投稿者: Mitsuhiro

冷房病

 この時期に私には試練がある。職場の冷房が稼働し始めると必ず調子を崩すのである。大部屋を一括で制御するシステムは、座席によって冷気の吹き出し口に近いことがあるが、今年の席はまさに寒冷地であり、まともにいられない。

共有スペースに移動して仕事をすることにしているが、何かと不便である。仕事をサボっているのではないことを主張しなくてはならない。もっとも最近は仕事量の方が多すぎてそんな余裕が全くない。サボりの非難よりは仕事ができないことへの哀れみの方がまさっている。

暑過ぎても寒過ぎてもうまくいかない。人は危うい狭間で生きている。

Tokyoites

 英語で、地名とその地に住む人の語が別々にあると学ぶととにかくそういうものだと思って学ぶ。品詞的には名詞と形容詞の関係だ。Americaに住む人がAmericanであり、Canadaに住む人、Mexicoに住む人が、Canadian,Mexicanなのはなんとなく分かる。Japanに住む人はJapanese、Chinanに住む人はChineseで法則性がありそうだ。Franceに住む人はFrenchであり、Germanyに住むに人はGermanであり、語尾に何らかの法則性がありそうだ。

 ところが、Thailandに住む人はThaiであり、Neaderlandに住む人はなぜかDutchで法則性を見出しがたい。The people of~か Someone from ~といえば国名だけで表現できるというが、謎の形容詞形を使ってみたくなるのが人情というものである。

 ちなみに東京人はTokyoitesというらしく、何度か文献上で目にしたことがあるが、実際に使われている場面を知らない。それでは横浜人はなんというか、辞書にはないがYokohamanではないかと言われている。ならば、大阪人はOsakanだろう。名古屋はNagoyan、富山はToyamanなのだろうか。偶然だが方言に似ている。京都はKyotoitesの可能性が高いが、きっと地元の人からは「あきまへん。Miyakobitoどす」と言われるに違いない。

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反実仮想の思考法

最近よく聞く言葉に「世界線」がある。文脈上は別世界の意味があるパラレルワールドのようなものがあることを想定し、もし今いる世界とは別の世界に生きていたとしたらという考え方らしい。実際には起こり得ないが仮に想定してみるという思考法である。

The another world

性質は全く異なるが伝統的な他界観である来世と少し似た発想だ。来世が時間的には縦に繋がるのに対し、パラレルワールドは横にある。その違いはあるのだが、現世との繋がりの中で異世界の存在を想定するのは同じことだ。

世界線を移動することができない以上、異世界の存在はなんらかの救いとなるわけではないように思える。今味わっている苦難は別世界では大きな恩恵になっているのかもしれない。でもその別世界には移動できない。

世界線という考え方を一種のメタ認知と考えることもできる。現状を見渡し、敢えてそれに捉われずに自由に発想する。そこから得られる慰めと現実の受け入れ、そして場合によっては現状打破の端緒の発見がこの考えの魅力だ。そうならば別の世界線を夢想することには意味があることになる。

救難飛行艇

海上自衛隊の救難飛行艇US-2はいかにも自衛隊らしい飛行機である。四発のプロペラ機である同機は、水陸両用で陸上では200m程度の滑走で浮上し、3m程度の波高があっても着水可能だ。時速90kmでも失速せず、目標地点に到達しやすい。航続距離4700kmも魅力だ。

主任務は海上に墜落したパイロットの救出というが、実際には洋上で体調を崩したり怪我をした民間人の救出に使われている。生産数が少ないため1機あたりの生産コストが恐ろしく高いのが難点だが、これこそ自衛隊の主務を体現する機体である。

海洋国家の日本にとつては、必要な機体であり、さまざまな用途に使われるべきだと思う。山火事対策の消火活動、民間機としての商用利用、海外への輸出などを通して生産コストを下げることが急務である。

暑熱順化は

 昨日はここ数日では低温でかえって体調を崩しそうだった。今日は真夏日になるかも知れないとの予報が出ている。こうなると身体が対応できるか心配になる。

 暑熱順化など以前はあまり気にしなかった。年齢的要因もあるが、それ以上に最近の極端な猛暑や、日々の変動幅の大きさが関係しているように思う。

 水分補給、さらには適度な塩分補給も必要だという。スポーツ飲料を用意しておこうか。

目的は何だったのか

 日々の暮らしに追われているうちに初心を忘れてしまうのは世の常なのかもしれない。私の場合、研究者になろうという考えがあったわけではなかったのだが、好きな学問を続けられるならばと思ってその道に入り、周囲の人々の影響で研究職もどきに就いた。それが、途中でダメになって今の職に移ったのだが、せめて文学の楽しさを若い世代に伝えたいという思いで始めたはずだ。それがどうも今は数字で測れる成績の向上ばかりを気にして初心を忘れつつある。

 残り僅かになった教員生活を進学実績を向上させることに貢献することで終わることはそれなりに意味がある。でも、もう一人の自分が言う。それでいいのかと。そのために教員になったのかと。

