自分で書いたのに

 なんでも記録される時代である。そしてデジタル化されたものはなかなか消えない。もちろんこれは存在し続けるということであって、価値が変わらずに続くことではない。だから、存在していてもアクセスしなくなれば実質なくなったのと変わらない。

 自分が過去に書いたものが今でも検索すれば読める。学生時代に書いた多分にエッセイのような論文もいまでも変わることなく読める。その後、いろいろな方がそれを読み、中には引用してくださっている方もいる。申し訳ないが私の論文は間違っていた。部分的に材料として使うならば使えるところもないではないが。

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 その自分で書いた文章を改めて読むと、とても自分が書いたものとは思えない所がある。つまり、書いた意図が思い出せないのである。批判的に若いころの自分の文章を読むことができるのは、すでに書いた自分と今の自分が相当違うからなのだろう。論文を書く仕事を辞めてからはこのように何かに自分の考えを残すという機会がなくなった。ただひたすら毎日を消費するばかりだ。少しは人のためになっていることを願うのだが。

 自分で書いたのに自分の文章とは思えない。こういう経験はこれからもあるのだろう。私は毎日このブログを書いているので、過去の自分にさかのぼることができる。そしてさかのぼるとやはり自分のものとは思えない文章に出会う。人は変わりながら生きているのだ。だからこれを恥じることはない。そう考えることにした。

久しぶりの訪問

 おそらく20年ぶりにかつて暮らしていたところを訪ねた。いろいろなところが変わっていたが、一番の違いはそこに暮らす人々の姿だった。自分がいなくてもその地は風雪に耐え、情勢に対応してきた。それを確認したことだけでもうれしい。

 私にとってその地での暮らしは様々な思い出の重なる場所であり、懐かしくも苦々しくもある場所である。その地に多分の未練を残しながら振り捨ててきた。というより、自分以外の要因で街を出ざるを得なかったのである。だから、そのころの自分のふがいなさを振り返る場所でもある。

 子どものころから転居が多かった私にとって、このような久しぶりの訪問の経験はこれが初めてではない。でも、そのどれもが心が大きく動く経験となっている。この後もこのようなことがあるのだろう。そして、また呟くに違いない。あの頃は若かった。楽しくて辛かったと。そして今まだ生きていることに少し感謝するはずだ。

能登の地震

 昨日、能登半島の珠洲市で起きた局所的な地震は、ここ数年群発しており心配だ。普通の地震とはメカニズムが異なると言われている。

 京都大学の研究チームなどの報告によれば、資源地近くの地中に、かなり深い地層から上昇した水塊があり、これが地盤を不安定にしているのだという。直接の要因がマグマではなく、その影響で地中を移動する水にあるという仮説である。

 確かに能登の先端地域は、これまでの地震のときも独特な現象を見せていた。震源地が遠い地震でも、周囲に比較して珠洲市だけ震度が大きいということが何度もある。揺れやすい地盤であるとなれば説明可能だ。

 この仮説が正しいならば地震を止める手はない。将来の災害に備え、耐震免震構造の建造物を建てるようにすれば懸念は少し減る。日本国中どこでも同じだが特にこの地域は配慮すべきなのだろう。またライフラインの確保をいかにするのかも考えるべきだ。

 能登について考えれば他の地域の防災にもきっと役立つだろう。

755km

 モスクワとキーウの直線距離は755kmだという。実際には直線移動はできないため、陸路だと900kmを超えるらしい。この直線距離を東京を起点に考えると、北海道の美唄市や福岡県の宗像市辺りになる。つまり日本の国土に半分に収まる距離しかない。

 人が移動するのには遠いが最新兵器なら机上の操作で標的にほぼ命中できる距離であることを再認識する。この戦争は極めて近い場所で行われているのだ。メルカトル図法の錯覚で考えるのは危険ということになる。

 思ったよりはるかに長引いてるこの戦争をどうしたら終わらせることができるのだろう。武器をウクライナに供与しても、ウクライナが負けないことは支援できても戦争を終わらせることはできない。このまま続けても両国にとって不利益である。

 隣国との関係を大切にしなくてはならないのは我が国も同じだ。小異に拘り本質を失うと全て帰り奪われることを知らねばなるまい。相手を知り、折り合いをつけるチカラを多方面から考えていくべきだ。

