遠景

広い風景は気持ちがいい

 遠い風景を見ると心が落ち着くことがある。山の上とか、建物の上階から見下ろせばよりその効果が高い。なぜだろうか。

 おそらく身体的な理由があるのかもしれない。ある体内物資が分泌されるといった説明だ。これについてはよくわからない。ただ、別の理由もあると思う。

 遠くを見ることで自分の位置が相対的に把握できるというのは大きいのではないか。自分がいまどこに位置し、世界とどのような関わりを持っているのかが直感的に理解できる。また、風景を俯瞰することで日常のレベルでは気づかなかった視点、視座を獲得することが快感をもたらすのかもしれない。

 風景の中に自分の存在を客観視し、周囲との関わりを感じることができることこそ、遠景を見る愉しみであると考えるのである。

野生動物の異常行動

 最近、野生動物の異常行動が目立つように思う。特に海洋性の動物の異変は顕著だ。大阪のクジラの迷い込み、東京ではトドが現れたり、大量のイルカが見られたりした。こうした行動は何が原因なのだろう。


 天変地異の予兆とする考えはこの種のニュースでは必ず起こる。特に地震の前触れではないかという考え方は一種の噂として拡散されやすい。


 また、気候変動のせいだという説に関してはもっと根源的な問題になる。もしそうであれば長期的に起こりうることであり、今後も注目されるべきだからだ。


 さらに人為的な要因と考える説もある。例えば軍事的なソナーなどの頻繁な使用により、動物の持つ方向感覚が狂っている説である。もしそうであれば、近隣諸国との緊張関係が影響しているということになるし、また公表されていない軍事行動が展開しているという証になる。


 これらはどれも推測であり、確証はない。どれかが当たっているかもしれないしすべてが外れている可能性もある。


 野生動物の異常行動が何を表すのかを考えることは、結局現在の生活を見直すことにつながることは間違いない。

退職教員を活用せよ

 ポジショントークとの批難を恐れずに言えば、退職教員をもつと活用すべきだと思う。やる気があり、能力もある教員を使わないのは社会的損失であろう。

 多くの教員は定年後教育関係の仕事に就けない。経験と実績があるのに仕事ができないのだ。そこで、退職教員を活用する方法を考えたい。

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 教壇に立つことが最もいいが、それ以外にも「使い道」はある。後輩の指導員として、もしくは補助としての役割を与えることだ。この場合、あくまで主役は現役の教員であり、退職教員は前面に出てはならない。この心得のないものは教育現場から離れた方がいい。管理職経験者は適任のように思えるが、管理することに関心が強すぎる人にはこの役は向かない。

 事務補助もできる。多忙な教員の事務的な面をサポートする仕事だ。機械にはできない配慮のいる作業を請け負う。教員経験者ならばかゆいところに手が届く仕事ができそうだ。

 生徒の生活指導や悩み事の相談相手などの役割にも向いている。スクールカウンセラーが不足している現状では、教員の資格で生活指導に専念できる仕事を作ってもよい。

 部活動顧問や指導員をやることも彼らにとって適役だ。もともと技能を持ち指導ができる場合は申し分ないが、そうでなくても子どもの扱いや、保護者対応きなれた経験を活かしてマネージメントをすることができる。

 このように経験と実績を活かして退職教員を雇用すれば教育現場に利すること大である。現役教員は授業に集中でき、その完成度が上がる。人材不足の地域こそこの制度を検討すべきではないか。

カラスの準備

 2日ほど前からハシブトガラスの群れが早朝から騒がしい。この地域のゴミ出しの曜日でもないのにどうしてだろう。

 地域のゴミ回収日にカラスが狙うのはどこにでもあるはずだ。ゴミ袋を鳥にとっては見にくいといわれる黄色にしたり、ネットをかぶせたりしても巧みにつつきだし散乱させてしまう。しかし、その時点ではゴミ出しの曜日までは数日あった。

 集まっていたのは近隣の蜜柑が目的であったようだ。それまで見向きもしなかったのに今朝見るともう枝には残っていなかった。そして路上には大量の食べかすがある。なぜいまになってと思う。

