり、稚魚は黒潮に乗って日本沿岸に漂着する。さらに大半は河川を遡り、淡水魚として過ごす。産卵期に再び海に戻り深海に次世代を産むというのである。泳ぎが決して上手いとは言えない魚がどうして地球規模の移動をするのか。分からないことが多いらしい。

 養殖として知られるうなぎの卵からの育成はできないらしく、沿岸地域で稚魚を獲ることにかかっているという。乱獲と気候変動など複数の要因が重なり、ニホンウナギは絶滅危惧種とされている。ここまで述べてきて分かるようにニホンウナギという名称には自己矛盾があり、決して日本だけの魚ではない。

 養殖されるうなぎの最近は輸入されるものが多い。養魚段階で問題のある餌や薬物の使用もあると言われ、食の安全性は確保できていない。何か昔と味が違うと感じるのはそのせいかも知れない。もっともこれには科学的根拠はない。

 今年のような異常な暑さにあってはうなぎ料理は救いのような気がする。平賀源内の知恵の後に訪れたこの魚の境遇の劇的変化は、希少種となってやがては消えていく結末に至るのだろうか。暑気あたり気味の頭脳では上手くまとめることはできない。

ゲームを作る

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 ゲームを楽しんでいる人が多いのは今に始まったことではない。私も以前それに多くの時間を費やしたことがある。気休めや現実逃避にはよい。問題なのは無意識のうちに他人が決めたルールのもとで泳がされていることだ。ゲーム好きの人の中にはその感覚がなくなっている人がいるように思えてならない。

 これは比喩的に現代人の行動の大半に当てはまる。高度に完成されたシステムをプレイヤーとして操作するだけで、そこに自らの創意や工夫はない。そもそも自分ができることはほとんどないか、できても成就する可能性は低いと考えている。だから、そういうことができるとは思っていない。

 他人本位の世界の中で自分の位置をこんなものだと位置づける。それには本当は何の根拠もない。しかしゲームの世界ではたとえばその成果が得点となって可視化される。自分の位置はどこにあるのかが疑似的に示される。それはある意味、快感であり、屈辱にもなる。いずれにしても自分の立ち位置が分かる気がするのは実際には曖昧な現実社会の靄を晴らしてくれる。

 そもそも私たちがこの世に生まれたとき、既存の社会というシステムの中で生きることが決められている。だから、きまったルールに従って生活を営むのは仕方がないのかもしれない。ただ、ゲームをする人はその宿命的な枠組みをあえてさらに狭めて自分の精神を閉じ込めているのではないだろうか。むしろ自ら小枠にはまる選択をすること自体に生きがいを見出しているのかもしれない。

 私たちに必要なのはゲームで遊ぶことだけではなく、ゲームを作ることではないかと考える。作家の森博嗣氏のエッセイに、子供ころおもちゃは自分で作って楽しんだという話があったのを覚えている。ないものは作るという環境が創作的な人生を導いたと拝察した。比喩的に言えば既存の社会の中で、既存のルールでプレイするだけではなく、時にはルールを考えて新たな遊びを考えることが私たちに求められているのではないか。

 何をやっても徒労感と無力感、相対的な敗者としてしか自分を考えられない現代人にとって、こうした考え方は幸福の追求という観点からも大切なのではないだろうか。