海の色

 旅先の海の色はやはり少し違う。水温とか海流とか、その他のさまざまな要素で違って見えるのだろう。おそらくそれだけでもあるまい。

 海を見る自分自身がいつもと違う。普段は気づかない光を感じ、色を見つけるのだろう。写真に撮ると旅の思い出が少し色褪せて見えるのはそのせいだ。被写体だけではなく、カメラも違うということだ。

 いつもと違う風景を見て、いつもと違う自分を知る。旅の意味はこんなところにある。

好きなことを学ぶのは効率が高い

 想像に易いが自分の興味のあること好きなことを学ぶ効率はかなり高い。子供のころに夢中になった趣味の様々な詳細情報は瞬く間に覚え、そしてなかなか忘れない。学ぶ対象が好きなものであることはかなり大切な学習要因である。

 しかし、何もかもそうとは限らない。好きなことだけ学べればいいが、そうはいかない。好きなことだけ学べばいいのかといえばそれも困ったことに不可能だ。好きでないならば学ばなくていいというようには社会はできていない。

 ならば、今は好きではなくても次第に好きになるように自分を変えていくしかない。その方法は環境を変えたり、交友関係を変えたり、何らかの工夫が必要になる。何をやっても興味が持てないのならばその分野はあきらめるしかあるまい。たいていの場合は無理やり進めているうちに何らかの興味が湧いてくるものだ。それをが急意欲の糧にすればいい。

 最近の脳科学者の発言の中にはにわかに信じがたいものもあるが、自分の理想をあえて口にすることで自分の脳をだますことができるらしい。自分は数学が好きでたまらないと言いまくることで本当に好きになるというのだ。自分の脳を欺くというのだから、かなりの上級テクニックだ。でもこれが意外と効くらしい。

 嫌いなものは好きだと言い続けて本当に好きになってしまうこと。それがいまどきの学習方法だという。呪文を唱えると魔法が使えるといったのと近い気もするが、案外そういうこともあるらしい。不思議なものである。

旅の記憶

 新幹線に乗ると昔の自分を思い出すことがある。富山で仕事を始めた頃、新幹線は長岡で乗り換えるしかなく、乗り換えたあとの北陸本線が結構長かった。今は一本で富山、東京間を行き来できるのでとても便利になった。

 まだ富山が謎の地であった頃、帰京は息抜きであった。よる8時にほとんどの店が閉まり、ファーストフード店もコンビニもなかった町で暮らすのは抵抗があった。順応するために始めたジョギングはやがて本格的になっていった。やることが他になかった。

 新幹線で高崎を過ぎるあたりで世界は一変した。特に冬は雪景色と乾燥した晴天の別世界だった。はじめの頃は日本海側に行くのが心重く感じ、後半は関東の天気が怖かった。

 ある程度、時間を重ね、今の状況を俯瞰できるようになると、どちらでも抵抗はなくなった。要するにどんな場所でもやるしかないと思い知らされたのだ。ただ気持ちの切り替えをするのが新幹線であったことは変わりない

 今でも北陸新幹線は別世界に移るときの乗り物なのである。

若葉風邪

 どうも風邪をひいたらしい。コロナウイルスにやられたときよりも軽いが明らかに体調が落ちてしまった。不摂生をしたことをつもりはない。疲労が一気に出てしまったとみている。

 勝手に若葉風邪と命名することにした。今日はとにかく早く休もう。明日からの楽しみのためにおとなしく休むことにする。

5月

 連休の谷間ではっきりとしないが今日から年度の2つ目の月が始まる。今朝は入り込んだ寒気のせいで肌寒く、午後は暖かくなるかわりに雷雨になりやすいという。

 5月といえばやるべきことが少しずつ軌道に乗り始める頃だ。また、うまく行かないことは何かが見え始めるときでもある。これが過剰に感知されると気持ちがくじけやすくなる。

 うまくいく方が奇跡であり、大体は成功も失敗も同時に起こるものと考える方が当たっている。ついていると思うときは、その裏にある多くの不運に気づいていない。逆もまた真なのである。

 行き詰まったときは木々の新緑を見よう。5月はそれには最適な季節だ。植物の生命力を感じて自分の糧にしてみよう。