 思うに今週の大寒波の到来を知っているのではないか。寒さによる消耗を見越して多めに食べているのではないか。それが拙い推論である。

 動物の行動が天候急変の予兆になることは数多く報告されているので、私も記録しておくことにした。

最低気温予想

 今週は文字通りの大寒の節気であり、最高気温が二桁に達しない日が多いという。ピークは明日から明後日のようで、特に水曜日(1月25日)の気温はかなり下がるようだ。最低気温の予想をみると、‐3~0℃の幅で各社が予報を出している。氷点下になることは確実だ。さらにこの日は最高気温も4~6℃の予報であり、この地域としては極寒の日となりそうだ。

 私にとっては寒さはそれほど苦ではないが、乾燥した北風がいろいろなことを狂わせる。おそらく一番の難関はこの乾燥であろう。コロナウイルスが5類相当に格下げされることがほぼ確実なようで、少しずつマスクを外すひとが出ている。しかし、このインフルエンザの季節が終わるまではしばらくは変わることはないだろう。さらにそのあとの花粉症もあるのでいつマスクが外せるのか個人的には分からない。

 今週はマスクは防疫の目的以上に防寒具となりそうだ。

失われた感触

 時代が変わるとなくなるものがある。現代社会は進歩が速いためにそれを人生の中で感じることができる。私でさえそれをいくつも感じることがある。

 視覚的なものは大きく変わり続けている。街の風景は刻々と変わり、少し前のことを思い出せない。もっと前のことを考えてみる。いまは住宅地として有名な場所もかつては雑木林の連続であった。薄暗さのなかに踏み込みにくい雰囲気があった。うっかり足を入れると不可思議な動物に襲われるかもしれないなどと、子どものころは真剣に考えたものである。

 耳で聞く感覚にもなくなったものは多い。駅の改札で聞こえていた改札の際の鋏の音はある世代以下の人は知らない。原宿駅の改札にも駅員たちが並んで鋏を入れていたことは記憶の隅にある。客がいなくても空うちをしていたので、常に鋏の音が響いていた。その後、紙の切符を機会に入れる方式となり、今は非接触型のカードやスマホ、スマートウォッチをかざすだけなので音は出ない。確認の電子音がわずかに響くだけだ。非接触を信じられない人がカードを読み取り機に当てる音が耳を驚かすことはあるが。

 嗅覚も変わった。かつては下水道の普及が足りないところがあり、どんな町にもどぶ川があって悪臭を放っていた。今はめったにない。これはいいことだが、使ったものは適切に処理しなくてはならないと思う気持ちが人任せになっている。ものを大切にしない気持ちがどぶ川よりも社会悪を発生させる可能性がある。

 触感もなくなったものがたくさんある。ダイヤル電話を回すときの指先の緊張感を私は覚えている。回すときは思い切ってやらなくてはならない。躊躇してしまうとうまくストロークが計れないらしく間違い電話になってしまっていた。

 味覚は常に変わり続けているから、逆に変化には気づけない。昔のお菓子はもっと甘かったし、何か体に悪そうな合成的な味がした。そういうものは今は少ない。おそらく、子どもの自分に今のお菓子を食べさせたらおいしさに感動するに違いない。その代わりに砂糖の代用甘味料などが入っているので、人体に将来どのような影響が出るのか分からないともいう。昔と今とどちらがいいのか分からない。

 失われてしまった感覚はいくらでもある。時々それを思い出すことで、いまの生活を客観できるかもしれない。

IT産業の苦境

 アメリカのハイテク産業が不景気の波に飲まれている。アルファベットやマイクロソフトなどが大規模な人員削減を行うというニュースが流れている。私は強い違和感を覚えている。

 ITを牽引している技術者の皆さんは省力化のために新しいシステムを立ち上げ、実現してきた。少ない人数でも経営できるための手段を切り拓いているのだ。しかし、他ならぬその成果のために、自分の職が奪われている。100人で動かせる会社を10人で運営可能にすれば、90人は不要になるのだ。