 私は二つの目的を同時にかなえることに挑まなくてはならない。数字で測れる成績向上と、測れない教養というものの伝授を同時に達成することだ。教養の方は私自身が十分にあるのではないから、教えるのは学ぶことの楽しさであり、特に文学を学ぶことの意味についてである。単に試験科目としての国語で高い偏差値を取るのだけが目的なのではない。自分とは異なる誰かの考え方を学ぶことの意味を知ること、それは一つのベクトル上に並ぶのではなく、人それぞれの考え方があり、それぞれに意味があるのだということ。そのうえで自分が生きるための選択はせねばならず、先人の意見に学び、模倣しながらも、最終的には自分なりの生き方を創造しなくてはならないということを伝えなくてはならないのだ。

 日々の生活に追われ、自分の力の衰退に気を取られ嘆いているうちに、本当にやりたかったことを忘れつつある。まだ本当の衰微に到達する前にやるべきことをやっておかねばならない。そのためには若者がやるような無鉄砲な挑戦をこの歳でも試みる必要があるのだ。自分がここまでの人生を歩んできた最初の目的は何だったのか、再考するときになっている。

身体を鍛えておけ

 最近感じるのは脳も体力が必要ということだ。とても矛盾した言い方だが、私たちは体と頭を知らないうちに別のものとして扱う傾向にある。首から下の人間と揶揄する人たちは、本当の知識人ではない。脳もまた体の一部である。それどころか最も身体性の強い機関であるのだ。

 だから、体力がないと能力(脳力)も落ちる。これは最近私が日々痛感することだ。認知症という身体現象以前に、考えることそれ自体が体力のたまものであることをある程度歳を重ねると痛感することになる。

 私が若い世代に言いたいことは勉強はもちろん大切だが、身体も鍛えなくては脳の力を発揮できないということだ。その意味で現代人は大丈夫なのか少々心配なのである。今はいいが将来体力が衰えたとき、できなくなるのは階段を上ることだけではない。考えることそれ自体が衰退すると人生のすべての質が下がってしまうのである。

 スポーツ選手が引退を意識するのは視力の衰えによるものという意見がある。視力の老化はトレーニングでは防ぎにくく、経験による補完が効かなくなるとトップレベルでは戦えないのだという。アスリートの限界は視力にあるが、一般人は脳の力の維持によるものが大きい。それを維持するためにも若いころの身体的な鍛錬が必要だ。そして日々の活動でも身体に関心を持って適度な運動を続けることだろう。唯脳論者ではないが、やはり人生の質を守るためには脳の保全が欠かせない。そのためにももっと身体を鍛えておけ、と後進には伝えたい。

カニかま

 擬似食品としては高い市民権を得ているカニかまは安くて美味しい庶民の味方である。主原料はスケソウダラなどの白身魚でそれにカニのエキスで味付けしている。

 調べてみると海外でもかなり消費されているらしく、フランスはサンドイッチなどの具材として普通に使われているそうだ。アメリカ発の巻き鮨、カリフォルニアロールにも欠かせない。中国やタイなどのアジア諸国でも使用されている。

 そういえばソイミートなどもその類であり、目的はさまざまだが代替食品は今後増えていきそうだ。気になるのは加工食品が抱える安全性への懸念である。これを克服できれば、食糧問題の解決の助けにはなりそうだ。

 日本にはがんもどきや湯葉などの精進料理の伝統がある。多くは昔、中国から輸入された製法が元になっていると言われる。それが日本でアレンジされるとさまざまな可能性が生まれる。魚肉すら使わないカニかまもあるというから驚きだ。

強風

 今日は時折雨を伴う強風が吹き荒れた。駅の案内板が大きく揺れ、少々不安になるほどの不安定さがあった。電車は止まらなかったが、何かあれば大きな被害が出たかもしれない。






 九州南部は梅雨入りしたそうだ。最近は梅雨入りした後、長い晴れ間を挟んで集中豪雨があり、その繰り返しの後に猛暑がくるという展開が多い。梅雨という季節の概念が別のものになっていると言える。

 そんな季節の変わり目であるからなのか、かなり体調が悪く疲れやすい。毎年のことと自分に言い聞かせつつ、年々それに対する抵抗力が落ちていることには困っている。

ソ連館のメダル

 1970年の大阪万博には連れて行ってもらえなかった。当時の親の収入では家族を大阪まで連れて行く余裕はなかったのだろう。でも、父は仕事で出張したついでに行ったらしく、お土産としてソ連館のメダルをくれた。ソ連が当時は敵対する国としての印象が強かったことから、もらってもあまり嬉しくなかった。

 いま行われている関西大阪万博にはかなり関心はあるが、訪問は躊躇している。その一つが経済的な要因にあることは確かだ。この歳になってそんなことを言っているのだから、親のことを悪くは言えない。

 もし行けたとしたら、何を土産にするのだろう。キャラクターグッズよりは、その時にしか得られない何かを求めた方が価値がある。いつでもどこでも買えるのもよりはその時、その場所でしか手に入らないものの方が価値がある。

 ソ連館のメダルを買って来た父はその意味で素晴らしい土産をもたらしたのだった。残念ながらどこかに埋もれてすぐには見つけられないのだが。