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礼服

 この時期になると礼服を着ることが多い。日本の略礼服はネクタイの色を変えるだけで慶弔を切り替える。便利だが複雑な思いにもなる。この前これを着たときはどうだったかといった思い出が湧き上がる。そして、それはときに切ないものである。礼服をあと何度着るのだろうか。

古いコート

 寒さが復活して再び厚手のコートに戻した。このコートは実は20年近く着ていてかなり劣化が激しい。両袖の表面の生地にはいくつか亀裂があり、裏生地にもほつれがある。それでも着続けているのは私が外見に無頓着ということもあるが、それ以上に愛着があるからかもしれない。

 量販店で購入した布地のコートは特に高級なものではない。デザインも平凡であり、今どきの製品に比べれば厚手でその分重い。ダウンなどにすれば、もっと軽く温かいものもあるはずだ。ただ、この布団を着ているかのような重みに慣れてしまうとコートはこうでなくてはならないなどと勝手な思い込みが出来上がっているのである。

 また、このコートを着て出かけた数多くの場所や、そこで味わった喜怒哀楽の数々を思い出すと、これが自分の過去の確実な一部であると感じるのだ。だから、機能面とか美意識とかそういうものとは別の意味をこの古着に感じていることも、思い込みの上塗りをしている。

 東京に戻って数年後にこのコートを駅前にあったモールで購入した。当時は結構スッキリしたフォルムのように思えたし、人に褒めてもらうこともあった。それを冬になるたびに引っ張り出し、その季節は毎日来て出かけている。仕事でも休日でも着ているので利用価値は非常に高い。購入した価格を使用した日づけで割れば、一日あたりの価格はかなり安いはずだ。

 最近はさすがにほつれが気になり、別のものを買おうかなどと思うこともあるが、実際には買い替える気持ちは小さい。定年までの間はよほどのことがない限りもうこれでいいかと思う。世の中には新品をわざわざ経年加工して着る人もいるらしいが、これは天然の古着であり、その意味では味のあるものと言えるだろう。もう少し付き合ってみたいと考えている。

森英恵さん逝く

 日本の代表的なファッションデザイナーの森英恵さんが逝去されたというニュースがながれた。ファッションにはあまり興味はないがそれでもハナエモリブランドは知っている。蝶のデザインの模様は印象的だった。偉大な先人の功績を讃えたい。

 実はわたしにとって森英恵のブランドは、表参道にショップができたことが縁の始まりだった。といっても小学生にとってはやたらと入りにくい服屋で値段が高すぎるのでいつも外からみるばかりだった。もっとも当時の表参道には海外のブランドショップが並んでいていたために、その中では親しみを持てるものであったと記憶している。

 新聞記事によれば、森英恵氏がデザイナーになったきっかけは海外で日本の衣服が安価な量販品として扱われていたのをみて心を痛めたことにあるという。すこし前の我が国が中国や東南アジアの製品を見下していたのと同じだ。日本製品に付加価値をもたらしたのはデザインであったという。

 印象的な蝶の模様もオペラの蝶々夫人に代表される可憐だが運命に逆らえない弱い存在からの脱却を秘めるものであったかもしれない。日本の伝統美が現代にも通用することを示してくれた。後進のデザイナーの目標にもなっていたと考える。

 価値を創出する人がこれからの時代にはとても大切になってくる。服飾品デザインはその象徴であるが、それ以外でもさまざま場面でデザインは大切になってくるのだろう。

カラーマスク

色つきのマスクはすっかり市民権を得たようです。薄いピンクや水色だけでなく黒や茶色、なかには水玉などの模様がついたものも見かけるようになりました。

 花粉症対策で急速に広まったマスクは、子どもの頃は重傷の風邪でなければつけることはありませんでした。マスクをつけるという行為自体が深刻な感染症を想起させるものだったのです。それが予防対策として推奨されたのをきっかけとして健康な人でもつけるようになりました。春先は先述した花粉症への配慮で街中にあふれる光景が見られます。

 白いマスクの持つ病気のイメージを軽減するのが色つきのデザインでした。確かに女性のつけるピンク色のマスクは優しさも演出できます。服の色と合わせるようになるともはやファッションアイテムとなっています。記憶では黒いマスクを普及させたのはファッションデザイナーでした。

 マスクには自分の存在を隠したいという願望が内包されることがあります。自信がないときにマスクを着けて自分の状態の発信源である顔の面積を減らすのです。また、マスクをつけると多くの人はマスクの印象を中心にするため個人への注目が薄れるという現象があります。派手なマスクを着けるのは、人々の注目をマスクへの注視によって減少させることを狙っているのかもしれません。

 恐らく10年前には見られなかった色とりどりのマスクです。この先またどのようなものが生まれてくるのかと考えると楽しみでもあります。いやマスクなどつけなくてもいい環境を作ることの方が大切なのですが。