話を単純化しすぎているが、一面の真実は捉えているはずだ。人を幸せにするための科学技術が人を疎外する。何か理不尽を感じるのだ。

機械に話そう

 AIの発達により、人間の言語に近いコミュニケーションができるシステムが完成しつつある。日常会話ならば機械に話しかけると自然に感じる程度の返事をする。映像やロボットなどと連動させれば、あたかも機械と会話しているかのような気分になれるらしい。

 規則性のあるものや、パターンが決まっている文章作成能力はあるようで、ビジネス定型文章や分析を中心とする文章は得意で、論文も書けるとの報告まである。

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 無料で試せるオープンチャットを試してみた。これはテキストでのチャットの形で行われている。英語版だったので、拙い英語で問いかけてみた。すると長めの答えをしてくる。例えば、AIは人類にとって有益なのかと聞けば、多くの利点があるが、場合によっては人間に危害を与える危険性も含んでいると答える。また日本の文化について知っているかと聞けば、歌舞伎や寿司、漫画とアニメなどがあるなどと答える。検索して答えるのと違うのは、AIが選んできた答えを、話しかけられるような形で得られるということだろう。

 このシステムは従来の検索システムを凌駕するともいわれている。資料がただ提示されるのではなく、AIのアレンジが加わっているからだ。利用する側からすれば便利である。一層、考えなくてもよくなるからだ。

 ただ問題点も大きい。現時点ではAIは意味の世界まで踏み込んではいない。聞かれた質問に対してもっとも可能性の高い回答を多数の検索データの中から抽出しているのに過ぎない。だから、表面的には整っていても根本的な間違いを犯していたり、正解であっても人道的道義的には許されないといった不文律のようなものは反映できないのだ。

 機械に話しかけるというと実に寂しい人間のようだが、これからはそれが当たり前になる。そのうちの脳波を読んで先回りして答えてくれるような技術が生まれるのかもしれない。ただし、意味とか価値観といったものをどのように機械が獲得していくのか。今後に注目したい。

大寒

 今日は二十四節気の大寒に当たる。このところ寒い日が続いているが、本格的な寒気は来週訪れるらしい。関東でも降雪の可能性があるともいわれる。

 富山ではこの頃、積雪が起こりやすく、注意しなくてはならない時期である。この時期の楽しみとして寒ブリがあった。脂身を多く備えた刺し身は高級魚扱いで簡単には食べられなかったが、なにかの宴てごちそうになったときの感動は忘れられない。ブリのような高級魚でなくても寒の頃に食べるスケソウダラやナンダ、ゲンゲなどの鍋は楽しみだった。もちろん立山や銀盤、幻の瀧といった地酒は欠かせない。

 寒の話がどこかに行ってしまったが要するに寒中にも歓ありということだ。こわばらず楽しくいこう。

短歌アプリ

 時々使っていた短歌の投稿アプリの「うたよみん」が終了するそうだ。無料で使わせていただいたので発言する権利はないのかもしれないが、残念と言うしかない。

 短歌のような短い文学はTwitterやLINEなどのソーシャルメディアでも十分に対応できる。私も短歌専用のアカウントを作ったこともあるが、どうも長続きしない。短歌を書くのは専用のノートにしたい。雑記帳に紛れ込ませるのは何か違う。うたよみんはできる機能は限られているが、短歌よみの集まるところであり、そういう人に評価されたいという思いを満たす。

 短歌は感情を乗せる器として優れている。多くは語れないが、可能性は大きい。伝統的な型の力が働いて、少々内容が不足してもそれなりに文学作品として成り立ってしまう。俳句のような約束はなく、定型の短詩に過ぎないのだ。最近私は文語だけでなく口語でも、そしてそれらを混ぜることもある。なんでもいいのだ。

 はじめはスクリーンに横書きで歌を書くことに強い違和感があった。いま私はそれは克服したが、できれば縦書きにしたい、また宇宙と書いてソラと読ませたりする当て読みも短歌にはよくある手法だ。うたよみんはそれらの欲求に答えてくれていた。終了は惜しい。とりあえずはしばらく中断してしまっている短歌専用のブログにこれまでの作品を少しずつ移すことにしようと考えている。