高校の向かいのパン屋でよく買ったのがあんバタだった。コッペパンのようなものにバターをぬり、その上に粒あんを入れただけのシンプルなものであった。部活の帰りなどに買ったものだった。カロリーとか糖質だとかを気にすることがなかったころ故、ひと頃は毎日のように食べ、その他の3食も普通にしていた。
あんバタは最近はいろいろなところで見かける。中にはマーガリンで代用したものもある。本当のところは分からないが、高校時代に食べたそれに及ぶものはない。
日々の思いを言葉にして
高校の向かいのパン屋でよく買ったのがあんバタだった。コッペパンのようなものにバターをぬり、その上に粒あんを入れただけのシンプルなものであった。部活の帰りなどに買ったものだった。カロリーとか糖質だとかを気にすることがなかったころ故、ひと頃は毎日のように食べ、その他の3食も普通にしていた。
あんバタは最近はいろいろなところで見かける。中にはマーガリンで代用したものもある。本当のところは分からないが、高校時代に食べたそれに及ぶものはない。
背筋を伸ばすことは簡単にできることだと思ってきた。どうもそうでもないらしい。
背筋を曲げたままでいるのはデスクワークの多い私の悪癖であり、さらには積極性がかける行動が体現したものと考えていた。恐らくそういう面はある。つまり背筋が伸びないのは、習慣と態度の影響であるとみなしてきたのだ。
どうもそれだけではないようだ。歳を重ねてくると自然に背筋が曲がってしまっていることに気づく。背筋を始めとした筋肉が衰えてきているのだろう。伸ばせば伸びるというものではなく、伸ばそうと努めなくてはならないものになった。
そのためには運動なりストレッチなりを続ける必要がある。やらねばならないことが増えていると考えるべきだ。
TOYOTAが電気自動車にシフトすることを予感させる発表をした。昨今の流れからしてそうせざるを得なかったのだろう。大切なのは簡単で安全なことだろう。
電気自動車に関してはいろいろな不安がある。その一つが充電設備の充実だろう。かなり増えてきたとはいえ、いざ自分が持つとなると不安だ。マンション住民などは自宅での充電ができない。近い将来駐車場はコンセント装備が当たり前になるかもしれない。
満タンにガソリンを入れることが習慣化している私たちは、恐らく充電にもそれを求めるだろう。しかし本当に必要な電力をAIなどで割り出し、必要分だけ行うこともやらなくてはならない。
それと同時に自動運転に繋がる運転の簡易化を図るべきだろう。この方面で日本企業は特に注力すべきだろう。高齢者がハイブリッド車で起こす事故は多い。感覚が違うらしい。ならば車両の方がドライバーを助けなくてはならない。
先日、インターネットを通して外国のラジオを聞いていたら、懐かしいメロディが聞こえてきた。でも曲名が思い出せない。最近はメロディも検索できるサービスがあるが、そこまでの必要性も感じず焦燥たる思いで過ごしていた。
すると、突然メロディの訳詞が思い出すときが来た。「小鳥ならば君のもとに飛ばんを」だったかと。これはどうも不確かなもののようだが確かそのように覚えていた。ここからは検索できる。この曲はドイツのもので日本では夜汽車と訳されており、望郷の思いである。だが、ドイツ語の直訳は私の記憶のものに近く、離れた恋人への思いを歌ったラブ・ソングである。訳詞の際の変更は子どもに歌わせるためだったのだろうか。
隔離を余儀なくされている人々にとっては心に響く。まさにいまの世情にあった曲だと思った。
漢字検定協会の今年の漢字が発表された。「金」なのだそうだ。オリンピックがあった年であり、給付金制度をめぐって議論があった年であるからうべなるかなということだろう。
でも、私たちは金には別の意味も感じる。いっこうに上がらない所得もまた金である。恐らく政府なり財界なりの失策が健在化しているのだろう。責任追及も大事だが、それよりも今そこにある危機を乗り越えなければなるまい。そのためには国や自治体に頼らず自己開拓で稼ぐしかない。その覚悟をくれた年でもある。
金は最後の頼れる資産という人もいるが、昨今の相場は下がるばかりだ。貴金属もよいがいまは明日への安心感がほしい。来年の漢字が幸になることを祈らずにはいられない。
最近、以前とは同じようにできないことを思い知らされる場面が増えている。もっと頑張れたことができない。自分を甘やかしているわけではないが、できないことが増えてしまっているのはしかたがない。
ただそれでもあきらめるつもりは全くない。これまでのように時間をかけてじっくりやるというのは体力や気力の制約があって難しい。やるなら短期決戦だ。そして、完璧を求めず量産することだ。これは俳句を作るのに似ている。たくさん作ってたくさん捨てよ。俳句の師の教えである。句作のみならず、これからの仕事の大半はこの戦略で行こうと思う。
今大切なのはなんでもできるとは思わないことだ。今できることを今できる範囲でやるしかない。それが凡人の戦略であり、唯一できることなのだろう。私はこの方法は他の方にもお勧めしたいと思っている。完成品を求め過ぎないことが大事なのではないか。中途半端でも発表し続けることでスキルが保たれ、上達もしていくのではないかと考えている。今できることを今やるということだ。
贅沢とは何かを考えるとき、金をかける方面で考えると際限がない。世間はとてつもない財産家がいて、その人と比べると惨めになる。
しかし、例えば好きなことに没頭して他のことを忘れることができる時間を持てたなら、それは贅沢の範疇に入るだろう。別にどこかに行かなくても、何かを買わなくてもそう思えるのならば立派な贅沢だ。
そういう心の豊かさを持たなくてはならないとつくづく思う。
駅に向かう途中の道端に置かれている素焼きの鉢が割れていた。さては誰かのいたずらか。それとも自転車か何かが衝突したのかと思った。だが、どうも違うらしい。
割れた破片は外部からの圧力ではなく内側からのエネルギーのベクトルを表していた。鉢は自ら割れたのである。皮を剥いたときのように広がったかけらがそれを示していた。よく見ると、底面にもたくさんの根がはみ出している。どうやらこの根が鉢の側面に圧力をかけた結果なのだと納得した。
植物の力は実は強大だ。整備しないままの舗装道路が、雑草の繁茂によって亀裂ができている風景は田舎に行くと当たり前にある。田舎の話ではない。都心でも手入れを怠ればたちまち植物に侵食されるという、
生き物の力を実感する風景であった。
現在走っているガソリン車のポディをそのまま使って電気自動車にしてしまう企業が注目されているらしい。中にはいわゆるクラシックカーのEV化もなされるようで興味深い。
松本零士の漫画に銀河鉄道999がある。見た目は蒸気機関車が牽引する客車だが、銀河を越えて遥かな旅をするハイテク列車だ。見た目はレトロだが実は最先端技術が搭載されているというものは今後の一つの流れになるかもしれない。新しいものは機能的だが、それゆえに味わいがない。レトロなラッピングをすることで親しみやすく使えるものができるかもしれない。
ものの話ばかりしたが人間にもそういう人がいても面白い。見た目は老けているのだが実は最新のスキルを持っている。そういう人だ。私はそれを目指したいが中身がやはり追いつかない。ラッピングの方はすでによくできているのだが。
昨夜は強い風雨が通り過ぎた。先日に続いて深夜の暴風だ。雷鳴こそなかったものの、安眠を破る音が響き続けた。
今朝はうっかり折り畳みで出かけたが風強く役に立たない。骨組みごとめくり上げるので、まさに破れ傘の趣きである。
年末にかけてやるべきことは多い。その焦燥をかきたててくださいように天気の方も演出するようだ。